第一章 開けぬ夜
知らぬ間に
茜さす紫の雲が漂う空。それが2時間ほど続くのがこの国の特徴だ。日照時間はたったの5時間。日の出と共に活動しても仕事が終わる頃にはとっぷりと日が暮れている。冬の間は始終のことだ。あともう少し経つと一日中闇に閉ざされる日が来るだろう。夜には極光が見られたり満月の日もあるので闇夜とは限らないのだが。
夏は逆に太陽が始終水平線と並行して滑る日が存在する。他国の人々はきっと時間感覚が狂ってしまうかもしれない。
ノルンは一年の半分を雪と氷が支配する厳寒地ではあるが、活火山も多く存在するので、国民の暮らしはそれほど不自由でもない。地熱を利用した農業や畜産業も存在する。それだけでは国民の食料を賄えないが、活火山のあるお陰で、金や銀などの鉱産物に恵まれていた。他国との交易でそれらを売り、穀物を買い付けるのだ。また、温泉という観光資源もある。冬は極光を、夏は白夜の沈まぬ太陽を見に訪れる他国からの観光客は後を絶たない。さらに世界最強とうたわれる軍も有している。北の地は気候が厳しい故に我慢強く、勇猛果敢で結束力の強い人材が多い。十二師団のいずれかに所属して国を守る者もいるが、他国へ傭兵として流れる者もいる。他国が交渉で兵が欲しいと要求してくることすらあるのだ。
(ノルンを出て兵になる人って少なそうだけどね。そんなことしなくてもノルンは過ごしやすい国なのに)
ぼんやりとノルンについて書かれた本を白い手が閉じた。手垢のついた古びた本である。羊皮紙で出来た表紙を撫でてその手触りを楽しんでいたが、立ち上がりキッチンへと向かう。防寒対策はばっちりな部屋で半袖で過ごしたい程暖かいのだが、どうしても紅茶が飲みたくなったのだ。しかしポットの水は生憎切れていた。一つため息をついてかめに保存してある水を確認したがこちらもすっからかんで乾いたかめの底が見えた。
(あーあ、仕方ない。外に出るか……嫌だな)
白い長袖シャツに茶色のズボンといった出で立ちのまま外になんて出ると凍死してしまう。クローゼットから重たげな毛織のマントを取り出し、しっかりと体を覆う。毛皮のミトンも欠かせない。しっかりフードも被って外気になるべく肌を晒さないように気をつける。特に鼻と口はしっかりと覆う。こんな時期だ、ノルンの冬は吐く息の水蒸気が凍ってチリチリと音を立てるほど寒さが厳しい。鼻水なんてうっかり出そうものならすぐに鼻に氷柱ができてしまう。涙を流すなんて考えたくもない。ただの金属を身に着けようならつけた所から凍傷になる。凍傷にならない特殊な金属は主に軍用だ。
バケツを持ち、外に繋がるドアを開けてしっかりと長靴を履き、慎重に階段を登る。部屋は地下にあるからだ。ノルンでは地下に生活の拠点があるにはある。しかし地下に大きな部屋を作ると税金が多くかかるので地下室という形にとどめている場合が多数だ。
(まあ私の場合は地下じゃないと生活できないんだけどね)
隠しきれていない白い髪をちらりと見やる。首元が少しだけ見えていたので再びしっかりと着込んだ。覗いていた肌は抜けるように白い。あまり外に出ると日光のせいで赤くなってしまう。
天井を少し叩いて上にある板をずらす。階段が終わると朽ち果てそうな小さな小屋に出た。
(今が昼でありませんように)
そう念じながら外に繋がる扉を開いた。予想通り真っ暗である。王宮の離れにあるこの場所は街灯は皆無である。しかし自分は光を極端に眩しがることと引き換えに、夜目は常人よりも遥かに効く。
(さっさと帰ろう)
出る前に帰ることを考えるなんて妙だなと思いながら、近くにある川へと足を進める。足首まであった雪は3分ほど歩くと、途端に腰が埋もれるまでの量になった。
(ここの雪もらって帰ろうかな。家に置いてたらそのうち溶けるし)
川まで行くのが億劫になったので、ものぐさな自分が鎌首をもたげる。どうせ煮立たせるし、こんなに積もっている雪は誰かに踏み荒らされていない証左なので、全く問題はないのだ。
(うん。雪ゲットだね)
近くの川は厳寒なのに凍っているのを見たことがなかった。原因は近くの火山の地熱の仕業だ。
誰も見ていないのをいいことに、バケツを振りかぶって雪を回収する。それをニ往復すればかめ一杯に雪が入った。
(よし、あともう一往復だ)
バケツにも入れておいたらしばらくはまた外に出ずにすむ。さらに雪を回収したところと自分が歩いた跡は消しておきたい。そう思って雪を回収して丁寧に歩いた痕跡を消していった。それを見て一つ頷くと小屋のドアを閉めた。
その様子を一部始終見ていた人物がいると気づかないまま。
