第373話:続・喋った。
朝食を摂って、学院へ行く前にやりたいことがある。
――アクロアイトさまの名前を呼びたい。
ずっと考えていたけれど、亜人連合国の風習で信頼している方たち以外には教えないと聞いていたから『アクロアイトさま』と口に出すことは控えていた。
ジークやリンも知っているけれど、向こうの国の風習を知っているので私と同様に口には出さなかった。介添えの侍女さんが『もうすぐ朝食ですので』と告げて部屋を去った後、何とも言えない雰囲気が流れる。
いつもなら籠の中に居るアクロアイトさまを放置していても何とも思わなかったけれど、気になって仕方ないというかもっとお喋りしたいという気持ちもある。なるべく自然に名前を呼んでも良い許可を頂きたい所だけれど、こういう思慮深いことは苦手だし直接ストレートな言葉を伝えた方が早い気がしてきた。
「あのね」
定位置に戻した籠の中でじっとしていたアクロアイトさまに向き直る。
『どうしたの?』
くっと身体を伸ばして私を見るアクロアイトさまは、こてんと首を傾げた。
「名前を呼びたいんだけれど、ちゃんとした名前で呼ぶ訳にはいかないよね?」
周りに人が居るのにアクロアイトさまと名前を呼んだら、知れ渡ることになってしまうから。エルやジョセのように短縮した名前を呼んでもいい許可を頂きたい所だけれど。
『どうして?』
ナイが名前を付けてくれたでしょ、とアクロアイトさま。
「亜人連合国だと信頼する方にしか名前を告げないって教えて貰ったからかな」
だから未だに代表さまとエルフのお姉さんズである。私はまだまだ彼らの信頼を得られていないようだ。少し寂しくはあるけれど、今以上に認めて貰うように頑張るしかない。
『オブ……代表も恰好をつけちゃったね。――そう難しく考える必要はないよ。気にする子は気にして名前を教えないってだけだからね』
体を揺らしながら喋るアクロアイトさま。最初に何かを言いかけたけれど、何のことかさっぱりなので気付かない振りをしておく。代表さまたちは別に名乗っても問題はなかったそうだけれど、突然現れた他国の人間に警戒してそのまま名前を告げられていないだけだそうで。
そうなのかとも思うし、まだまだ人として格が足りていないと言われているような気もする。長く生きている代表さまたちである。前世の記憶約三十年分とこちらの十五年分では足元にも及ばないだろうから。
生きてきた年数が長くとも、考え方や教育で随分と差が出るものだ。私はまともに教育を受けられなかった側の人間で、社会人になってから時間を掛けてようやく真っ当に生き始めたような奴である。他の人よりも遠回りしたのだから仕方ないけれど、今世は真面目に真っ直ぐに生きられれば良いなと願う。
『あ、でもボクも天馬のエルやジョセみたいに短く呼んで貰えたら嬉しいな。流石に誰彼にナイが付けてくれた名前を教える気はないから』
私が決めても良いみたい。一番単純なのは『アクロ』か『アイト』だよねえ。日本人の記憶がある身としては『悪路』と『愛人』となって、人生が大変そうとかスケコマシや貞操観念の低い子になりそうと思ってしまう。
アクロアイトさまならばそんな心配は必要ないが、ちゃんとした短縮名を考えたい。そうなると一番無難なものが頭をよぎる。
「クロじゃあ駄目? 短いけれど私の髪色とかと一緒だなって」
アクロアイトさまの鱗の色は白銀なのでちょっとイメージから離れてしまうけれど。私の我儘も入っているのかなあ。
『ボクは好きだな。ナイと一緒かあ』
籠の中から私の肩へと飛び移るアクロアイトさま、もといクロが顔をすりすりしてきた。それに答えて私も手を伸ばしてクロの頭を撫でる。
「クロ」
『ナイ~』
お互いに名前を呼び合う。さっきまでこんなことになるだなんて露にも思っていなかったけれど。
「変な感じだね」
『直ぐに慣れるよ』
せっかくお喋りできるのだからと、この際に聞きたいことを聞いておく。今は小さいけれどこれから大きくなるのとか、ご飯の量はちゃんと足りているのとか、亜人連合国の竜の方たちと交流をもっと持たなくて良いのとか。
悩んでいたことが直接当事者に聞けるようになるって凄く楽。頭を悩ませるのも良いけれど、やっぱりクロ本人の口から聞いた方が良い。
『大きくなるよ~。全盛期になればね、ボクは代表よりもおっきくなるはずなんだ』
