第372話:喋った。
目が覚める。――随分とすっきりとした寝覚めだ。昨夜、右腕を枕代わりにアクロアイトさまに差し出すと、機嫌よく頭を乗せていた記憶が残っている。
そのアクロアイトさまは私の枕元で身体を丸くしてまだ寝息を立てていた。眠たくてその後のことを覚えていないけれど、凄く重要な事を忘れているような。
――ナイ~、おやすみ。
ああ、そうだ。アクロアイトさまが喋ったような気がしたのだ。以前も部屋の中で名前を呼ばれたような記憶が残っている。
もしかして以前から喋れていたのに、喋れることを隠していたのだろうか。賢いから、何かしらの理由があって隠していただけの可能性だってある。黙っていたとしても何も問題はないのだし。
寝ているアクロアイトさまを、起こさないようにと気を付けながら背中を撫でる。小さく寝息を立て気持ちよさそうに寝ていた。
あまり撫でていると起きてしまうと、ベッドから身体を起こして両手を身体の前で組み天井へと伸ばして背中も伸ばす。ごきごきと背骨が鳴る音を耳に感じながら、立ち上がろうとしたその時だった。
『おはよう、ナイ~』
ベッドから腰を上げようとしていたのが止まる。
「おはよう……って、え?」
反射的に答えてから後ろを振り返ると、丸くなって寝ていたはずのアクロアイトさまが起き上がって、四つ足を器用に使って体を伸ばしてからぶるると身体を振っていた。アクロアイトさまはベッドの上を歩いて私の横に座って顔を見上げる。
『少し恥ずかしいね。君たちの言葉は理解していたんだ。でも喋ることが出来なくてもどかしかったけれど、ようやくだよ』
「え、あ……はい。おめでとうございます」
状況に付いていくのが一杯で、なんだか妙な言葉を口走る私にアクロアイトさまが目を細めて苦笑いしているような顔をしている。
『む。――いつも通りで良いのに。今更ボクに気遣いなんて必要ないでしょ?』
前に性別確認しようとしていたからね、と以前の事を持ち出された。あれは単純に性別が気になっただけで深い意図はないのに。確かにセクハラに近い行為だったかもしれないが、幼い犬猫のタマタマの有無を確認するようなものである。
『いやあ、あれにはボクも驚いたよ』
どうして心の中を読んでいるのでしょうか。今の今までのことはアクロアイトさまにはお見通しという奴なのでは。というかアクロアイトさまはボクっ子なのですね。意外というか似合っているというか、まあ何にしても……。
「その節は失礼を致しました」
うっと項垂れる。本当にごめんなさい。あまり深く考えていなかった故の行動だけれど、逆の立場なら嫌だよね。
『気にしないでとは言えないけれど、そんなに落ち込まないで』
アクロアイトさまが立ち上がって、私の腕にぐりぐりと顔を撫で付ける。
「えっと、膝の上に乗せても良い?」
『許可を得なくても大丈夫だよ。ナイはボクが嫌がればやらないでしょう』
そりゃ嫌がる素振りを見せたならやらないのが普通だ。状況把握や感情抑制が出来ない子供じゃあるまいし。両手を伸ばして、いつものようにアクロアイトさまを膝の上に乗せる。姿形は変わっていないけれど、喋ると分かった途端に緊張するのは何故だろうか。
アクロアイトさまは膝上で寝転がって気持ちよさそうにしている。ぶっちゃけ、あまり肉が付いていないからこういうことはリンやソフィーアさま、セレスティアさまが適任だろうけれど。そっと手を伸ばして頭を撫でる。
『こうしてナイに撫でて貰えるのは気持ち良い。魔力の相性も関係していると思うけれど、ナイはボクたちを引き寄せやすいよね』
ボクたちというと、竜の方や天馬さまたちだろう。犬や猫は嫌いじゃないし、竜や天馬さまも嫌いじゃないけれど引き寄せすぎるのもどうなのだろうか。出会った方たちが穏やかで人格者ばかりだったから困ることはなかったけれど、これから先にとんでもない方に出会う可能性だって残っている。
「そうかな。単純に私の魔力量が多いってだけだろうし」
アクロアイトさまを見下ろしていると、アクロアイトさまは私を見上げている。なんだか妙な気分になってアクロアイトさまを抱え、いつも寝ている籠を机の上に移動してその中へアクロアイトさまをゆっくりと降ろし、私は椅子へ腰掛ける。
これで目線が大体同じ位置になった。毎度のことながら、竜の方や亜人の皆さまに天馬さまたちに気に入られているのは、単純に私の魔力の所為であろう。
特にこれと言った他の理由は思いつかない。魔力の親和性も高いみたいだし、これといった理由が特に見当たらないから。
『もちろんソレもあるけれど、ナイって怖がったりしないでしょ。元々ボクたちは人間から畏怖されているんだけれど、ソレがない』
魔力の流れで相手の感情を把握していることもあり、他人の感情に敏感なのだそうだ。多くの人間は彼らに対して、圧倒的強さを恐れ怖がる。けれど私にはソレが感じられないとか。そういう人の隣の方が楽だし落ち着くんだそうな。
