第363話:【前】びゃああああああ。

 学院が終わり、子爵邸へといつものメンバーで戻った。お迎えの人たちに挨拶を交わし、自室で着替えて執務室へと向かった。途中、私の影からロゼさんがひゅばっと出てくる。床へ丸い身体を付けてぷるんと一度揺れた。


 『マスター、ロゼは図書室で本を読む』


 「うん。いってらっしゃい」


 相変わらずロゼさんは勉強熱心で、暇さえあれば図書室に籠っている。読む本はもうない筈なのに、興味がある物や役に立つものを何度も読み返しているそうだ。

 

 ちなみに古代魔術の術式が記された本は、エルフの街からこっそりと妖精さんたちが持ち出した物だった。妖精さんたちのお茶目ならば、エルフの方々の許可を得ていないだろうと考えて、お姉さんズに連絡を取り話を伝えると、案の定しれっと書棚から拝借してきたようで。

 すみませんと平謝りする私に、お姉さんズは妖精がしたことだからと笑って許してくれたし、興味があるならばそのまま所持していても大丈夫だと言ってくれた。それを知ったロゼさんと副団長さまは歓喜する。魔術と魔法って似ているようで違うし、古代と修飾語が付くので興味が物凄くあるとのこと。本当にロゼさんと副団長さまは仲が良いけれど、妙なことにならなければいいが……。


 ロゼさんが図書室へと消えると、私の肩に乗っているアクロアイトさまが顔を寄せてきた。満足すると顔を離して肩の上で足踏みを始めた。


 「ん、どうしたの?」


 どうしたのと問うても答えてくれることはないけれど、足踏みを続けている。なんだろうと腕を伸ばして抱きかかえると、大人しく腕の中に納まったアクロアイトさまは一鳴きした。

 抱きかかえ直して、執務室の扉をゆっくり開けると、部屋の中には既にソフィーアさまとセレスティアさまの姿が。ジークとリンも廊下で合流して警備に就いている。家宰さまであるギュンターさまも部屋の中で作業を行っていた。

 

 「お疲れさまです」


 アクロアイトさまが私の腕の中から飛んで、定位置となっている籠の中へと納まった。何度か足踏みして居心地の良い場所を選んで、丸くなって寝始めた。


 「ご当主さま、お疲れ様です。――こちらが本日分となっております」


 本来なら午前中に済ませている事務仕事を、夕食前に全て終わらせるつもりだ。ギュンターさまが優秀で、本当ならもっと時間を取るとソフィーアさまとセレスティアさまから聞いた。 

 お貴族さま的なことも少しづつ習ってはいるけれどまだまだ未熟だし、学生としての勉強を優先させれば良いと周りの方たちは言っている。卒業したらゆっくりと貴族として学べば良いとも。

 子爵位は一代限りなので深く考えなくて良いけれど、男爵位の方って領地貴族となる……私が死んだら返上だろう。結婚する気はないし、子供は欲しくはあるけれど相手が居ないと無理なことだし。

 

 『びやぁぁぁあああああああああああああああああ!』


 考えごとをしつつ決済の判子を押していたら、突然子爵邸に悲鳴が鳴り響く。アクロアイトさまががばっと身体を起こして、キョロキョロと周りを警戒し。


 「何だ、今の声は!」


 「何事ですの!」


 「凄い声がしましたね」


 「何でしょうか……」


 執務室で作業をしていたソフィーアさまとセレスティアさま、ギュンターさまと私が一斉に顔を上げた。ジークとリンは警戒態勢を取って、剣の柄に手を添えている。


 『びやぁぁぁあああああああああああああああああ!』


 また悲鳴が響くと慌てた様子で侍従長さまが、執務室へ顔を出した。


 「ご当主さま、庭師の者が裏手の菜園の方へ来て欲しいと……」


 その言葉で何となく察してしまうのはどうなのだろうか。そしてソフィーアさまとセレスティアさまとギュンターさまからの視線が痛い。


 「分かりました。直ぐに参ります」


 何かやらかした訳ではないのに、この視線の痛さ。ワザとやっている訳じゃないし、何故か不思議なことが私の周りで起こりやすいだけ。私が席から立ち上がると籠の中からアクロアイトさまが飛んできたので、腕を伸ばすと肩ではなく腕の中に納まった。


 「私も行く」


 「わたくしも行きますわ」


 ソフィーアさまとセレスティアさまが立ち上がり、ギュンターさまはこのまま仕事を続けるそうだ。ジークとリンへ顔を向けると頷いてくれたので、一緒に付いて来てくれる。五人で執務室を出て家庭菜園を目指す途中。