えへんと胸を張るアクロアイトさま。竜の方にとって身体の大きい小さいは力の差の現れなので、大きければ大きいほど格があるんだとか。
『ナイの魔力を一杯貰っているから、小さくなることも出来るよ。代表は人化出来るでしょ、それの応用』
はへーと声を漏らす。で、私の魔力を沢山摂っているからご飯は十分足りているそうな。元の自分よりも大きくなるかもと目を細めながら教えてくれたし、大きくなろうと思えば今からでもできるそうな。
屋敷からはみ出す勢いで成長しそうだから、もう暫くはそのままでお願いしますと伝えると、小さくなることもできるから問題ないけれどねと首を傾げつつクロが言う。
『仔竜たちの面倒を見るのは良いけれど、畏まられるのは頂けないかなあ……。対等でありたいのが本音だったし』
立場もあったからそういう訳にもいかなかったとクロが言う。いろいろと考えることがあるのだなあと、クロの目を覗き込む。
「クロって男の子なの、女の子なの?」
ずっと気になっていたけれど、どちらなのだろう。代表さまや白竜さまは雄である。
『え、ボクに性別はないよ。というかどっちにでもなれるって伝える方が正しいのかなあ』
じゃあなんで確かめることを嫌がったのだろうか。深く突くと藪蛇になりそうだから良いかと、話の続きを聞く。
『子供を残すなら魔力を固定させれば良いだけ。魔石があればもう少し簡単に子を残せるねえ』
やろうと思えば今からでも出来るらしい。魔力に満たされているから、何でもできる万能感みたいなものを凄く感じているそうだ。そっかと納得しつつ、闇落ちとかしないで欲しいと願う。また浄化儀式を執り行うようになるのは嫌だし、クロの命を奪わないといけなくなるのは絶対に嫌だし。
部屋にノックの音がまた響く。
「大丈夫?」
これまでは私がどうぞと言って入って貰っていたけれど、クロにも同意を得なければと聞いてみる。
『あ、ナイのタイミングで大丈夫だよ。ボクこういうのは全く気にしないから』
人間の掟って大変だねと私を見てクロは言う。ノックの仕方で辺りは付いているけれど、ドアの前で立っている人を待たせるわけにはいかないと『どうぞ』と声をだす。
「ナイ、朝ご飯の時間だよ」
扉を開けてリンが顔を覗かせた。
「リン、おはよう。ごめん、遅くなっちゃったね」
本当なら食堂へ足を向けている時間だけれど、遅かったのでリンが様子を伺いに来たようだ。大丈夫、と首を左右に振る彼女。肩に乗っているクロの足に力が籠っているのが分かる。どうしたのだろうと顔を横に向けると、意を決したようにクロが口を開いた。
『――おはよう』
「っ、おはようございます」
クロが喋ったことに一瞬目を見開くけれど、直ぐに鳴りを潜めて言葉を返したリン。
『あう……』
彼女ならば普通に『おはよう』と返してくれると考えていたのだろう。時折リンの方へ飛んで行って、抱きかかえて貰い撫でて貰っていたから。
「リン、普通に接してあげて。クロも緊張してるから伝わるんじゃないかな。リンなら気にしないからいつも通りで大丈夫だよ」
苦笑しつつリンに声を掛ける。
「良いの?」
「うん。クロもそうして欲しいって言っていたからね」
クロが乗っている方の肩を少し上げれば、リンの方へ飛んで行き腕の中にすっぽりと収まる。
『突然だけれど喋れるようになったんだ。君のことはリンって呼んで良いかな?』
腕の中に居るので、リンの顔を見上げているクロ。
「もちろん。でも私は君のことをどう呼べば良いの?」
社交的だよねえクロって。長く生きてきた記憶がある為か、リンとのやり取りは順調そのもの。
『さっきね、ナイがボクのことをクロと呼ぶって決めてくれたんだ。だからリンもそう呼んでくれるとボクは嬉しい』
「クロ。ん、良い名前だね」
『ありがとう、これからもよろしくね。――他の人にもそう呼んで貰えるかな?』
「クロが願えば呼んで貰えるよ」
リンの方へ近寄りクロの言葉に答える。子爵邸の人たちへの邂逅も驚かれているけれど順調そうだし、クロが望めば呼んでくれるだろう。一部の方は敬称が付くかもしれないけれど。
「そうだね。ナイ、ご飯冷める。クロも一緒に行こうね」
彼女の言葉に苦笑いを浮かべながら、食堂へと向かう一匹と二人だった。
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