第315話:お婆さんの話。

 柔らかく笑っているお婆さんはどうやら私たちの事を知っているらしい。一方的なものなので私たちが知らないのは当然らしいが、何故私たちに限定して気が付いていたのだろうか。

 孤児なら孤児院へ行けば沢山居るし、同時期に保護された子供ならば他にも居るのだ。しかし今気にすべきことは過去のことよりも、目の前のお婆さんの実情を気にするべきだろう。騒ぎを聞きつけたアウグストさまが顔を出した。おや、と言うような顔をしたが一瞬で鳴りを潜めたが、今は気にするべきではない。


 「ええと、ともかく……治療を施しますか?」


 治癒魔術を掛ければ治るはずである。治らなければ相性の良い他の聖女さまを探して治癒を施して頂くか、それでも治らなければその人の寿命。お婆さんと表現しているが、公爵さまと同じくらいの年齢なのでまだまだ元気に生きられるだろう。


 「いいえ。――私の人生に悔いなんて残っていないわ。神さまが決めた運命に逆らう気はないの」


 お婆さんは、部屋の一番良い場所に置かれている神さまの像へと視線を向けて目を細めた。神さまに逆らっても罰なんて当たりはしないと口にしそうになるけれど、お婆さんの考えを尊重すべきなのだろう。


 「本当によろしいので?」


 ただ一度で諦めるというのも憚れるので、もう一度確認をしてみた。


 「ええ。ありがとう」


 顔の皺すら綺麗に寄せて笑うお婆さんに、嗚呼説得は無理そうだと早々に諦めた。己の人生なのだから、他人が干渉するのは傲慢なのだろう。

 命に執着する人が多い中、運命を受け入れ穏やかに余生を過ごすつもりのお婆さん。周りが微妙な心持ちの中、お婆さんだけが苦笑している。少し暗くなった空気を変えようと、気になったことを聞いてみようと、ベッドの上に腰掛けたままのお婆さんへ向けて口を開いた。


 「私たちの小さい頃を知っていると言うのは?」


 「ああ、それはね――」


 お婆さん曰く、教会に保護された当時の私は凄く目立っていたそうだ。筆頭聖女さまの『先見』によって見つけられた貧民街出身の孤児。

 筆頭さまの予言通り常識を超えている魔力量に、大陸では珍しい黒髪黒目。教会の人たちのいう事を聞き入れているフリをしつつ、仲間の下へと駆けつける為にしばしば脱走騒動を起こす。

 みんなが寝静まった頃に教会宿舎の食堂へ侵入して食べ物を物色した後、窓からこっそりと抜け出して貧民街を目指して脱走。教会の人に捕まったあげく、脱走防止の為に監視下に置かれてしまいキレて魔力を暴走させたこと。

 

 聞いているだけで顔から火が吹き出そうなのだけれど。まあ、シスターズや神父さまは知っているだろうけれど。なんでお婆さんはこんなに詳しいのだろうか。

 アウグストさまは興味深げに聞いているし、私の過去を知らない他の方たちも彼と同様に興味深そうにお婆さんの話を聞いている。自分から聞いてしまった手前、もう結構ですとは言い辛い。


 「公爵閣下に話をつけたのは私なのよ」


 私の扱いにほとほと困った教会を見かねて、お婆さんが教会と話し合った末に、ご実家の寄り親であった公爵さまに話を持って行ったらしい。公爵さまと縁を持てたのはお婆さんのお陰だったのか、と不思議な気分になる。私が聞いていたのは教会が困って公爵さまを頼ったと聞いていたけれど。

 事実が歪曲されて伝わったのだろう。お婆さんはお貴族さま出身であるが独身を貫き、聖女として五年前まで務めていたとのこと。現在は引退後に国から賜った法衣騎士爵位の年金で日々を暮らしているそうだ。今日は礼拝日だったので、信徒として参加し偶然私が居るのを見かけ、護衛の人に止められれば諦めようと考えながら、声掛けしてあの席に着いたそうだ。