 『マスター!』


 「ロゼさん」

 

 少し慌てた様子のロゼさんとも合流し、みんなで一緒に裏手へ回って庭へと出る。

 

 『びやぁぁぁあああああああああああああああああ!』


 また叫び声が響いて、みんなで顔を見合わせる。以前、夜中に響いた叫び声はジョセの声だった。生みの苦しみ故の叫び声だったので誰も責めたりしない。今回は何度も響く叫び声に、子爵邸で働く人たちも驚いて騒ぎになっている。庭師の小父さまは大丈夫だろうかと心配になってきて、歩く速度が自然に上がる。


 『びやぁぁぁあああああああああああああああああ!』


 家庭菜園までもう少しという所でまた叫び声が上がり、声が聞こえた方へと視線を向けた。


 ――人参が叫びながら走ってる。


 一体なんだというのだろう。何故、人の家の庭で人参が叫びながら走っているのだろう。

 

 「……」

 

 「…………」


 ソフィーアさまとセレスティアさまは無言だった。恐らく頭の中で必死に状況整理しているのだろう。


 「……ナイ」


 「人参が走ってるね」


 ジークが私の名前を呼び、リンが軽い口調で事実をそのまま告げた。


 「ね」


 リンの声に私が短く同意の言葉を返すと、ソフィーアさまとセレスティアさまが思考の海から上がったみたいで。


 「"ね"じゃないぞっ! 何だアレはっ! どうして人参が走りながら悲鳴を上げているんだ!!」


 私の両肩を掴まれて問われても私も分からないので、答えようがない。アクロアイトさまはがくがく揺れる私の体が気になったのか、リンの方へ避難していた。ロゼさんは脅威がないと判断したのか、影の中へ。


 「人参が叫ぶだなんて聞いたことがありませんわ。しかしナイの魔力の影響でそうなったと言われてしまえば納得できてしまいますが……」


 納得しないで下さい。私は納得できていないし。というか何でこんなことになっているのだろう。畑の妖精さんに種を預けて育てて貰っていただけなのに。――……あ!


 「ああ、ご当主さま!」


 『びやぁぁぁあああああああああああああああああ!』


 庭師の小父さまが顔を出したその時、また叫び声が上がる。


 「…………いえ、あの。スミマセン」


 何故か自然に詫びの言葉が出てきた。庭師の小父さまは苦笑いを浮かべ、走る人参の方へ顔を向けた。


 「ああ、いえ。エルさまとジョセさまに教えて頂きました。妖精の長が持って来て下さった種が原因ですが、害はないので暫く放っておいても平気だと」


 急ぎの問題ではないけれど、こう叫ばれては敵わない。というかこの原因はお婆さまがエルフの街から持ってきた種が原因か。なるべく植えないようにしていたのだけれど、なにかの切っ掛けで混ざってしまったのだろう。


 「エルとジョセは?」


 「ルカさまが走る人参を追いかけて行ったので、そちらへご一緒に」


 どうしようかと悩んでいるとアクロアイトさまがリンの方からこちらへ飛んできて、私の服を噛んだ後に飛んで行った。暫く待っているとアクロアイトさまとエルが一緒にこちらへと顔を出し、みんなの下で止まる。


 「エル、呼びつけてごめんね。――ありがとう」


 一緒に子育てしていたのにエルだけ呼び出したことを謝り、アクロアイトさまには感謝の言葉を。


 『いえ、お気になさらないで下さい。しかし"マンドラゴラもどき"が現れるとは』


 マンドラゴラではなくマンドラゴラもどき……。マンドラゴラの叫び声を聞くと死ぬと噂を聞くけれど、本当に死んでいるならば誰もその事実は知らないはず。仮定の話でしかないし、叫び声を聞いてもなにも起こっていない。マンドラゴラもどきって何だろうと考える前に、やるべきことがある。


 ――お婆さまっ!!!


 強く念じつつ、魔力も少しばかり練る。本当にお騒がせな方である。いや、まあ畑の妖精さんたちにも文句を言わなきゃならないけれど。


 『呼ばれたから、飛び出てきたわっ!』


 少し待っていると、陽気な声を上げながらお婆さまが姿を現した。


 「……お婆さま」


 『え? え? 何で怒っているのかしら……』


 「取りあえず、お話しをしましょう」


 にっこりと笑って、お婆さまを見つめるのだった。

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