ワインレッドに統一された調度はあまり好きではない。というよりも自分の趣味ではない。調度をどうするか聞かれたときに適当にして下さいと答えた結果である。面白くなくなって当時はため息ばかりついていた。
壁には一面にカーテンらしき布が垂れ下がり、ベッドも敷物もまた同じ色である。家具だけが茶色い。ベッドシーツの白がやけに目につく。
慣れるとどうということはない。人が訪れることのないこの部屋がいくら奇妙でも自分には関わりのないことだ。住めたら良いのだ、住めたら。
紅茶を飲んで一息つく。飲みたいと思ってから今の今まで結局30分以上経っていた。それもこれも水がなかったせいだ。本棚から別の本を取りに行こうと立ち上がると、ドレッサーの鏡が自分を写した。
真っ白な雪色をした髪と同じ色の睫毛。睫毛が縁取るのは緋色の瞳。ただし左目だけは桔梗色だ。
(日中長く活動できないのは困るんだよな……)
全く昼間に外出できない訳ではない。日焼け止めがあれば、だが。とてもでないが日焼け止め無しに日光に当たりたくない。メラニンのない肌はすぐに赤く変化して、しばらくヒリヒリしたままになるからだ。
(だからこんなところで十三師団長をしている訳なんだけど)
公にはこの師団は欠番である。しかし存在はするので、都市伝説のような扱いを受けているのは自分も知っていた。こんなところに来られても困るし、自分が幽霊みたいな扱いを受けていても誰の損にもならない。
(軍を率いないのに師団長って……なんか笑える)
自分は部下を一人も持たない。故に担当することと言えば諜報だったり、遊軍だったり、他国からの蝗害を防止するべくそれらを焼き払ったり、災害を止めるべく天候を変化させたりと、師団長を名乗るには相応しくない仕事である。それでも師団長を冠しているのは、自分が1師団の規模の兵力を一人で圧倒できるからに他ならない。通常師団は一万人から2万人規模で構成されることを考えると、自分の凄まじさが分かるだろう。実際に戦争があった時には前線にはいないが、魔法で敵本隊を一瞬で壊滅させたり、哨戒隊を一掃したりと軍らしいことはしているが。
(守護神みたいな立ち位置かもしれないね。師団長より良さそうだ)
自分のことを知って、かつ住処まで分かるのは王と自分を教育した前任者だけだ。あと数名ほど心当たりがあるが、自分がここにいることは知られていないだろう。というよりも師団長がこんな質素な家に住んでいるなど誰が考えられようか。
代々の十三師団長は称号を賜った時点で既に鬼籍に入っている、つまり死亡した扱いを受けることになり、世間からは徹底的に秘匿される。諜報などの必要悪を担う貴族も存在するが、自分はさらに深い闇にいる。当然ながら社交界に出ることはない。そもそも諜報担当の貴族ですら自分のことを知らないだろう。生まれながら強大な魔力を持つアルビノはその危険性故に表に決して出てこない。一歩間違えれば世界を滅ぼしかねないからだ。
ノルン最強の魔力を持つ宮廷魔術師よりもアルビノは強い。宮廷魔術師にはきっと存在自体は気づかれているかもしれないが、その人であっても自分に接触することはできないだろう。
王にとっても諸刃の剣である。
ついでに言えば自分の給料だって裏金だ。死者相手に公の予算から費用が降りる筈もない。
(外も暗いみたいだし、そろそろ寝るかな)
とはいっても全然眠たくない。早めにベッドには入ろうかと思い、ぶらぶらしていた足を床につける。地熱での床暖房のお陰で暖炉は不要だった。素足で過ごしても快適である。
(ん?)
上の小屋から何やら物音がする。キツネでもいるのだろうか。時折野生動物が小屋に入ることがあり、今回もそうだろうと考えて意識を逸らそうとしたその時。
床板が動く音がした。
明らかに動物ではない。床板を動かせるのは人間だけだし、第一小屋の周りには人避けの結界が張ってあるのでそもそも小屋を認識できないのだ。結界を突破する条件も厳しく、まず普通の人間はここまで来ることはできない。
(たまたま突破してきた訳じゃなさそうだ)
その人物の気配も自分が知っている者でもない。だとしたら一体誰がこんなことを?
すぐさまベッドの下にある暗器を手に取り、袖の中に仕込む。諜報暗殺はお手の物だ。
こつこつと靴音が徐々に近寄り、ついにノックをされた。自分は答えない。さらにノックがされる。その間に自分はドアの裏に隠れて迎え撃てるよう準備をした。心臓が破れんばかりにドキドキと鳴る。
そのままドアノブが捻られた。さっとその人物の前に躍り出てナイフを突きつけようとしたがそれはできなかった。
「どうしてここが分かったの」
その代わりに疑問が口をついて出た。
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