第344話:【後】ジークと少年。
――孤児院。
教会が運営している為か、どこかしら教会のような趣があった。院長もシスターで施設の中にはステンドグラスがあったり、教典も置かれている。
飯を食べる時も神に祈りを捧げているが、ルールだから仕方なく口にして食事にありついていた記憶が残っていた。ナイが子爵邸の調理場から頂いてきた果物を紙袋に入れてくれ、馬車に乗りここまで来た。
御者の人が暇をしているから乗っていっても問題ないと言われれば、乗るしかなくなる。子爵邸から孤児院までは徒歩だとキツイから有難いことだが、気を使い過ぎではなかろうか。
「兄さん、行こう」
リンが俺に声を掛けた。
リンの手にも孤児院へ向けた土産がある。着なくなった服をいくらか持って来ていた。貴族の使用人を子爵邸では幾名か採用しているので、そういう方たちから要らない服を頂いていた。ナイも子爵位だし、あまり着回していると貧乏だと噂が立つので、繕ってまで着ようとはしなくなっている。
俺たちも戸籍上は男爵家の子女だから、見苦しい恰好は出来ないので着なくなった服は孤児院へ寄付していた。俺の場合、身体の成長が早いから子供に合わないと言ったら、ナイは寝巻にでも出来るから大丈夫だと笑って、着なくなった俺の服を袋に詰めていた。捨てるより全然良いことだから構わないが、ナイもよくいろいろと思いつくものだと感心していたのだが、笑顔で服をぶんどって行くあたり遠慮がない。
「ああ」
勝手知ったる孤児院だ。勝手に入り口の扉を開けると、遊んでいた子供たちが一斉にこちらへ顔を向けた。
「ジーク兄っ! リン姉っ!」
「聖女さまは?」
「遊ぼうっ!」
「読み書き教えてっ!」
俺たちに駆け寄り、口々に捲し立てる子供たちに苦笑しながら、目敏く食べ物を見つけた子が物欲しそうな顔を浮かべていた。今日の夕飯にでもデザートとして出てくるだろうから今は我慢してくれ、聖女さまは今日は居ない、院長に用事があるから遊ぶのも読み書きも後でなと言い残して院長室の前に立つ。
ゆっくりと二度ノックをして暫く待つと中から『どうぞ』とくぐもった声が聞こえてきた。リンと顔を見合わせてドアノブへと手を伸ばす。音をなるべく立てないようにと気を使ったのに、随分と蝶番の音が大きく鳴った。執務机に座す院長へ頭を下げると、顔に深い皺を刻んで笑みを浮かべた。
「いらっしゃい。ジークフリード、ジークリンデ。聖女さまのお噂はこちらにまで届いておりますよ」
王都の孤児院はいくつかある。ただの聖女であった時は、この孤児院を支援しているだけだった。ナイが子爵位を得てからは三か所を順繰りに回っているから、どうしても期間が開いてしまう。短い間だったが俺たちが世話になった所なので、この孤児院には思い入れはある。ナイも同様で他の二ヶ所よりも、気にかけていた。
「お久しぶりです、院長。中々顔を出すことが出来ず申し訳ありません」
「どうも」
俺の言葉の後にリンが短く言葉を発し頭を下げた。リンが喋るのは得意ではないと知っている院長だからまだ良いが、もう少し愛想というものを身に着けて欲しい。俺自身もそう愛想はないが、それなりに取り繕えているはずだ。
土産の果物と古着を院長へ手渡すと、後でナイにお礼状を書かないとと言いながら喜んでいた。古着はサイズが大きいので手直しでもして使ってくれということと、果物はご飯後のデザートにでもと用途を告げる。
「こちらへ来る度に何かしら持ち込んでくれるのは有難いけれど、無理はしないでね」
「聖女さま曰く、無理のない範囲で出来ることを、と言うことなのでお気になさらず」
「もしかして、保護された子たちが気になっているのかしら?」
院長が穏やかな顔を浮かべてそう言った。やはり見透かされているか。妹が倒れてしまうほど栄養不足だったという訳ではないが、ガリガリのやせっぽっちだったのは同じだ。
公爵閣下の一声で俺たち四人は救われたし、兄妹もナイの一声で救われた。似ているかどうかは、個人が勝手に判断すれば良い。助けを求めた少年が、ナイの言葉を裏切ることだけはして欲しくない。
「ええ。妹の経過と兄がどう過ごしているか気になりまして」
妹の方はゆっくりと回復していると耳にしたが、兄の方、ナイが覚悟を問うた少年がどういう状況で今を過ごしているのか、情報が少なかったのだ。空きっ腹に詰め込むものは詰め込んだはずである。妹の方が状況が悪かったのだ。先に動き出すべきは兄の方だろう。
「なら、こちらへいらっしゃい」
ゆっくりと椅子から立ち上がった院長に、奥の部屋へと案内された。施設で預かっている子供たちは立ち入り禁止の場所だった。
「そう気負わずに。――聖女さまの治癒が間に合ったから、あとはゆっくり食事と睡眠と運動で問題は解決するわ」
