第174話:【前】傷。

 亜人連合国のエルフの女性二人に、お礼の連絡を済ませると私へと振り返る小柄な女の子。


 ――リン、少し話したいことがあるんだけれど。


 いいかな、とナイは続けてそう言った。


 亜人連合国から戻ってもう六日目。せっかくの休暇だしどこか行きたいねと言っていた、彼女の願いは叶いそうもない。城からの呼び出しや、度々王都へと飛んでくる竜への対応に、その竜たちに腰を抜かした人へ治癒施術。他にもいろんなことに時間を取られて、忙しい日々を過ごしている。


 他の人から見れば大変だと言われそうだが、あの頃に比べるとどうと言うことはない。兄さんやナイ、そして王都の孤児院で働くあの子と商会で働いている子が元気ならそれでいいし、温かいご飯と寝床があるのなら幸せ。


 黒髪聖女の……ナイの専属護衛騎士となって早四年。彼女の名前が売れ始めた頃から『その座を譲れ』『孤児が生意気に』だなんて、やっかみを受けたこともある。ずっとその地位に就いているのは彼女が『ジークとリン以外に考えられない』と教会に言ったこと、兄さんと私の実力が教会から認められていたことが大きいと、彼が言っていた。

 だから、力や技術を身につけることを怠ることはない。他の人たちよりも弱ければ、彼女の専属から外れる可能性だってあるし、勝負を挑まれて負けたとあればその座が揺らぐこともあるだろう。

 

 教会からはなるべく傍を離れるな、一人にさせるなと告げられていた。


 彼女の魔力量はどの聖女と比べても多く、失うと手痛い逸材。あんなに小さくて可愛らしいのに、魔力感知に優れている人は『化け物』だと零すこともあった。そんな時、彼女は困ったような顔で笑って受け流す。教会や公爵さまによって、孤児から救い上げてくれたことには感謝している。こうして生きていられるのだから。

 

 母さんが死んで、家を追い出され、兄さんと一緒に王都の街中をさ迷い、悲しくて、寂しくて、お腹が空いて。優しい人が助けてくれるだなんて、子供心に考えていた。


 世間は無情だった。街中で子供二人がウロウロとしていても、誰も気にしない。助けてと心の中で悲鳴を上げても気付いてくれない。

 どうすればいいのか分からなくて、ただただ兄さんが引いてくれている手を頼りに、ひたすら歩いて辿り着いた貧民街。疲れ果て入口近くで座り込んだ私たちを、時折通る大人が一瞥して去っていく。嗚呼、誰も私たちに興味はなく助けてくれることなんてあり得ない、と諦めた時だった。


 『大丈夫?』


 ボロボロの平民服を着て、私たちよりも痩せた幼い子が手を差し伸べてくれた。こっちへおいでと貧民街の奥へと進み、古びた小さな小屋へ案内してくれた。中に入ると同年代の子が数人。ここまで連れて来てくれた子の後ろに立つ、兄さんと私に視線が刺さる。

 口々に『誰だ』『使えるのか』と言い、『知らない』『分からない』けど、見捨てられないと幼い子。小屋の中に居た全員が深いため息を吐いて、仕方ないと中へと招き入れてくれて。自己紹介をする。

 

 境遇は様々だった。貧民街に元々住んでいた親が死んで一人になってしまった子、捨てられた子、そもそも親の顔すら知らずにどうにか生きてきた子。


 『ナイ』と名乗った子に、変な名前と当時の私は思っていた。後で自分で付けたと彼女から聞いた時に、後悔したけれど。


 仲間との生活が始まった。貧民街での慣れない生活に、母さんが死んだ寂しさで夜に泣くこともあった。

 いつの間にか私に気付いた彼女がやってきて『寂しいね』『悲しいね』『我慢しなくて良い』『泣いて良いんだよ』と言いながら、抱きしめてくれる。私より小柄だし痩せていて骨ばっていたけれど、抱きしめられ彼女の肩に顔を埋めて背を撫でられるのが、どうしようもなく暖かくて優しかった。


