第339話:スライムさんの名前。
――ゴシュジンサマ、ナマエ。
私の肩の上に乗るスライムさんのお願いだった。数十分から数時間、長くて数週間程度で消えてしまう命のスライムさんを名付けて情が移ったらどうしようか。
消えてしまうと悲しい。何故か私に懐いているようだから余計である。というかご主人さまって。詠唱は従属とか服従とかの文言だったから、間違いはないのかもしれないが。屋敷でも呼ばれているけれど、未だに慣れる気配がない。
アクロアイトさまは何故かスライムさんが乗っている肩の反対側で、足踏みしたり顔を私に擦り付けたり、翼をパタパタさせたりと忙しない。時折甘鳴きもしているし、いったいどうしたというのか。珍しいなとアクロアイトさまを撫でる。
『ナマエ……』
一向に名前を付けてくれない私にしびれを切らしたのか、スライムさんがもう一度声を上げた。副団長さまが凄く興味がありますよと言いたげな顔をし、ソフィーアさまとセレスティアさまはもうどうにでもなれと言いたげ。
どうしたものかと考える。名前を付けるのが苦手だし、良い名前を付けてあげられるとも思えない。自分の名前も適当だし、アクロアイトさまに名を付けられたのは過去の記憶がふっと蘇ったからに過ぎないし。付けたら付けたで妙な展開になりそうだし、スライムさんの核は普通の魔石ではあるものの代表さまの血を垂らした特別なもの。
「子爵さま、望み通りに付けてあげて下さい。名前を与えれば貴女に隷属し、消滅することはないでしょう」
副団長さま、迷いが出るようなことを言わないで欲しい。自然の生き物ではないけれど、消滅することがないのならば不死になるのでは。生き物としての在り方が間違っているような気がする上に、勝手にそんなものを生み出しても良いのだろうか。
従属するとなれば私が死ぬと、スライムさんも一緒にお亡くなりになる可能性もあるのか。本当に名を付けて良いのかと迷う。
『……キエル、ハヤク』
うぐ。どうしよう。術式の開発者に語彙力をあげてと願っていたが、私にも語彙力というか名付けの為の知識を下さい。賢い方ではないし、知識量も劣っているから、そう簡単に良い名前なんて思いつかない。
真面目に考えると長考し始めるので、ここはパパっと響きが良さげで、この世界でも馴染むような言葉が良いのだろう。何か参考になるような出来事がなかったかなと、ここ最近の出来事を思い返す。
そういえばワインの栓を抜いて、お酢を作って貰ったなあ。
お酒は飲まないので赤とか白の差なんて分からないし、お酒よりも炭酸飲料が飲みたいと望んでしまう。天然の炭酸水に果汁を落として冷やせば作れるかな。出来れば黒いアレを飲みたいけれど、製造方法は秘匿されているとか眉唾ものの噂を聞いたことがある。
そんなことよりスライムさんの名前である。赤ワインを何かの名前で料理長が言っていた。何故そんな名前が赤ワインに付けられたのかは分からないけれど、響きは良い。ちょっと女の子っぽい名前だけれど、スライムさんの性別は分からないし。
「ロゼ、はどうかなあ?」
『!』
決めた名前を声に出すと、また魔力が減っていた。本当に私の魔力をバカスカ吸い取るけれど、翌日には回復しているあたり私も大概だ。普通は寝込んだりするものだけれど、慣れてきた証拠なのだろう。エルフのお姉さんズから賜った、極上反物の効果も大きいけれど。
『マスター。ナマエ、アリガトウ』
先程よりも少しだけ言葉が流暢になっていた。名付けが功を奏しているのだろうか。ご主人さまからマスター呼びになっているけれど、私の心の中を察しているのだろうか。本当に不思議だと考えていると私の肩からスライムさんがぴょんと飛び降りて、地面で丸くなってちょっとだけ身体を上に向ける。
恐らく顔を私に向けたのだろう。球体な身体なので、どこが正面でどこが後ろなのか全く分からないけれど。魔石はスライムさんの体内で核となって存在はしているはず。核がないと生きられない魔物だから。
「どういたしまして。――私の名前はナイと言います。これからよろしくね」
スライムさんと顔の位置を合わせる為にしゃがみ込んで挨拶をした。
『ヨロシク、マスター』
随分と言葉が達者である。今しがた創造されたスライムさんだとはとても思えない。ただ、こうして意思疎通が出来るのならば良い付き合いが出来そう。
「――と」
アクロアイトさまが私の肩を蹴って地面へ降り、スライムさんの横へと並び立つ。また大きな声で一鳴きした。
『オマエ、シャベレナイ』
おや、と首を傾げる。副団長さまやソフィーアさまとセレスティアさまも同様だった。スライムさん、もといロゼさんの言葉に対して、アクロアイトさまがまた鳴く。
