第343話:【前】ジークと少年。
――朝。
いつもの時間に目が覚める。ベッドの上で短く切っている赤髪の寝癖を手櫛で雑に直す。習慣というのは恐ろしいもので、睡眠時間が短くとも勝手に目が覚めるようになった。
部屋のカーテンと窓を開けて朝陽を浴びつつ冷えた空気で、寝惚け眼の目を覚醒させる。窓の桟に腰掛けて部屋を見渡す。随分と広い部屋を与えられたものだ。まあ、ナイの一存と言っても過言ではないが。
王家から子爵邸を賜った時に、いろいろと揉めたものだ。
ナイは狭い部屋の方が落ち着くからと、住み込みの侍女や侍従に宛がう部屋を望んだが、あのご令嬢二人に端から却下されていた。
無理なことを理解していながら言っているのだから、学ばないと切り捨てるのは簡単だ。元々、自分より他人を……俺たちを優先させる気がある。もう少し俺たちが確りとすべきだが、彼女の護衛という立場上見守ることしかできない。
二階の一番奥にある主室がナイの部屋となった。引っ越した初日に広すぎて落ち着かないとぶつくさ言っていたが、最近は慣れたのか諦めたのか何も言わなくなった。
俺も宛がわれたこの部屋に心の中で広すぎだと零したのは内緒だが。リンも同じ気持ちだったようで、暫くの間は慣れない様子だった。それまでは教会宿舎で暮らしていたのだから仕方ないと言えるが、ナイが爵位を賜って屋敷まで貸与されるとは、四年前の俺たちなら考えられない出来事だ。
凭れていた窓の桟から身体を離し、部屋着から私服に着替えて部屋を出ると、俺と同じタイミングでリンが部屋から姿を現した。
「おはよう、兄さん」
「ああ。おはよう」
妹のリンと一緒に子爵邸の廊下を歩く。今日は学院も護衛騎士としての仕事もないが、少しやりたいことがあった。朝飯は子爵邸の食堂で幼馴染五人が集まって一緒に食事を摂るのが日課となっている。俺とリンが一番に着いたようで誰も居ない。いつもの席に腰掛けてみんなを待つ。
俺もリンも喋る方ではなく無言だが、今更気にすることではないし、これが常だ。必要以上は語らない。それが俺たち双子の間柄。俺たちに少し遅れてクレイグとサフィールがやって来た。
「ジーク、リン、はよ」
クレイグはまだ眠いのか、挨拶が適当になっていた。
「おはよう、二人とも」
まだ眠そうなクレイグに苦笑いをしながらサフィールが俺たちに朝の挨拶をくれた。その言葉に俺たちも挨拶を返し、席に着く二人を見ていた。子爵邸に遅れて住むようになったが、随分と慣れてきている。
ナイの後ろ盾が凄い事になっているが為に気後れするかと心配もしていたが、クレイグは家宰殿と上手くやっているようだし、サフィールも託児所で子供と仲良くやっている。
「ごめん、お待たせ。――おはよう、みんな」
肩に幼竜を乗せ、数日前に創造魔術で作られたスライムを引き連れてナイがやって来た。遅れてごめんと謝っているが、侍女の方々が上手く時間調整をしているからだ。ナイに挨拶をそれぞれが返して、席へと着く彼女。食事が運び込まれる前に本題を話してしまおうと、この屋敷の主を見る。
「ナイ、少し良いか?」
「うん、ジークどうしたの」
席に座ったナイが不思議そうな顔をして俺を見た。幼竜は気を使ってナイの肩の上から降りて、用意されている自分の籠の中で大人しくしているし、スライムもナイの足元でじっとしている。
彼女の周りでは不思議なことが起こり過ぎているが、もう慣れてしまっている自分が居る。魔力量が他人よりも多いのだから、懐かれやすいのだろう。驚くよりも、言い方は悪くなってしまうが、利用するくらいの気概で居た方が楽である。
「少し前に貧民街から孤児を拾い上げただろう」
違法な魔術師に利用されて保護された兄妹だ。ボロボロの服を着ていれば、貧民街に住む子供だと直ぐに分かってしまう。悪い大人はそういう子供を見つけて利用する。金を少し与えれば、危険な橋を簡単に渡らせることも出来てしまう。
俺たち兄妹が簡単に大人に利用されなかったのはナイのお陰だ。