 兄さんはよく私に『泣くな』と言っていた。ナイはその逆。あの時の私には、兄さんの言葉は理不尽だった。母さんが死んでどうしようもなく心が締め付けられているのに、理解をしてくれない。正直、兄さんの言葉は不満だった。

 後で気が付いたけれど兄さんも我慢していたのだろう。けれど私のお兄ちゃんだし、母さんから『ジークリンデをお願い』と言い残されていたから。最近あの時の事を思い出して、ごめんなさいと謝ると『気にするな』と照れ臭そうに兄さんが告げたのだった。


 要領が良かった兄さんは仲間たちに直ぐに受け入れられていた。


 元々喋る方じゃないし、不器用だから新入りの私を疎む声もあったけれど、彼女は私の目を確りと見ながら、どうしたいのか、何を考えているか、よく聞きだしてくれた。

 出来る仕事を与えてくれて、時には彼女から手ほどきを受けたり、分からなかったり出来ない時は根気よく教えてくれる。手順や要領さえ覚えれば、コイツは出来ると周りが認識してくれて、ようやく私を受け入れてくれた。

 

 貧民街で暮らしていると、大人たちの暴力に晒されることが時折あった。そういう時は、直ぐに逃げると決めていた。


 夜、真っ先に気配に気付いたのは彼女だった。


 一番最初に私に声を掛けたナイは裏手から出るようにと言って、静かに残りの仲間を起こして逃げるように促がす。ガタリと大きい音がして大きい影からぬらりと伸びる。そうして最後に逃げようとしていたナイが、運悪く捕まったのだった。


 『っ……――痛てぇ! 餓鬼が大人しくしろっ!!』


 『ぐっ!』


 声と共に微かにお酒の臭いを感じた。どうやら酔って子供しかいないこの場所へと、忍び込んだようだった。

 怒気を含んだ声に肩を竦ませると、仲間が頷き合い近くにあった廃材を手に取り男へ反撃を試みた。子供であっても多勢に無勢には敵わなかったようで、汚い尻を何故か半分みせながらそそくさと逃げていく。


 『大丈夫か!?』


 『うん、平気』


 『怪我……!』


 『大丈夫、浅いから。ありがとう、助かったよ』


 みんながナイへと駆け寄って無事を確認している。左腕を抑えて痛みを我慢しているような顔が、天井から漏れている月明かりに照らされていた。

 

 『ナイ!』


 『リン。何もなくて良かった』


 私の顔を見て凄く安心したような顔をするナイ。この時の私は理解が出来ていなくて、どうしてあんな顔をするのか分からなかった。随分と後になって気が付いて、後悔した。私を真っ先に逃がしてくれたのは、みんながその可能性に気付いていたから。酒に酔った男の悪意を理解していたから。


 ――守られてるだけじゃ、駄目だ。


 強くなきゃ、もっと行動しなければと決意した時だった。


 私にとって兄さんは父と兄。ナイは母であり姉であり妹のような存在。大切な仲間であり、家族。自分の道を見つけて一緒に居ることは中々出来ないけれど、生き残った孤児仲間も私にとってかけがえのない存在で。


 「リン、一緒にお風呂入ろう。話は其処で」


 兄さんは『なら少し席を外すぞ』と言ってナイが借りている客室から出て行った。


 「久しぶりだね。嬉しいな」


 最近、環境が変わって中々一緒にお風呂に入ることはなくなっていた。王さまの言いつけで、ハイゼンベルグ公爵家敷地内にある別邸にて過ごすようになったから。服の下に隠れて、腕に残っている古傷を見る度にチクりと胸が痛む。あの時、もっと上手く行動していれば、今みたいな強さがあれば。


 「どうしたの?」


 「ううん、なんでも」

 

 ナイの言葉に軽く頭を振って、お風呂場へとゆっくりと二人で歩いていくのだった。

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