第234話:【⑤】聖女が臥せった。

 こんな話は黒髪の聖女さまから聞いていないと、未だ止まぬ雨が降る空を見上げる。


 二日前、竜が王都の空に現れた。


 以前に晴れ渡る真っ青な空に飛んだ竜とは違い、雨で雷が鳴る中で彼らは突然現れた。彼らの力なのだろうか、直接頭の中に声が響く不思議な感覚。そうして竜は『王都の民の手で奴らを討て』と告げ、空から消えて行った。

 

 「恐ろしい」


 部屋でぼそりと呟く。王都の民の間では『このままでは王都が火の海に包まれる』と不安に駆られているようだ。黒髪の聖女さまは機をみて民を煽れば良いと仰っていたが、まさかこれも計画の内なのだろうか。

 

 「アウグスト、行くのだな」


 昨夜届いた、差出人が書かれていない手紙に枢機卿さまは視線を寄越す。内容は『機は熟した』と端的に書かれていた。

 

 「はい。これ以上、王都の皆の不安を煽るのも良いとは思えません」


 「……これを持っていきなさい」


 「教典ではありませんか! よろしいのですか?」


 枢機卿さまがずっと大切にしていた教会の教えを説いた本だった。随分と使い込まれているが、大事に扱っていたことが窺い知れる。

 

 「構わぬ。――無事に戻ってきなさい」


 ストラを通してくれ、清めの水を掛けてくれた。


 「はい!」


 大丈夫だと自分の心に言い聞かせる。死ぬのは、聖女さまに直訴を決めた時に覚悟していたこと。家族も腹を括っているのだから、ここで私が怯む訳にはいかない。上手く事が運べば、教会正常化の一歩を踏み出せる。それが出来るのならば私の命など安いもの。

 枢機卿さまの屋敷で働く方々も『お気をつけて』と声を掛け見送ってくれた。玄関を抜け真っ直ぐに続く正門まで歩き、横にある小門から外へと出た。貴族街の隅に位置するとはいえ、教会までは距離があるのだが歩いて行くしかあるまい。


 暫く歩いて、ようやく平民の方々が住む地区へとやって来た。雨の所為なのか人通りが、いつもより少ない。

 

 「皆、聞いて欲しい。――私は教会の信徒である! 今回、教会上層部が引き起こした不正は見逃すことができるはずもない!」


 そうだ、見逃せるはずなどない。真っ当に聖女として働き、教会を信頼してお金を預けていたというのに、それを裏切る行為など許せるはずもなかろうに。声高に叫ぶと、立ち止まる人たちが増えていくのが分かる。少し胸の高鳴りを覚え、上げる声に力が入る。


 「以前から教会上層部の腐敗振りは噂されていた! だが不正を犯した者を捕まえられる、証拠がなかった!!」


 だが私はあの黒革の手帳を拾った。黒髪聖女さまが預けていたお金が不正に使い込まれていた事実が露見した。証拠などこれで十分ではないか。そして雨の中、王都の空を舞った竜のあの言葉。民の心を焚き付けるには十分だろう。今回の事の顛末を声高に叫び続ける。


 「私は教会の不正を糾弾しに、今から乗り込む! もし、私に賛同する者が居れば、付いてきて欲しい!」


 無理にとは言わない。彼らにも守るものがあるだろう。家族なり名誉なり仕事なり、いろいろだ。ただ、目の前にある不正を見逃してしまうような、心無い人間にはならないで欲しいと願う。

 

 「俺も行く! 黒髪の聖女さまに助けて貰ったんだ、恩を仇で返すようなことできるかよ!!」


 年若い青年が叫んだ。


 「私も行くわ。お母さんが治癒を受けたことがあるの! まだ若いけれど、腕の良い優しい聖女さまだって言ってた!」


 呼応するように女性が叫ぶと、釣られたのか何人か同意する声を上げて、私の下へと集まってくれた。


 「アンタに協力するぜ!」


 「ええ。それに王都を火の海にさせる訳にはいかないもの」


 「……ありがとうございます!」


 そうして私は、声を上げながら歩き始めると、家から出てきた方が列の後ろへと加わっていくのが見えた。嗚呼、なんということだろう。教会の腐敗にこんなにも心を痛めていた人たちが居ただなんて。

 竜の言葉を恐れている者もいるのだろう。だが、こうして行動に移してくれたことが素直に嬉しい。昼日中というのに雨の降る薄暗い空に感謝をするように見上げれば、とめどなく溢れる涙を隠してくれた。

 

 「教会の不正を正せっ!」


 「聖女さまの金を返せ!!」


 そんな声が自然に上がり、教会へと足を進める私たちの列には多くの人が詰めかけていた。感情が高まり商店や家を破壊する者がいるかもしれないと、黒髪の聖女さまは危惧していたがそんな人は全く現れず。

 

 「黒髪聖女の双璧だっ! ……どうして此処に?」


 その声に倣って顔を横に向けると、赤毛の男女の双子が教会騎士の服を着て、街角に立っていた。


 「腐った教会を到底許せる筈もないっ! 黒髪の聖女さまの専属護衛として共に参ろうっ!!」


 剣の柄に手を伸ばして、剣を抜き教会を指した赤毛の男。確かジークフリードと聖女さまは言っていた。腹から出した通る声に呼応して『おう!』と集まった人たちが口にする。そうして暫く、私の後ろに赤毛の騎士が付く。まるで私が聖人のようだと苦笑する。

 二つ名持ちの有名な騎士が列に加わったお蔭なのか、先ほどよりも王都の皆が列に加わる速度が上がっている。中には子供まで居るが、どうか怪我を負わぬようにと祈るしかない。そうしてどんどんと教会へ近づき、腐った貴族が居る居住棟へと足を向けるのだった。

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