第321話:お手紙の返事。

 ――おはようございます、聖女さま。


 やはりこのタイミングなのかと深い溜め息が出そうになるけれど、我慢ガマン。被っていた猫は百匹単位で逃げてしまったので、自力で笑顔を浮かべるしかない。

 ポーカーフェイスや演技は苦手なのでバレなきゃ良いけれどと願いつつ、学院の教室へ入るなり狙っているように私に声を掛けた第四王子殿下の顔を見上げる。手紙の返事を書いて送っておいたけれど、待ち切れなかったらしい。

 校門前で合流したソフィーアさまとセレスティアさまは般若の形相……ではないけれど、背負っているオーラが凄く怖いです、はい。


 「おはようございます、殿下」


 「ギド殿下は名前呼びとなっているのに、僕だけ名前を呼んで頂けないのは寂しいのですが……」


 眉を八の字にして席に座っているギド殿下へと視線を向ける第四王子殿下。仕方ない、望まれてしまえば不本意だけれど名前呼びをしなければ。


 「アクセル殿下」


 「はい。とても嬉しいです、貴女のような素敵な女性に僕の名前を呼んで頂けるなんて」


 胸に右手を当ててにっこりと笑みを浮かべながら、歯に浮く台詞を言い放った。背中がむず痒くなるのを感じながら、この会話に乗らなければと息を大きく吸い込んで頭をクリアにする。


 「光栄なことでございましょう。子爵位であるわたくしが殿下のような高貴な方から名前呼びを許されたのですから」


 にっこりと笑っているので、私もにっこりと笑顔を浮かべたつもりである。ちゃんと笑えていると良いのだけれど、自信はない。


 「そのような謙遜をなさらなくとも。――嗚呼、本題を忘れるところでした」


 貴女に名を呼ばれてつい浮かれてしまいましたと第四王子殿下。


 「手紙に書いて送った通り、観劇に参りませんか? 今、アルバトロス王都の劇場では大陸で人気の劇団が公演をしているんです」


 母親が好きで幼い頃に連れて行って貰い、その魅力に取りつかれたそうな。確か第四王子殿下は側妃さまの子供だったはず。王族の方が安易に街へ降りての観劇はあまりよろしくないような。

 前にもいった通り警備の問題がある。これで何かが起これば護衛の首が一斉に飛んでしまいそうだけれど、ヴァンディリア王国も治安は良いから起こらなかっただけだろう。

 

 「アクセル殿下からのお誘いは有難く存じますが、聖女として学院生として領主として多忙な日々を送っております。時間の捻出が中々難しく……」


 ちょっと落ち着いてきたので、彼に構って忙しくなるのは本末転倒のような。私の予定調整を行ってくれているソフィーアさまが有能だから、上手く回っているのだけれど第四王子殿下からの横槍があるとまた再調整しなくてはならない。それだけは避けたいので観劇に行くなら、二ヶ月くらいは先になりそうだけれど、その頃には人気の劇団は別の場所で公演しているだろう。


 王国から第四王子殿下の対応はおざなりでも構わないと許可を頂いているけれど、あまり強気に出ると私の評判に関わってしまうので、やんわりと断りたいけれど出来るだろうか。そろそろこの殿下からの色仕掛けというか、アプローチに対応するのが面倒になってきている。


 「近々で聖女さまがお休みの日はありませんか? 僕が予定を合わせますので」


 あ、また後ろの二人の空気が変わった。というよりも凄く怖い気配が更に増した。私に向けられているものではないので平常心を保っていられるけれど、普通の人なら彼女たちに気圧されてチビりそうだ。第四王子殿下も良く平気な顔をしているな。彼の雰囲気が変わらない辺りは、流石王族と言った所か。

 

 近々の私の予定を素直に教えるつもりはない。もう諦めてまどろっこしいやり取りは止めにするべきか。私の気を引く為に彼の行為をこれ以上躱すのは面倒だし。


 「殿下、失礼を承知で述べさせて頂きます。わたくしに近づく理由はなにかしら目的があってのことかと愚考いたします」


 目的がなければ普通近づこうとしないよね。もう面倒だからギド殿下みたいにぶっちゃけてくれた方が話が早く済むのだけれど。何故、私の婿入りを望んだのかは分からないけれど、何かしら切っ掛けが欲しかっただけかもしれない。


 聖女の力が何かしらで必要ならば国を通して申請すれば良いが、個人的な申し出の可能性だってある。不能やら禿治療やら人に言い辛いことかも知れないのだ。婚姻してからぶっちゃけて治して貰おうと考えてもおかしくない問題なのだろう。生憎と男の人ではないから、その辺りの悩みに疎くて申し訳ないが。


 後ろのお二人の空気がどんよりジメジメしたものから、カラッとした空気に変わった気がする。よく言った、と思っているのだろうか。


 「……目的など。貴女と仲良くなりだいだけですよ。そして僕に振り向いて欲しいと。貴女のお婿さんに迎え入れて下さいというのも本心です」


 誤魔化されたか。一瞬言葉を飲んだが悟られないように、直ぐに顔色を変えたあたり流石である。私を口説き落としたいなんて酔狂だよね。周りには綺麗な人が沢山居るし、殿下に懸想している女性だって居るだろうに。

 不敬になる可能性もあるが、もう一押しかなあと粘ってみる。


 あ、またしても後ろの二人の空気がどんよりジメジメしたものに。目の前の殿下よりも私の後ろに居るお二人の空気の方が気になって仕方ない。


 「王族の方や貴族であればその煩わしい行為は無駄でございましょう。手早く済ませるには貴国の陛下へ請願し、正式な手続きを経た方が話が早いかと」


 だよねえ。一応彼の釣書が届いているから、ヴァンディリア王も認めているだろうけれど。本気で私との婚姻を狙っているならアルバトロスの陛下と直接対談して願い出るくらいのことはするはず。

 だから最初から期待されていないか、落としてくれれば運が良いくらいに考えているのではないだろうか。第四王子殿下が私を落としたいとヴァンディリア王へお願いして、留学してきた線が濃そう。


 「聖女さまは現実主義者なのですね。僕の誘いに全く乗ってくれないのですから。――分かりました。では、正直に目的をお話いたしましょう」


 今まで僕の魅力が通じるか幾人かの女性で試してみたのですが、と第四王子殿下。いや、殿下に落とされた女性がかわいそうだろうに。

 実験扱いしちゃったよ。プレイボーイなのだろうか。取りあえず第四王子殿下の目的を引き出せたから、深くは追及すまい。墓穴掘りそうだし。もっと渋るかと考えていたけれど、あっさりと了承を頂けたので安堵する。面倒な事でなければ良いのだけれど、どんな目的なのだか。


 「しかしこの場で伝えるのは憚られます。サロンを借りて本日の放課後……如何でしょうか?」


 言い出したのは私の方だから、放課後に時間を作らなければ。これ以上は本気で不敬になりそうだし。


 「承りました、殿下。では本日の放課後にサロンで」


 復唱して彼の言葉を理解したことを示す。私がそう口にすると第四王子殿下は笑みを携え、小さく頭を下げて自席へと戻って行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る