一緒に過ごし始めた頃から、彼女は周りの子供よりも随分と確りしていたし頭も回った。無茶をして街の連中に殴られて帰って来たことが何度もあるが、腕の中にはちゃっかりと食料を握りしめており、独占はせず俺たちに平等に分け与えてくれた。
「うん。報告だと孤児院で元気にしてるみたいだけれど、妹さんはまだ少し時間が掛かるだろうって」
兄の方はまだ元気だったが、妹の方は随分と消耗していた。ナイの見立てだと飯を食べていないことによる弊害だと告げた。もう少し遅ければ危なかっただろうとも。
「様子を見に行きたいんだが、構わないか?」
「今日の話だよね」
「ああ」
「お休みの日だから、ジークが判断して良いよ」
孤児院に寄付をしているだけでなく、ナイが赴くときは何かしらの差し入れを持って行っている。時間に余裕がない時は無理だが、彼女曰くお金よりも現物支給の方が使い込みが難しいからねと以前からの口癖だった。
そういうことには目端が利くのに、自分の金には何故無頓着だったのかと盛大に問い詰めたいが、本人も後悔しているようだから何も言うまい。
「兄さん、私も行く」
「お前もか? それは構わないが……」
ナイが外に出るとなれば俺かリンが彼女についていなければ。教会騎士としてのルールだし、守らない訳にはいかない。妹がナイを置いて珍しいが、彼らの立ち位置は俺たちに酷似しているから、兄妹がきになるのだろう。
「今日は外に出る気はないから。リンも様子を見てきてくれるなら安心だし、こっちは大丈夫だよ」
ならば構わないかと判断する。ナイも教会が課しているルールには厳格だ。守らなければ俺たちにも累を及ぼすから無茶をしない。ナイが一人ならばルールなど知ったことかと言わんばかりに、行動しそうである。出会った頃から、俺たちの為に無茶をするし無理もする。
しかもそれを苦だとも思っていない。守ることが当たり前のように、行動を起こす。ナイだけが保護された時、もう会うことはないと考えて彼女が居ない中、残った俺と三人をどう生かすか悩んでいた。数日後、傷だらけで食べる物を抱えて貧民街に戻ってきた時は、馬鹿だと大声で叫びたかった。
だって、そうだろう? 何故他人である俺たちをそこまでして慮る。自分のことだけ考えていれば良いのに。貧民街で生きている連中なんてそんなもんだ。だがナイは俺たちに手を差し伸べてくれ、生きる術を教えてくれた。
「あ、行くならお土産持って行ってあげて。妹さんになら果物が良いかなあ」
ナイはいつだってこうだ。自分が苦労しても他人の為に気を使っている。街中まで行くと時間が掛かるといって料理長に掛け合って、果物を譲ってもらうつもりのようだ。
「すまん」
「気にしないで。ただ妹さんに与える量は気を付けてね。まだ胃が慣れていないだろうし、いきなり沢山食べても戻すか下すかだからね」
「わかった」
クレイグもサフィールも保護された兄妹のことは話してある。知っているから口を挟まず、俺たちのやり取りを黙って見ているだけだ。
「ご飯食べたら、調理場に顔出してみる。貰えないなら盗んでくるね」
それは止めておけ。貴族のお屋敷の調理場なんだ、果物くらいは常備しているだろうに。お前が言うと、冗談なのか本気なのかどちらか分からなくなる。
「ナイ」
リンが珍しく、話に口を挟んだ。
「ん?」
「ありがとう」
「お礼を言われるようなことはしてないよ。私も気になってたけれど、中々孤児院に顔を出せないから助かる。こっちこそ面倒事を増やしてごめん」
気にしないでとナイに伝える妹。リンもナイに対して大きな感情を抱いている。兄としては心配になるが、騎士としてなら心強い。屋敷の侍女の人たちが配膳を始めた。丁度キリが良いし、この話の続きは夜で良いだろう。腹に飯を掻き込んで、兄弟の様子を見に行こうと目の前に配られた飯をナイの合図で手を付け始めるのだった。
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