第237話:陛下と聖女。

 ――どうすればいいのだろうか。


 教会の枢機卿を捕まえ王国に身柄を引き渡せばよいと、軽く考えていたのが悪かったのだろうか。王城へと足を進める民を止める術を私は持たない。


 「ジ、ジークフリード殿、どうすれば……」


 「カルヴァイン殿。こうなってしまえば誰も止めることは出来ないでしょう。それこそ陛下やそのお方に準ずる誰かでなければ」


 アルバトロス王以上の存在がこの国に居るはずはない。王都の民はまだ理性を保ち、暴徒と化してはいないが、いつそうなってもおかしくはないのに。


 「へ、陛下がお越しになるのでしょうか」


 「分かりません。軍や騎士団を動員して彼らを鎮圧することも可能ですから」


 確かに荒事専門の彼らが出て来れば、武装も何もしていない王都の民は抵抗止む無く止められるだろう。そして国に逆らったと下手をすれば首を切られる。それを理解していない者たちが多くいることに、胸を痛める。


 「どうして貴方はそう落ち着いていられるのです!?」


 「決断したのは彼らです。その責任を取るのは自身であるべきでしょう」

 

 貴方がそうしたようにと言われると、これ以上言葉にすることは出来なかった。


 「ですが私も王都の方々をこのようなことで失うのは不本意です。何かできることがあるやもしれません」


 そう言って彼は足を進め始め『無理はするな』『破壊や暴力は決して行うな』と声を上げる。黒髪聖女の双璧と名が売れているのが功を奏しているのか、彼の声に耳を傾ける者は多かった。


 「お、お待ちください! 私も向かいます!」


 ただの男爵子息が役に立てるとは思わないが、この騒ぎを引き起こした張本人なのだ。最後まで見届ける義務がある。

 捕えた枢機卿を始めとする教会関係者は、見張り役が残ってくれている。王都の民と纏う雰囲気が違うので、軍や騎士団の人かもしれない。ならば任せても問題はないだろうと、私はジークフリード殿の背を追う。


 教会から城まで距離はあるが歩いていればそのうちに着き、王城の門前に集まった民衆は口々に叫んでいた。

 

 「王家も、教会の腐敗を見逃していた責任を取れー!」


 「お前たちも見て見ぬフリをしていたんだ! その所為でここが火の海になったらどう責任を取るつもりなんだっ!」


 ここで私が彼らに言葉を尽くしても、届くことはないだろう。私も教会の信徒で不正を放置していた一人なのだから。

 この不満の溜まっている状況をどう打開すべきか問う為に、ジークフリード殿に声を掛けようと顔を左右に動かすが、彼は何処にも居なかった。おかしい、先ほどまで目の届く距離に居たというのに。


 王城を守る城壁には、この騒ぎを聞きつけた近衛騎士の姿がチラホラ見え始めていた。熱が灯っている皆はそれに気付いた様子もなく、声高に不満を叫んでいるのみ。城門破りを試みる者はまだ居ないが、時間の問題だ。おそらくそんなことが始まれば、近衛騎士団は王都の民を躊躇なく討つだろう。


 ――それだけは避けねば。


 王家と民との間にしこりを残すことになる。やがて不満は更に大きくなり、今回のような暴動が起こるだろう。私の軽率な行動が、まさかこんな事態を引き起こすなんて……。この様子を見守ることしか出来ない己の無力を嘆くのだった。


 「な、おいっ! あれを見ろ!」

 

 城壁のとある場所を指した男が周りに聞こえるように叫んだ。釣られて顔を上げた者が『おお』と感嘆の声を上げ。


 「聖女さま! 黒髪の聖女さまだ!!」


 「ご回復したのだな!」


 「聖女さま!」


 「聖女さまっ!!」


 雨が降っている所為か、聖女さまの顔が良く分からない。分かることは城壁の上に立つ少女が黒髪であること、そして聖女の衣装を身に纏っていることだけ。

 ただ一つ分かることは、王都に住む女性で黒髪の方は聖女さま一人だという事実で。だから、顔も見えぬはずの民たちがこぞって『黒髪の聖女さまだ!』と叫ぶには、十分な根拠なのだった。


