第230話:【①】聖女が臥せった。
――夜。
王都の酒場で同僚や部下たちと杯を交わしていると、周囲の席から声が聞こえてくる。酔っている所為か声も大きく、はっきりと聞き取ることが出来た。
「聖女さまが臥せったらしい」
お嬢ちゃんが倒れて数日。教会で目撃者が居た為なのか、噂の周りは早かった。木で出来た杯を片手に、酒の肴として繰り広げられている。
「黒髪の聖女さまだろう」
黒髪は王都どころか大陸でも珍しいから目立つよなあ。俺も王都や遠征先で黒髪のヤツは見たことがない。事情を話して部下と一緒に訪れているが、酔いどれたちの話題はもっぱら噂の聖女さま。
「なんで?」
「教会に預けていた金を貴族共に使い込まれた」
噂にゃあ尾びれ背びれが付くものではあるが、概ね事実通り。黒髪の聖女の専属護衛であるジークフリードから酒場で噂をバラまいてくれと酒代と小遣いを渡され頼まれた。
「けどよお、聖女さまが金に意地汚いってどうなんだ?」
そりゃ当然だわなあ。お貴族さま出身の聖女さま以外は割と清貧な生活を送っている。自宅で保管するのは防犯上危険だから稼いだ金は教会に預けているらしく、そっちにも手を付けていたとか。
教会、聖女さま方から見捨てられるのではと不安になる。聖女さまたちに世話になった軍人と騎士は何人居ると思ってんだ。本当に馬鹿なことをしてくれたものだと思うが、バレたのがこのタイミングで良かったとも思う。
「だなあ」
「……だよなあ」
事情を知らなけりゃあ金に執着していると言われても仕方ないよなあ。だが、それを打ち消す為に俺たちが居る訳で。
お嬢ちゃんがかなり稼いでいるのは知っていた。なんたって国の障壁維持に一番貢献しているのがお嬢ちゃんだ。国がはした金で聖女を利用し、補填を行う訳はない。金額が安いなんて噂が立てば、国の面子が立たなくなるからな。
「兄ちゃんたち、黒髪聖女さまの夢を知らねえのか?」
聖女の噂で盛り上がっている連中の席に、酔った振りをしてしたり顔で割り込む。
「これ、俺たちの奢りっス! 飲みましょう、飲みましょう!」
俺の部下が気前よくエールを持ってくると、『聖女さまの夢』興味があるのか文句も出なかった。
「俺たちはな軍人なんだ。討伐遠征で黒髪の聖女さまには何度も世話になったもんよ」
間違えちゃいないし、嘘も吐いていない。彼女に世話になったことは実際にあるし、嫁さんが産後の肥立ちが悪いから診て欲しいと無理を言ったこともある。お嬢ちゃんは二つ返事で診てくれたし、出産祝いだと笑って診療代を安くしてくれた。まあ恩がある訳だ。酒代は十分に貰っているし、これくらい世話ねえな。
「へえ。おっさんたち、黒髪の聖女さまと顔見知りなのか! 凄えな!」
酒を奢ったこともあるのだろう。陽気に俺たちを受け入れてくれた。
「おう。気さくで優しい聖女さまだぞ。でな、その聖女さまの夢ってえのはな……――」
ジークフリードから聞いたお嬢ちゃんの夢を語る。将来、貧民街の整備に人材教育から始め職に就かせて、治安向上を考えていること。
子爵家で託児所を開設し、上手く運べば王都の街にも事業展開したいこと。孤児院への寄付も、もう少し手広くやりたい等々、如何にも聖女らしいことを彼らに吹き込む。金はあるというのに教会宿舎で細々と日々を送っていたこと。急に名声を上げて困惑していたことやら、吹き込めることを吹き込めるだけ彼らに吹き込んでおく。
「――でな、一生懸命身を削って金を貯めていたわけよ。叙爵されてさあこれからってえ時に、教会貴族の連中は聖女さまの金を使い込んでいたことが分かっちまった。許せると思うか?」
「俺、知り合いが黒髪の聖女さまに命を救ってもらったことがあるって聞いたことがある。ソイツ金が無くてずっと痛いのを我慢してたが、とうとう耐えられなくなってどうにかこうにか治癒院へ足を運んだんだ」
如何にも金がなさそうないで立ちで、周囲は困惑していたそうだ。だがあのお嬢ちゃんは気さくに声を掛けて施術した。