 「貴女ほどの力を持つ子が、悪用されることがあってはならないわ」


 目を付ける人は後ろ盾になって私を利用するだろう。それこそ仲間を理由にして指示されれば私は逆らえない。本当に恵まれていたのだろう。そして運も良かった。貧民街の孤児だと言うのに生き残れたこと、魔力量を見初められて教会に拾われたこと。今、過去を語るお婆さんに見つけられたこと。


 「まさか閣下と取引をするだなんて思わなかったけれど」


 「いや、あれは……まあ、なんというか売り言葉に買い言葉で……」


 仲間の保護を求めると、公爵さまにお貴族さまは利益がなければ動かぬぞと発破を掛けられたのだ。私が何も言わなくとも公爵さまは仲間を保護してくれたと思うけれど、あの人面白いことが大好きだから挑発やらも兼ねて言ったのだろう。


 その時の私が差し出せるものなど当然なくて未来の自分を差し出すくらいしかなかったけれど。


 私の魔力量が他の人たちより多いのは分かっていたから『貴方に益を齎せるような聖女となります』と啖呵を切るしかなかった。公爵さまには子供の戯言としか捉えられなかっただろうが、魔力さえ備わっていれば何かしらの魔術は使える。あとは訓練と適性と努力次第。魔力量が多いと知っていたので、未来に賭けた訳だけれど。

 

 「本当に面白い子ねえ。――筆頭聖女さまもきっと貴女を気に入るでしょう」


 「筆頭聖女さまは老齢を理由に表舞台から遠ざかっておりますが……」


 「ええ、そうね。でも、筆頭聖女選定試験を経て筆頭聖女となれば引継ぎ式があるもの」


 「私以外にも優秀な聖女さまはいらっしゃいますから。私がその座に就く可能性は……」


 低い……と言えなくなっている状況に頭を抱えたくなる。平民からお貴族さまになっているし、しれっと一代限りの法衣だけではなく領地持ちの男爵位を陛下から賜っているし。

 実績は、考えたくない。考えると今この場でしゃがみ込んで『どうしてこうなった』と言いながら頭を抱えるだろうから。あとは外交や社交の為に見目が良くないといけないのだけれど、加味されるだろうか。


 「可能性……」


 なんだか避けられない事態のような気がして、同じ言葉を二度繰り返してしまった。


 「選定試験があるからまだ分からないけれど、貴女がその座に一番近いことは確かね」


 はっきりと誰かから言われたのはこれが初めてかもしれない。認めたくないと心の中で叫びつつ、筆頭聖女になったとしても今と仕事量が変わりそうもない現実。いや、そんな馬鹿なことはと頭の中で否定する。これ以上仕事を増やされてもたまらないので、どうにか遠慮したい所。

 

 「そんな嫌そうな顔をしなくとも。普通、貴族出身の聖女なら喜ぶものだけれど……」


 お婆さんは現筆頭聖女さまとその座を争ったそうだ。負けたことに対して恨みは持っていないし、彼女の方が実力、家柄、容姿は確実に勝っていたから仕方ないことだそうで。他にも同時に争った聖女さまたちも遺恨は残していないとのこと。

 

 「腐敗していた教会も新しい風が入り込んだわ」


 暴風だったのかもしれないけれど、とお婆さん。新しい世代の人たちが盛り上げていってくれれば嬉しいと綺麗に笑う。

 

 「確かに若い世代が盛り上げることも大切かもしれませんが、導き手が必要です。教会信徒の聖女さまでどなたかか信頼に足る方はいらっしゃいませんか?」


 目の前の彼女が枢機卿さまの任を務めるのは厳しいだろう。持病持ちみたいだし、ゆっくりと余生を送って欲しいものだ。ただ、長く聖女さまを務めた彼女の伝手は魅力的。同年代から若い世代まで知っているだろうし、誰か良い人を紹介して頂きたい所。


 「――あら、どういう意図があって?」


 お婆さんに経緯を説明すると『思い切ったことを考えるわねえ』と言われてしまい、あと少しで枢機卿さまの座に就くアウグストさまを見てにっこり笑った。お婆さんに数名紹介して頂いたので協議の末に声掛けして貰えば良い。どうにか枢機卿さまの座を与えられることを回避出来るように動かないとと心に誓うのだった。

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