 「……どうして何も言わないんだ?」


 「まだ体調がすぐれないのだろうか……?」


 「私たちに怒っているのかしら?」


 いや、それはありえない。臥せっているのは、彼女が描いた脚本を進める為の便宜上。体調も良い筈なのだ。彼女が怒りを向けた矛先は、王都の民ではなく腐敗している教会貴族のみだった。しかし、注目を浴びている最中、何故聖女さまは我々にお下知をされないのか。

 

 暫く見上げていると聖女さまが大変可愛がられているという、小さな小竜が飛んできて肩に乗り、顔を擦り付ける。そうして小竜は一鳴きし、聖女さまが手を上げて優しく顔を撫でていた。その光景に誰もが黙り込み、見惚れていた。まるで有名な絵画を見ているような気分だった。


 「――皆さま、此度は王都を騒がせて大変申し訳ありませんでした」

 

 小さな体躯から何故、周囲にはっきりと声が届くのだろうか。そうして小さく頭を下げる聖女さま。

 目が慣れてきたのか、彼女の顔が良く見えるようになった。以前に会った時よりもやつれている気がするが、まさか本当に失意のうちに寝込んでしまっていたのだろうか。一言一句聞き逃すまいと、王都の民は聖女さま一人に釘付けだった。


 いつの間に移動していたのか黒髪の聖女さまに付き従う、彼女の専属護衛であるジークフリード殿とジークリンデ殿が後ろに控えていた。

 

 「今回、行動に起こして下さった王都の皆さまの勇気は大変素晴らしいものでありました。先日、王都へやってきた竜の方も、皆さまの行動をお認め下さるでしょう」


 その言葉に安堵した者が沢山居た。やはりあの竜の言葉は、彼らにとって重い物だったのだろう。私も驚いたのだから、何も知らない人たちの恐怖はどれだけのものであったか。聖女さまが集まった王都の民をゆっくりと右から左へと視線を移した。


 「此度の一件はアルバトロス王国にも責任がございましょう。しかし、政と信仰や宗教が交わっては腐敗を助長させてしまいます」


 正常な組織運営を行おうとしたからこそ、王国は後手に回ってしまったのだと、聖女さまは仰った。そうなのかと納得する者、疑う者、反応は様々。


 「皆さまの手により、教会上層部の膿は洗い流されようとしております。――この機を逃す訳には参りません。それを成す為にはアルバトロス王国の力が必要となりましょう」


 そうして聖女さまは後ろに振り返ると、豪華な服に身を包んだ国王陛下が彼女の横に並ぶのだった。


 「皆の怒りは尤もである。だが、皆が彼らを勝手に手を掛ければ、国もそれを見逃せまい。……よく堪えてくれた。――ここから先は我々アルバトロス王国が責任をもって対処する!」


 そうして陛下は右腕を空にかざすと、体長五メートルほどの竜が二十匹ほど空へ浮かんだ。その身体の上には近衛騎士が騎乗していた。


 「亜人連合国が此度の件に協力を申し出てくれた。――逃した枢機卿は自領に逃げたと報告が上がっている! 行けっ! 竜騎兵隊よ!」


 陛下の声と同時に、高速で空を飛び去って行った竜騎兵隊。その様子に感動したのか、先ほどまでの王国に向けていた鬱憤は嘘のように晴れていた。


 「腐敗した者は去った。教会には自浄作用があると信じている。皆で考え、良き信仰を築き上げるが良い。困ったことがあれば我々も助力しよう」


 アルバトロス王国国王陛下は正しい人物なのだろう。腐敗した教会を潰そうとはしないのだから。そして、自浄作用があると言ってくれたのだ。腐敗した貴族を一掃するだけではなく、教会に携わる者はこれから手を取り合って、必死に頑張っていかなければ。


 「感謝致します。アルバトロス王よ」


 そうして黒髪の聖女さまがアルバトロス国王陛下に深々と頭を下げる。そうしてどこからともなく湧いた声。


 「――アルバトロス、万歳っ!」


 「――アルバトロスに栄光あれ!」


 なんだろう、先ほどまで不満を声高に叫んでいたのに、こんなに簡単に民の考えは変わってしまうものかと、脱力する私だった。

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