お金がない事に驚いたそうだが返せるときに返せば良いと告げ、以降は取り立てもしないそう。そんなお嬢ちゃんに惹かれて、今も少額教会へ返しているそうだ。あのお嬢ちゃんにそんな殊勝な所があるとは思えないが、もしかしたらこういう時の為の打算だったのだろうか。
「そんなことが……教会の連中は何を考えている!」
「そもそも人が預けている金に手えつけるってあり得ねえよな!」
「そもそも聖職者だろう? なんで人の金を……ねえわ」
エールを一気飲みして、ダンとテーブルへ器の底をぶつける。周りも聞き耳を立てていたのだろう。許せないという雰囲気を醸し出していた。
「だよなあ。金が戻ってくるかも分かんねえし、アイツらにくすねられた聖女さまたちが気の毒で仕方ねえよ……」
金は戻ってくると聞いている。一括では無理かもしれんが、教会や国が補填してくれるとジークフリートが言っていた。他の聖女さまも同様だそうだ。そりゃそうだよなあ。国を出て行かれても困るし、国の防衛機構が崩れ去っちまう。軍人の俺たちからみても、避けたい出来事だ。
「隊長、どうにかならないんスかね?」
「今まで教会も国もアイツらには手をこまねいていた。だから余り期待しない方が良いかもな。――俺たちの手で敵を討てればどんなにいいことか……」
俺たちは、国に所属している軍人だ。命令以外の勝手な行動は出来ない。今日のこれだって、お嬢ちゃんがハイゼンベルグ公爵から許可を得ているそうだからな。ジークフリートは公爵さま直筆の許可証を持って来ていたし。
お嬢ちゃん、国王陛下の次くらいに偉い人に何をやらせているんだと頭を抱えたが、お嬢ちゃんは今やアルバトロス王国にとって居て貰わなくてはならない人間だからな。亜人連合国へ亡命します、なんて言われた日にはこの国終わりそうだからなあ。竜の一件で。
「あんな優しい聖女さまが臥せっているだなんて……信じたくないっス。俺だって軍人じゃなければ……」
軍人じゃなければ、教会に飛び込んで暴れてやると言わんばかりである。これも依頼の内容に含まれていた。不自然にならない限りで良いからと頼まれていたが、どうにかなったな。
「なあ……俺たちは黒髪の聖女さまに何度も命を救われている」
そうして酒を酌み交わしている連中に向き直った俺。
「連中を討ってくれとは言わん。だが、金に汚い聖女さまと言われるのは我慢ならねえし、聖女さまが掲げていた夢を潰されたことも我慢ならねえ」
「そうっスよ、隊長。黒髪の聖女さまは決して金に汚くなんてないっス。自分のお役目をきっちりと果たしている聖女っス」
「ああ、そうだ。だからこそ金に汚い聖女なんて不名誉なことを広めて欲しくねえんだ……頼む、金に汚ねえと言っている奴が居たら諭してやってくれねえか?」
夢や目標があったからこそ、自身の暮らしを切り詰めて金を貯めていた。自身が孤児出身故に、同じ境遇で過ごしている人間を憂いているとも。他にも誰かの為にと考えて行動しようとしていたことが潰されたのだ、と。悲壮な顔を浮かべて語る俺。
金が取られたことは事実だしお嬢ちゃんがコレにキレたこともまた事実。演技を出来るほど器用な人間ではないが、教会の腐敗具合に俺自身が怒っているのも事実である。語る言葉に力が籠るのは仕方ないこと。
「まあ、奢ってもらったし黒髪の聖女さまの評判は知ってるし。確かに金に汚い聖女なんて不名誉だわな」
「ああ。気が向いたらでいいし、出来る限りでいいんだ。黒髪の聖女さまを知っている身からすれば、あの人は金に汚くなんてねえんだよ」
金に汚けりゃ、俺たち平民から金をきっちり請求しているはずなんだ。まあ、お嬢ちゃんには余裕があるのも理由にあるのだろう。おおよ、と気安く器を掲げる酔っ払いたちだった。
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