『オコッテモ、オマエ、シャベレナイ』
状況を鑑みるに私と会話を交わしていることが、アクロアイトさまにとって喜ばしい状況じゃないのだろうか。
同じようなことをロゼさんは言い放っているけれど、その言葉がアクロアイトさまにクリティカルヒットしたのか頭を地面に下げて項垂れている。なんだかライバルでも現れたかのような状況だなと苦笑しつつ、しょぼくれているアクロアイトさまを抱える。
「言葉が通じなくても、気持ちは通じているんだから大丈夫」
抱きかかえてからそう伝えるとアクロアイトさまが甘鳴きして、私の脇に顔をぼすっと埋めた。汗臭くなきゃ良いけれどと願いつつ、スライムさんを見るとまん丸な体をぽよんと揺らした。いつかはアクロアイトさまと話せる日がくると良いけれど。
「えっと、これからどうしますか?」
自然に還りたいならそうすべきだ。創造したから人工物だと言われそうだけれど、元々は自然に生きる生き物……もとい魔物だし。
『マスター、ソバニイル』
あれ、どうしよう。てっきり自然に還るものだと考えていた。アクロアイトさまを連れているのに、ロゼさんまで引き連れることになるのだろうか。
『ダメ?』
まん丸だった球体がでろーんと横に伸びた。なんだろうこの感情表現豊かなスライムさんは。
「駄目じゃないけれど……目立つなあって」
これに尽きる。礼拝日にロゼさんとアクロアイトさまを引き連れて教会へ赴けば、また好奇の視線に晒されてしまう。アクロアイトさまだけでもかなり目立っているし、護衛の騎士を引き連れている時点でも凄く目立っているものね……。
子爵邸の中は好きにしても良いと思う。天馬さまであるエルやジョセは、子爵邸で働く人たちに受け入れられている。最近は護衛の騎士さまや軍の人とも交流を広げているようで、休憩時間に背中に乗せて大はしゃぎしている方たちを見たことがある。
童心に返っているのだなあと微笑ましく見ていると、私に気付いて大慌てで降りていたけれど。エルが問題ないと言っているし、勤務時間外なら問題ない筈である。彼らの上役である軍や騎士団の上層部に知られたらどうなるか分からないので、そこの所だけは気を付けて下さいねと伝えておいたが。
『カゲノナカ、ハイル』
まん丸に戻って体を揺らすと、縦に伸びてアーチ状になりながら私の影の中へと吸い込まれて消えた。吸い込まれたというよりも、入ったという方が正解なのかもしれないけれど。
「随分と知能が高いスライムですねえ。――やはり魔石の効果でしょうか」
なんだか確信犯の気がするけれど。考え始めると、面倒なことしか思いつかないので止めておく。
「あ、そういえば。魔石はどうしましょう?」
副団長さまが考察しながら語り掛けてきたけれど、竜の血なんてものを魔石に垂らすから。
普通の魔石から奇跡の魔石にでも変わってしまったのではなかろうか。あ、そんな魔石を私が使ってしまっても平気だったのだろうか。
おそらく副団長さまの所持している物のはずだ。授業で使った低質な魔石ならば安く買えるもので、平民の人たちが生活魔術具を動かす為に購入している。
「気になさらないで下さい。贅沢を望んでよいならば、聖女さまが生み出したスライムの観察をさせて頂けると僕は満足です」
私の影の中に居るはずのスライムさんがビクンと震えた気がした。マッドな副団長さまに目を付けられたのだから、諦める方が精神的に楽である。
無茶なことはしないはずだし、言葉の通り『観察』だけだろう。ただ尋常じゃない洞察力でいろいろと見透かされるだろうけど。子爵邸へ足繫く通っている時点で、ロゼさんは逃げられないことが確定した。
「分かりました。そんなことで良いならば」
対価も頂いているので、文句はなかった。時間があれば、副団長さまから攻撃系の魔術を習っている。ソフィーアさまとセレスティアさまも復習だと言って、時間が合えば副団長さまに師事しているし。魔力を込めすぎて不発に終わったり、威力調整が中々難しくはあるけれど、楽しい時間でもあった。
今度、魔物討伐に参加する機会があれば前線配置を願い出るつもり。この話を誰かに伝えると止められそうなので、まだ誰にも言っていないけれど。ジークとリンは感付いていそうだ。副団長さまの訓練を受けていると、微妙な顔をしていることがある。
「いったん教室へ戻りましょう。――特性解説や事後処理をしませんと」
副団長さまの言葉に従って、グラウンドに出ていた特進科の生徒たちがぞろぞろと教室へと戻る。
もちろん、スライムさんたちも引き連れて。
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