『亜人連合国で暮らしても良かったけれど、あっちだとボクのことをみんな敬うから』
いや、こっちでも大変な状況に陥っている筈だけれど、アクロアイトさまは感じていないようだ。学院とか警備体制が強化されていたけれど、アクロアイトさまは以前の学院がどんな状況だったかなんて知らないしなあ。
『それにしてもナイはみんなが驚くことを沢山しているね。この数ヶ月隣で見てきたけれど、楽しいこと面白いことばかりだ』
「私が望んでそう行動している訳じゃないよ……問題が向こうからやってくるんだよ」
本当に。どうして私の下にはああやっていろいろと問題が舞い込むのだろうか。平和に穏やかな人生を歩みたいというのに、厄介ごとやとんでもない事が起こってしまう。
特に学院へ入学してからというもの、問題が凄く起こっているような。巻き込まれなければ私は、特進科のクラスの片隅で本を読みながら『お貴族さまって大変だな』と心の中でぼやきながら、学生生活を送っていたはずなのに。
『楽しいから良いんじゃないかな。――黒髪黒目は古代人に多くあった特徴で、彼らはボクたちを使役出来る程に強大な魔力持ちが多かったんだ』
その頃の大陸には人間の数は少なく、竜や幻想種と呼ばれる種族や亜人の皆さまが住んでいた。古代人と呼ばれる人たちは極少数だったけれど、共存したり契約して使役も出来ていたとか。
他の大陸からやって来た――ようするに帝国がある大陸のことだ――人間にどんどんと住処を追われて迫害されてる。こちらの大陸に住んでいた古代人も大陸からやって来た人たちとの混血化と純血に拘る人たちに別れて、純血の方たちは数をどんどん減らして自然消滅したとか。
「私は先祖返りみたいなものなのかあ……」
それか突然変異……一緒か。魔力が多いという点も一致するし、血の不思議というかなんというか。
アクロアイトさまの口から知ることになるとは全く考えていなかったけれど、ご意見番さまの知識が残っているらしい。記憶という名の思い出を引っ張り出すことは難しいみたいだけれど、ご意見番さまが溜め込んだ情報を引き出すのは安易に出来ると。
『だからボクたちは君に惹かれやすいのかもしれないよ』
籠から飛び出て、私の肩に乗るアクロアイトさま。それと同時に部屋の扉を二度叩く音が響いた。
「どうぞ」
私の声に『失礼致します』という声が扉の向こうから聞こえて、ドアノブが回された音が鳴る。侍女さんたちがしずしずと頭を下げ、扉の前でいったん止まる。
「おはようございます、ご当主さま。お着替えの手伝いをしに参りました」
代表格の方が私へ声を掛けた。
「おはようございます。よろしくお願いします」
『おはよう~』
お貴族さまとなって数ヶ月、この介添え着替えも慣れてきたなあとしみじみ感じる。最初は自分で着替えようとしたけれど『私たちの仕事を奪わないで下さい』と懇願された。侍従として主人にそういうことはさせられないそうで、侍従としてのプライドもあるとかなんとか。
「――っ!!!?」
「!???」
あ、アクロアイトさま普通に挨拶を返しちゃった。目を真ん丸に見開いて、侍女のお二人が顔を見合わせた。
お一人は回れ右をして廊下を足早に去っていき、もう一方は部屋へと入って平然を装い着替えを手伝ってくれる。けれどアクロアイトさまの方へ時折視線をやって、気にしているようで。
『あ、ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだけれど……』
着替える為に私の肩から籠の中へ移動していたアクロアイトさまが、介添えの侍女さんへ声を掛けた。
「い、いえっ!! 失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんっ!」
アクロアイトさまが喋って語り掛けてくれたことに対し、普段よりも二トーンくらい声が上がっている侍女さん。あ、もしかしてさっき言っていたことはこういう事なのだろうか。確かに声が上ずったり、彼女のようにカチコチに固まったりはしていないな、私。
『ようやく喋れるようになったんだ。みんなと沢山お喋りしたいから気兼ねなく声を掛けて欲しいなあ』
他の人たちにも伝えてくれると嬉しいと言葉を付けたしたアクロアイトさま。
「ひゃ、ひゃい!」
びしっと立ち礼する侍女さんに、アクロアイトさまが目を細めて苦笑している。ただ、アクロアイトさまが喋れるようになったのは本当に嬉しいことで。ジークやリンにクレイグとサフィール、ソフィーアさまとセレスティアさまにお屋敷で働いているみんな、亜人連合国の人たちにも早く知って欲しいなあ。
でも、まあ取り合えず。名前、呼びたいなあとアクロアイトさまを見つめるのだった。
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