第202話:戯れ。

 伸びてきた手に気付くと、既に遅かった。


 「ぐふっ!」


 王妃さまの大きな胸に私の顔が埋もれているのは、まだ構わない。何故そんな恰好をと首を傾げてしまうくらいに、彼女は薄着だった。胸を強調するように白磁の肌が空気に直接晒されていたのだ。イコール、私の顔が王妃殿下の胸に直接触れている訳で。


 抵抗も出来ないので、されるがまま。誰かに助けを求めたいけれど、胸に押し付けられているので声にはならず。

 時折、口と鼻を通る空気からは良い匂いがする。おそらく王妃殿下が身に纏わせた香の所為だろう。嫌味にならない程度の丁度良い加減。教会貴族の一部の人たちの、あのキツイ臭いとは大違い。


 「ようやく会えたわ。お馬鹿さんが余計なことをしてくれたお陰で、機会がなかなか出来なくて」


 お馬鹿さんというのは銀髪オッドアイくんのことのようだ。勝手に竜を倒したことに、お貴族さまへ刃を向けたあげく、暴言の数々。そこから亜人連合国行きが決まり、竜が王都の空を舞ったり、新しく国交を開いたりと王家や上層部の人たちも大変だったそうな。

 

 「癒される」


 私は窒息寸前ですが……。そろそろ離してくれないとマジで頭に酸素がいかないけど。ああ、綺麗なお花畑が頭の中に描かれている。

 

 「殿下、解放して下さい。聖女さまが動いておりません!」


 微かにソフィーアさまの声が耳に届く。ソフィーアさまも良い声しているよねえ。美人でスタイル抜群で良い声で、お金持ちのお嬢さまで文武両道な人が慌てているよ。珍しいこともあるもんだ。


 「え? あら、あらあらあら」


 ふいに力が緩んで、胸から解放された。


 「………っは」


 短く息を吸ったあと、深く息を吐いたり吸ったり。新鮮な空気が肺をようやく満たすが、死を実感した。なんで人さまのおっぱいに埋もれて死を実感しなければならないのか。

 あれ、でもリンと一緒に寝ていて、無意識に締め上げられた腕により、骨が折れそうになったこともあったけ。

 魔力という不可思議なものが身体に備わり、能力差で身体を強化出来る人と出来ない人に分かれているから、こうして力の差がありすぎることもある。こうなると身体を強化出来ない人間は、抵抗は無理である。


 「ごめんなさいね。つい嬉しくて」


 つい、で窒息しそうになるのか。確か他国から嫁いできた王族だと聞いているので、魔力所持量も多いだろうし魔術の教育も確り受けているのだろう。身体強化に魔力を注ぎ込めないのが悔やまれる。本当にその部分に関してだけは、運というか個人差。少しくらいは身体強化してもいいんじゃなかろうか、私の場合。


 「いえ……お初にお目にかかります、聖女ナイと申します」


 謁見場で何度か姿を見ていたが、こうして顔を突き合わせるのは始めて。相手も私の事を知っているようだけれど、初っ端の挨拶は大事なもので。

 聖女としての礼を執って顔を上げると、妖艶な色香を放つ王妃殿下が更に怪しい雰囲気を醸してる。何故、こんな空気を纏うのか謎ではあるが、正直に口にすると不敬になってしまうので黙るのが賢い選択。


 「ベアトリクス・アルバトロスよ。――ねえ貴女、わたくしに飼われてみない?」


 何故そうなるのだろうか。先程の王女殿下がジークに放った言葉と被る。似た者親子なのだろう。


 奴隷制度を運用している国もあるので、この言葉が出てもおかしくはないが、アルバトロス王国に奴隷制度は存在しない。

 改めて王妃殿下を近くでみると、どエロイ人というのが正直な感想だった。妙な言葉を口走ったというのに、目は真剣に私に向けられている。その場しのぎで同意の言葉を口にすれば、本気で受け取りそうだ。目の前の女性は。ならばどう返答するのが正解か。


 「殿下に飼われて良いという判断が今の私には出来ません」


 少し目を見開いて、直ぐに私を見定めるように目を細めた王妃さま。持っていた扇を広げて口元を隠す。

 この手の我の強い人に『嫌だ』とか『はい』と返すと、碌な事にならない。前者なら面白がられるし、後者ならばすぐに飽きられるか捨てられるのがオチ。飽きられるのは大歓迎だけれど、困った時に見捨てられては叶わない。だったら、興味を引きつつ距離を保っておくのが一番良いだろう。


 賭けのようなものだけれど。まあ、本気でモノにするなら拉致でも何でも実行可能なので、冗談とかお遊びの域なのだろう。彼女にとっては。


 「あら。ではその判断が出来れば、わたくしに飼われても良いというのかしら?」


 聖女の仕事をしているから無理だろうけど。くつくつと愉快そうに言葉を紡いだ王妃さま。


 「陛下や教会、関係各所の許可が頂けるのならば」


 自分で言っておいてなんだけれど、本当に柵が多い。少し前までは教会に知らせておけば、王都の街に行くことも出来たというのに。

 今やこの場に商人さんや職人さんを呼びつけるしか方法がなくなっている。二学期が始まる前には貴族街の邸に引っ越しだけれど、多分状況はそんなに変わらないだろう。

 

 「……まあ、そうなるわよねえ」


 肩を竦ませて、不敵な雰囲気を霧散させた王妃さま。扇子をぱちりと閉じて、綺麗に笑う。


 「ベアトリクスでいいわ。貴女に会いたかったのは本当。飼いたい気持ちも本物だけれど、まあ諦めましょう。――その代わり……」


 王妃さまの腕が伸びてくる。


 「は、離してくださいっ!」


 またしても子ども扱いである。流石に片腕で支えられることはないけれど、両腕を使って抱き上げられた。


 「落ちると危ないから腕を回しなさい、ナイ」


 確かに危ない。王妃さまも身長高い部類に入るので、床との距離が結構ある。仕方がないので肩に腕を添えさせて貰う。


 「黒髪と言われているけれど、本当に黒なのね」


 片腕を離して私の髪を一房掴み、器用に王妃さまの髪と巻き付ける。


 「わたくしの髪色は濃紺だから……ほら、こうすると分かり易い」


 真っ黒と黒に青を混ぜたような王妃さまの濃紺色の髪が混ざり合っていた。互いの髪が絡まっている所を、目を細めて眺めている王妃さま。確かに分かり易いけれど、何故こんな意味のないことをしているのだろう。

 

 「でんっ――」


 殿下と言おうとした途端、口に人差し指を当てられた。髪は自然に解けている。


 「違うでしょう……ね?」


 目線の動かし方にしぐさや声の強弱の付け方が異様にエロいんだけれども。違う道に誘われそうな気分になるのを、首を小さく振って振り払うけれど。


 「ベアトリクスさま」


 逆らえない雰囲気を感じ取り、結局王妃さまの名を呼ぶ羽目に。


 「そう、良い子」


 そう言って応接用のソファーへ押し倒された私だった。誰か、見てるだけじゃなくて助けて。本当に!

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