第235話:【⑥】聖女が臥せった。
――止めておいた方が……と私は言ったのに。
教会の居住棟へ群がる王都の民を、窓から見下ろす。どうしてこんなにも人が集まっているのだろうか。
日和見主義の王都民が誰かの為に立ち上がるとは思い難いが、先日に竜が王都の空を舞い忠告したのが不味かった。死ぬかもしれないという恐怖は、無能な民が立ち上がる理由には十分だったのだ。
私は聖王国から都落ちしアルバトロス王国教会の枢機卿の座に就いた奴に金を払い、王国教会の枢機卿五席の内の一席を担うようになった。領地貴族としての収入だけでは満足出来ず、王国教会に目を付けたのが悪かったのだろうか。
『聖女の金を使おう』
以前にそう甘く囁いた枢機卿の声が頭に響く。
聖女の金に目を付けたのは前からだったらしい。コソコソと少額をくすねた後に補填をしていたようだが、四年前に黒髪の聖女が王国が障壁を張っている魔力陣へ魔力補填を始めた時期に状況が変わった。平民出身の聖女が魔術陣への魔力補填を行うのは珍しい。血統主義の貴族には魔力が多く備わっている者が多く、その影響か魔力補填を行う者は令嬢が殆ど。
其処に突然現れた大魔力を保持する平民聖女。孤児出身故か必要最低限の金だけを手元に残し、あとは教会へと稼いだ金を預けていた。貴族の令嬢は教会に支払われた寄付を、全額を引き下ろして家で管理をしている。だから彼女らから奪うことは出来ないし、家が怖い。
黒髪の聖女は、三か月に一度の補填だった。だが余裕があったのだろう。補填の間隔が短くなっていく。ついに三年前には一週間に一度という信じられない間隔で、補填を行い始めた。
聖女は金を教会に預けたまま、月に何度か少額を引き下ろすのみ。大きく金を下ろすことはない。どんどん貯まっていく金に目が眩み手を出した。最初は我々が直ぐに補填できる額をくすねていたが。
『気が付いていないな……』
『ええ。黒髪の聖女は清貧を旨としているのか、贅沢というものを知らないようです』
そうしてずぶずぶと抜けられなくなり、使い込む額も増えていく。教会の金庫に隠しているものや、自領へと移したもの。金塊や宝石へと変わったもの。私の指に嵌めてある指輪も黒髪の聖女から奪った金であつらえた物だ。
『手帳を落としてしまいました……』
預かった聖女の金を管理している子飼いの者が顔を真っ白にさせて、我々が入り浸っている瞑想部屋に報告を入れたのが約三週間前。
『どういうことだっ!』
『あれは裏帳簿のようなものだからキチンと管理しろと言っておいたはずだぞ!』
『それを落としたとは……なんということだ……』
枢機卿三人が揃って頭を抱え暫くして、顔を突き合わせる。手帳を落とした馬鹿によれば、黒髪の聖女が大金を下ろしたことを我々に報告しようとした際、この部屋へ赴いたが誰も居なかった。
体裁上、瞑想部屋は一度入ると暫くの間は出られない。ある程度の時間を過ごし部屋から去ろうと、椅子へと腰掛けた際に違和感を覚えて確認すると、そこでようやく手帳を落としたことに気が付いたそうだ。
慌てて部屋を出て来た道を戻るが、手帳は何処にもない。――紛失したことが分かったが、我々は全員外へと出かけて留守で、今の報告となったと告げた。
『誰かが拾ったやもしれんな』
『ああ。……中を見れば聖女が預けた金だと気が付くだろう』
『どうする、逃げるか?』
悩む中、聖王国から都落ちしてきた枢機卿が言った。
『なるべく補填して発見を後らせよう。全額を引き下ろすなどあの黒髪の聖女がやると思えん』
枢機卿の言葉に納得して頷いたのが不味かった。アイツは適当な額を差し出して、聖女が全額を引き下ろしに来たその日、聖王国へと逃げてしまった。隠している金をかき集めるにしても、金塊や貴金属を換金するとしてもある程度の時間が必要だ。