「報告では、そのように聞いております」
「私たちが嘘を吐いても仕方ないでしょう?」
院長が嘘を吐く理由などないし、嘘を吐いたとして得をすることがない。
「そういう意味では。ただ兄の方がどう過ごしているのか気になっただけですので」
「あら、どうして?」
「経緯はどうであれ、聖女に対し治癒の対価で自身の未来を差し出しました。死なれてしまっては困ります」
ナイの治癒を受けて、対価として差し出したのだから無能では困るし、死なれても困る。そうなってしまえば、ナイが気にしてしまう。
「手厳しいですねえ、ジークフリード」
「そうでしょうか」
ええ、と院長が微笑みを浮かべて部屋の扉を開けた。ベッドの上には妹が寝ているのか、静かに胸を上下させていた。兄はその様子をじっとみていた。部屋に入ってきた俺たちに気が付いて、丸椅子から立ち上がる。
「お前は……あの時の騎士だなっ!」
むっとした顔を浮かべて兄が声を上げた。逆毛を立てている猫のようだと笑いたくなるのを我慢する。あんな所で生きてきたのだ。どのくらいの時間を過ごしたのかはしらないが、人間不信に陥るのも当然か。
「大きい声を出すな。大事な妹が目を覚ますだろう」
兄に告げた俺がおかしかったのか院長がくすりと笑った。
「うっ!」
「お前の名前は?」
「……テオ」
「そうか。――テオ、お前はこれからどうするつもりだ? ずっとここで世話になるのは無理だ」
そうだ。立ち止まっている暇などない。必死で考えて藻掻いて何かを掴み取っていかなければ、妹を守るなんて夢物語だ。ナイに助けられた俺たちだが進むべき道は自分で決め、今の俺たちが在る。
ナイは聖女になったから俺たちに騎士になれとは一言も言っていない。俺もリンもクレイグもサフィールも己で決めたのだ。
後ろ盾が公爵閣下だったので多少の影響があったのかも知れないが、それでも誰かに言われて仕方なく……なんてものではない。
目の前の少年がどういう道を選ぶのかは、彼次第。だが今ここで発破を掛けておかないと、貧民街から抜け出せた安堵で腑抜けてしまう可能性がある。
「オレ、今は妹のことしか考えられねえ。――でも妹が元気になったら、あの黒髪の聖女の役に立ってみせなきゃならねえ!」
俺の顔を見上げて真剣な顔でテオは言い切った。ナイもナイで随分と煽っていた。対価がなにかしらないと治癒が出来ないから仕方がないとはいえ、テオから言葉を引き出す為に嫌な役目を負ったものだ。
「そうだな。あれだけ啖呵を切っていたからな」
「でも……何をすりゃいい……何をすればあの女の役に立てるんだ……」
取りあえず、その言葉遣いを直せと言いたくはあるが……。
「妹が回復したら、勉強しろ。分からないなら周りに聞いて頼れ。お前が目指す未来は、自分で選ぶべきだ」
そう、自分で決めたというならナイが道を示してくれるさ。あんな環境下で過ごしてきたんだから、どんなことが起きても大抵のことは大したことじゃないと切り抜けられる。
今は誰かに頼るなんて難しいかもしれないが、いずれ誰かを頼ることになる。一人で生きていくことは難しい。一人じゃなくて良かったな。お前には守るべき妹が居るんだ。兄として踏ん張りどころだろう。――だから。
「黒髪の聖女に助けられて俺は騎士になった。俺の妹もだ」
俺を見ていたリンの方へ顔を向ける。
「金勘定に強ければ商家で働くこともできるし、子供の世話が好きなら孤児院で働くこともできる。魔力が多いなら魔術師だって目指せるんだ」
クレイグもサフィールも自分が出来ることを選んで、その道に進んだ。力に自信があるなら単純労働だってある。
勉強が得意なら、城に務めることもできるだろう。あまり言い過ぎるとテオが決められなくなりそうだから、多くは言わない。ナイも、テオが自身で何かを決めない限り口は出さないだろう。彼が決めないならば、アイツはなかったこととして扱うはずだ。
「時間ならある。迷って良いんだ。――決めたなら、走り切れ」
柄ではないなと心の中で苦笑する。だが、先達としてテオに発破を掛けるくらいは許して欲しい。必死になってナイに助けを求める姿が、どうしても昔の自分と重なった。泣きそうな顔で確りと俺の言葉に頷いたテオの頭を乱雑に撫でる。
「痛えよ!」
「そうか」
またテオの頭をくしゃくしゃに撫でまわすと、先ほどまでの泣きそうな顔はどこへやら。彼の未来がどんなものかは分からないが、あのまま貧民街で生きるよりも良い未来になるのは確実なのだろう。テオはナイと関わってしまったのだから、何度も面白おかしい目に合う可能性もあるのだが。今は知らなくても良いかと、部屋を後にするのだった。
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