第120話:前の状況は。
行軍していた部隊は足止めを余儀なくされる。前の状況が分からないので、情報把握してから再移動か撤退するかを決めるらしい。
前線へと合流する者を選出し、移動を始める。怪我人が何人居るのか分からないので、アリアさまと護衛騎士のみんなと私は当然メンバーに組み込まれた。
「雰囲気が重い……」
「……嫌な感じが凄くしますね、ナイ」
人気がない森の中。獣道を進みながら、前線部隊を目指す私たち。空気の重さを感じてぼそりと呟くと、私の隣を歩いていたアリアさまに声が届いていたようで、呼応するように言葉を紡ぐ。
「ええ」
副団長さまが前に援軍として嬉々として突撃していったので、そう心配はしていないけれど、本当にどうなっているのやら。
ほどなく歩いていると、怪我をして木の幹に凭れ掛かり痛みを耐えている人たちがチラホラ見かけるようになった。重傷者は最優先で下げられて私たちの治癒を受けているはずだ。ここに居る人たちは軽傷だったか、放っておいても暫くは持つと判断された人達だろう。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。どうにか……」
痛みを耐えながらしかめっ面をして言葉を返してくれた軍の人に治癒を掛ける。痛みが引いたのか、少しすると顔色が良くなってきた。応急処置であることを伝えて、次の人の下へ行きしゃがみ込み言葉を掛けながら、治癒を施していく。アリアさまも先程の治癒でコツを掴んだのか、手際よく捌いているので心配はいらない。
「ナイ!」
離れて周辺警戒をしていたリンに声を掛けられる。その声に気付いて同じく周辺警戒をしていたジークがリンの下へと行き、私も駆け寄った。
「どうしたの?」
「これ……見て」
リンの足元には魔物の死骸が横たわっていた。剣で切られた跡があり内臓が零れ出ているけれど、問題はソコじゃない。
「……何、これ」
魔物――ゴブリンの死骸には黒い痣のような禍々しい模様が、体の至る所にある。こんな個体のゴブリンは見たことないので、原因は他にあるのは明白。
「呪いの類っぽいね。趣味が悪いなあ」
恐らくだけれど。しかし、魔物に呪いなんてものを掛けて一体何になる。
まあ、この手の事に関しては魔術師団副団長さまの分野だろう。前線への増員として先に送られているので、後で聞いてみることで今考えることではない。
「リン、教えてくれてありがとう」
「ううん。――でも、どうしよう?」
放っておくと碌なことがない。死体に獣が群がる可能性もあるし、同族を呼びこむ可能性もある。知能は低いがゴブリンは群れで生きる魔物なので、同族を殺されたと怒りに囚われ暴走する可能性も捨てきれない。
「とりあえずは放置だな。上の連中が決めることだ、俺たちは俺たちの仕事をすればいい」
ジークの言葉にそれもそうだなと頷いて、怪我人の治療をしつつ前線へと上がっていく。そうしてようやく副団長さまや指揮官の方たちの姿が確認できたのだった。
「ああ、聖女さま方、お二人共こちらへ来られたのですね」
「はい。怪我人の治療が必要だろうとの判断で、増援の方々と一緒に参ったのですが……」
「助かります。――……こちらへ就いた聖女さまはどうやらこういうことに不慣れだったらしく……」
ああ、使い物にならなかったのか。流石に周囲に聞こえると不味いので、少し顔を近づけて呟くように指揮官の人が私たちに届くように言葉を発した。
慣れない魔物討伐。しかも魔物には異変が表れていた。話を聞くに、錯乱したようで聖女の役目を全うするよりも、自分の身の安全確保の為に攻撃魔術を乱発して現場を混乱させたそうな。
件の聖女さまは一体どこにと視線をさ迷わせると、侯爵家の護衛騎士数名に囲まれた中で、地面にしゃがみ込んでいる。
――ああ、初めてだったのか。
彼女が座り込んでいる場所、というか服。濡れてた、見事に。おそらく護衛騎士の人たちはその事実を隠したいのだろうけれど、見たら見たで問題があるので彼女を囲っているのみ。
ただ周囲の人たちはワザと見ないようにしている。彼らもまた初陣の経験があり、恐怖に震えたことがあるから。人のことを笑えないと理解している。私も初陣の時はまともに動けなかったし、人のことは言えないなあと苦笑い。
――"吹け一陣の風"
無詠唱で一節分の魔術を唱える。同じ詠唱でも様々な効果を得られる魔術は便利なもので。口に出して詠唱はしていないけれど、ゆっくりと魔力を起こして発動させたので大した負担にはなっていない。これで漏らしたことは分からなくなるだろう。
「あれ?」
どうやら魔力に敏感なアリアさまが違和感を感じて、周囲をきょろきょろと見渡しているけれど私が魔術を発動させたのは分からないようだ。
侯爵家の聖女さまも状況を把握できていないようで、目を白黒させている。気の強い彼女のことだから、そのうち勝手に立ち直るだろう。
「状況はどうなりましたか?」
確認したいことがあるので、指揮官の人へ質問を投げると答えてくれるようで私に向き直る。
「一先ず、応援に駆けつけてくれたヴァレンシュタイン殿が我々を襲った魔物を倒し難を避けました」
一瞬、誰だと考えたけれど……――副団長さまの魔術によって襲撃を受けた部隊はどうにか持ちこたえたようだ。流石、魔術馬鹿と呼ばれるだけはあるし、フェンリルを霧散させた実績を持つ人だ。
安定の安心感。で、当の本人は倒したゴブリンの比較的綺麗な死体を持ち帰るつもりなのか、収納が出来る魔術具へと納めている。何をするつもりなのかという疑問は愚問なのだろう。研究材料が手に入って嬉しそうな顔している。
「そうでしたか。被害は?」
「死者は居ませんが、怪我人が多いですね。目的地までまだ距離がありますので、少々不味い状況です」
「後ろへ下がってきた怪我人の方々は道すがら治癒を施しました。酷い方も居ましたが命に別状はありません……再編して出発を?」
「ありがとうございます。――出来ればそうしたい所でありますが……辺境伯さまや騎士団の判断もありますので」
そう、私が質問をしたのは軍の指揮官さま。辺境伯領軍と騎士団と王軍の混合編成となっているので、おそらくこれから協議するのだろう。指揮系統が分かれているのも大変だ、と短く息を吐く。
「兎にも角にも私たちは怪我を負った方々の治癒をして参ります」
「申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
頭を下げる必要はないのだけれど、と指揮官さまを背にして怪我人の下へと走るのだった。
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