しかも聖女が倒れたその日、国は金貸しを生業としている者や宝石商に大口の客が来れば一報せよと命じたのだ。これでノコノコと換金などしてみろ、すぐに捕まってしまう。
領地貴族でもある私ともう一人は、自領に戻るか王都に居続けるかしかない。もう一人は自領に逃げ込んだが、直ぐに追っ手が放たれるだろう。こうなってしまったのは黒髪の聖女が亜人連合国との繋がりを持っていたからだ。まさか竜まで出てきて王都の民を煽るとは。自発的なものなのか、けしかけたのかは知らないが、私にはもう後がない。
居住棟の上から窓の外をもう一度見下ろすと、王都の民が増えていた。
「金を返せー!」
「聖職者が汚ねえことをしてるんじゃねーよ!」
「教会の腐敗を正せぇ!」
口々に好き勝手を叫ぶ王都の民を目を細めて見る。何を言う、貴様らはただの信者にしか過ぎない。神を信じることで救われると、本気で考えている馬鹿な連中だ。
そいつらから寄付やお布施と称し金を巻き上げ、教会を運営しつつ施しや慈善事業に金をつぎ込むことが、なんと無駄で馬鹿馬鹿しいか。
「さあみんな、教会の不正を正そう! 黒髪の聖女さまの騎士殿も居るのだ! 正義は我らにあり!」
輪袈裟を身に着け、教会の教典を手に持った少年が声高に叫んだ。その男の後ろには赤毛の背の高い男女が控えている。
黒髪聖女の双璧と呼ばれ名を馳せている二人だった。我々が金を使い込んでいた事を不満に思い、この民衆の群れに加わったのか。赤毛の男が剣を手を添えて構える。そうして一閃すると、歓声が上がる。こちらからは見えないが、居住棟の重い扉が切られたようだった。
「――……ここから飛び降りれば、何人か巻き込んで死ねるな」
高さは十分。この場で首を吊ることもできるが、生憎と縄がなかった。そうして窓を開けて手を桟に掛ける。
「おい、あれを見ろ!」
顔を上げ指を指す。馬鹿が。平民の癖に貴族に指を指してどうする。
「教会の関係者か!?」
信徒だというのに私が枢機卿だと気が付いていないようだ。ここで声を上げれば、一時だけでも凌げるかもしれないと誘惑に駆られる。
「……っう」
結局、声も出ず、窓から飛び降りることも出来なかった。
「枢機卿の一人だ! 我らの手で捕えよう! 決して殺すな! 殺せば、同じになると心に刻んでおけ!」
剣を掲げて私を指し赤毛の男が通る声で叫んだ。その声に答えた後、一気に王都の民が居住棟へとなだれ込む。
暫くすると部屋の外が騒がしくなり、鍵のかかった部屋の扉を破る為に何かで叩いている。木製の扉が軋み、その音が酷くなる。衝撃に耐えられなくなった扉が壊れ、ストラを掛けた少年が私を見据えた。
「貴方は枢機卿の席の一角を担う方ですね」
「……それがどうした」
「聖女さま方が一生懸命に働き、信頼して教会に預けていたお金を使い込んだことを後悔し、神の裁きを受けて下さい」
少年の後ろから、年齢はさまざまな男たちが私を捕えに近づいてくる。
「平民が私に触るなっ!」
「…………」
「……」
「おい! 何故何も言わないっ!」
私の声に答える者は居ない。ただ黙々と縄をどこからか取り出し、私の両手を後ろへと向けて縄で縛られた。遠慮のない縛り方に、手首に痛みが走る。
「逃げられないように確りとお願いいたします」
「勿論です」
「ああ」
「さて、次は他の者の確保や隠している金庫を探さないと」
ふうと息を吐いた少年は私に見向きもせず、部屋を出て行くのだった。
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