第375話:下段回し蹴り。

 ――馬車を降りる。


 今日のエスコート役はリンだった。私の顔を見て目を細めるリン。馬車の上なので視線が私の方が上で、リンが見上げる形となっている。改めて考えると新鮮だと感じつつ、ステップをゆっくりと踏んで地面へ足を降ろした。ロゼさんは周りの視線が嫌らしく、馬車の中で私の影の中へ避難している。

 

 「ありがとう、リン」

 

 「ううん。気にしないで」


 えへへと笑い合う私たちのやり取りを静かに見ているクロとジーク。


 『ボクもナイのエスコートしたいなあ』


 私の肩の横で言葉が聞こえてくることに少し慣れない。けれどクロの声は不思議なもので、不快に感じたり声量を大きく感じたりしない。リンとジークがぴくりと肩を揺らした。一体どうしたのだろうかと思いつつ、クロを無視できる訳もなく。


 「人になれるの?」


 『うーん……ちょっとまだ難しいかも。代表にやり方を教わらなきゃ』


 ご意見番さま時代は必要性を感じなかったから人型に一度もなったことがないそうだ。考える素振りを見せながら首を傾げつつ、代表さまに教えを乞うらしい。代表さまなら喜んで教えてくれそうだから安心だ。クロへ熱心に教えている代表さまをエルフのお姉さんズが揶揄う所まで想像できてしまう。


 「ナイ、遅れるぞ」


 ジークに声を掛けられてはっとする。あ、そうか。朝からクロと話していた為に、普段よりも学院へ辿り着く時間が遅くなっているのだった。

 

 「あ、うん。――行こう」


 そうしてみんなで歩き始める。暫くするといつものお二人が私たちと合流する。


 「おはようございます、ミナーヴァ子爵」


 「ごきげんよう、子爵」


 人の流れが多いのでソフィーアさまもセレスティアさまも体裁を取り繕っているようだ。大丈夫かなと心配になりつつ、口を開いた。

 

 「おはようございます。ソフィーアさま、セレスティアさま」


 私の言葉に頷いて前を向くお二人に、クロが首を傾げつつ何かを考えているようだ。タイミングを逃すと喋り辛くなるから早い方が良いだろうと、クロが乗っている方の肩を少しだけ上げて行動を促す。


 『おはよう、二人とも』


 私の少し後ろに並んだ彼女たちにクロが顔を器用に後ろへ向けて、言葉を発した。少し照れ臭そうだから、緊張しているのだろう。人間相手にそんなに緊張しなくともと苦笑いをしてしまいそうになる。でもクロにとっては大事なことだろうし、笑うのは失礼か。


 「!」


 「――っ!!!!」


 歩きながら校門を目指す。さてお二人の反応はどんなものだろうと、背後の気配を感じ取りつつも足は止めない。

 クロが喋ったことに大層驚いているようだけれど、お貴族さまの矜持なのか大声を出したり、慌てたりしていないのは流石高位貴族出身のご令嬢さま。ただ状況が呑み込めていないのか、言葉が返ってこない。どうしようかと考えているクロと、どういう状況なのかと頭を張り巡らせているお二人の差が酷い気が。

 

 『えっと……あのね、二人のことを名前で呼びたいんだけれど良いかな?』


 学院だし他の方の目もあるから、屋敷の時みたいに手助けが中々出来ない。私に出来ることは心の中でクロ頑張れと応援するのみである。お二人の反応がなくて、足を器用に動かして後ろへ向くクロ。少し寂しそうな気配を醸し出しているけれど、大丈夫だろうか。


 「え、ええ。もちろん構いません。そうだろう、セレスティア」


 クロの言葉に困惑しつつソフィーアさまが答えて、無言のままのセレスティアさまへ問いかける。


 「…………」


 「お、おいっ!? 気を確りと持てっ!」

 

 気になって後ろを少し振り返ると、黙ったまま歩くセレスティアさま。なんつー器用な事をしているのだろうか。口を真一文字に結んで、白目を剥きかけているような。ご令嬢さまとしての品位が欠片もないなあと、苦笑いになる私。アクロアイトさまは変わらずどうしたものかと困惑している。


 「ええい、しゃんとしろっ!」


 ぱんと音が鳴るけれど、私の動体視力では捉えることが出来なかった。


 「はっ! 失礼いたしましたですわっ!」


 後で話を聞いたジークとリンによると、それはそれは綺麗で見事なローキックがソフィーアさまからセレスティアさまへ齎されたとのことだった。

 凄く妙な言い回しをしつつセレスティアさまが元に戻ったけれど、まだ頭の回転は弱いままで。鉄扇を広げてどうにかご令嬢の体裁を整えているけれど、クロが語り掛けたことによってキャパシティーが超えておりくるくると目が回っているような。


 『驚かせてごめんねえ……。ボク、やっと喋れるようになったんだ。それで、二人と沢山喋りたいなって思ってて』


 クロの言葉がだんだんと尻すぼみになっている気がする。


 『えっと、えっと。名前で呼んじゃ駄目かな?』


 お二人に向けてこてんと首を傾げるクロ。ちょっとあざといなと思わなくもないけれど、可愛いから許せる。

 

 「はい、是非。私はソフィーアとお呼び下されば嬉しく存じます」


 「……わたくしはセレスティアと呼んで下されば」


 少し戸惑いつつも確りと返事を返したソフィーアさまと、何かを考えているのか少し反応が遅れて言葉を発したセレスティアさま。セレスティアさまの頭の中は大変な事になっているのだろう。


 『ありがとう。ボクのことはクロって呼んで欲しいな。ナイがボクに付けてくれた名前なんだ』


 クロは先程から同じ説明を繰り返しているなあと、おかしくなる。でも大事なことで必要なことだ。直接伝えられるのと又聞きでは、クロに対して向ける感情が違ってくるだろうから。

 

 『良かったあ。ソフィーア、セレスティア、これからもよろしくね』


 「はい」


 「勿論でございますわ!」


 ソフィーアさまとセレスティアさまは生粋のお貴族さまだから、許してくれるかどうか不安だったそうだ。そんなことまで理解しているのかと驚きながら、ジークとリンと別れる場所までやって来た。


 『また後でね。ジーク、リン』


 いつも二人に伝えている私の言葉を先にクロに言われてしまった。クロの言葉にジークとリンが返事をして、騎士科の校舎へと歩みを進め始めるのを確認して。


 「台詞取られた!」


 見事なタイミングで先にクロに言われてしまったのだから、少々の文句は仕方ない。


 『言ってみたかったんだ、ごめんねナイ』


 まあ良いか、クロが楽しそうだから。ジークとリンと別れて、今度は三人と一匹で歩き始める。クロは私の肩の上に乗っているだけなので、歩いてはいないけれど。

 

 「仲が良いな」


 「尊いですわ…………やはり絵師を数名侍らせておくべきでしょうか」


 セレスティアさまの贅沢極まりない言葉に、ソフィーアさまが止めておけと釘を刺した。そのうち本気で絵描きの方を連れて回っていそうだ。そういえば魔術具でカメラやビデオのようなものはないのだろうか。

 今度、副団長さまに聞いてみて、存在しなければ魔術具作成が得意な方を紹介して貰って制作依頼を出そう。写真とか沢山残せるなら思い出や記念になる。悪いことじゃないから、止める人もいないだろう。

 

 教室に辿り着いて席へ座すと、クロは何も言わないまま指定席になっている籠の中へ潜り込んで、寝息を立てはじめるのだった。

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