第98話:三人の答え。

 目の前の男の首を切れと言われて、困惑する私たち三人。


 ――奥方さまに試されているのだろうか?


 目の前の男は元貴族である。父親の代で叙爵されたと聞くので、高位貴族の可能性は低いだろう。二人は男爵位を持つ人の息子と娘として籍に入っている。

 私も、お貴族さまに準じる聖女という役職を持っている。そしてこの場には伯爵さまと奥方さまが居るという事実。


 男は伯爵さまに喧嘩を売っている。口頭なのか書面を交わしているのかまでは知らないが、伯爵さまとの約束事を破り、あまつさえお金まで着服したのだ。今、伯爵さまに切られても誰も文句は言わないし、むしろ迎合するのだろう。


 「誰か、剣を持て」


 「は!」


 奥方さまの命令に護衛の騎士が短く答え、地下室の片隅に置かれていた木箱から取り出し、恭しく彼女へと渡す。

 そうして奥方さまは片手で鞘を掴んで、何故か私へと渡してくれた。鞘を左手に、柄を右手で掴んで少しだけ腕を動かす。


 手渡された剣は飾り気はないものの、手入れの行き届いた両刃の剣だった。


 「ひいっ!」


 鈍く光った剣が男を射抜いたのか、怯えた声をだす。子供の頃、随分と大柄に見えたのだけれど、鎖に繋がれ膝を付いて怯える姿に以前のような威勢は全くなく。

 あの時の剣幕はどこに行ってしまったのだろ。怒りに任せて仲間を切った男は随分と震えている。死を目の前にして、少しくらいは切った子のことを思い出してくれただろうか。


 「――はあ」


 大きく息を吐いてから、目を閉じると同時に少し引き抜いた剣を納められた状態へ戻して、ゆるゆると首を振った。


 「目の前の男性に、私は確かに怒りを覚えています。――ですが、首を落とせと言われ嬉々として行動を起こせる感情は持ち合わせておりません」

 

 王国の、この世界のルールを知らなかった幼かった頃とは違う。またあの時と同じように感情のまま行動に出れば、今度こそ本当に大事なものを落としてしまう。それに目の前の男にも家族がいるだろう。どこかで悲しんでいると知ってしまえば、切ったことを後悔してしまう。――だから。


 「閣下や夫人のご厚意には感謝いたしますが……聖女としても個人としても、目の前の彼の命を奪うことは出来ません」


 深くお辞儀をして奥方さまに剣を返すと、納得してくれたのか受け取ってくれ、そのまま少し体をずらした。


 「ジークフリード」


 「俺は……私は聖女さまに仕える騎士です。剣を抜くときは彼女を脅かす存在が目の前に立ちはだかった時のみです。――なんの脅威もない無抵抗の男を切ってなにになりましょうか」


 私に一度視線を寄越して、奥方さまへ戻すジーク。


 ふうと一つ息を吐いて、奥方さまが次に剣を向けたのは、残りの一人。


 「私も、兄と同じ意見です。――母さんを……母を失った原因なのかもしれませんが……もう済んでしまったことだから」


 拙いながらも、キチンと言葉にして自分の気持ちを吐き出すリン。彼女へ向けていた剣を奥方さまは護衛の騎士へと返して、私たちに向き直る。


 「では、この男を不問に処すと?」


 「いえ、然るべきところ、司法組織へ預けるべき案件かと」


 未成熟ではあるけれど警察のようなものもあるし、裁判所もある。警察組織は軍や騎士が執り行い、そこから罪人が引き渡され裁判にかけられるそうだ。あまり関わったことがないので、詳しくは知らないけれど。


 「わかりました。二人はどう考えますか?」


 私から視線を外し、横にいるジークとリンへ視線を向ける奥方さま。伯爵さまは黙りこくっているけれど、良いのだろうか。


 「私も聖女さまと同じ意見であります。もう既に終わったことですから」


 「兄と同意見です」


 右に倣えのようになっているのだけれど、良いのだろうか。二人に視線を向けると目を細めて微笑んでくれた。どうやら『気にするな』ということらしい。

 

 既に乗り越えているのだから、後ろを向く必要はない。


 もう終わったことで、過去になっているのだから。そして死んだ人は戻ってこない。罪を犯したというのならば然るべき罰を受けるのが妥当だろう。私刑に処せば、そのことをずっと引きずってしまいそうだから。


 「三人の意見は承知しました。――旦那さま、如何なさいます?」

 

 「そうだね。格好よく男の首を切るべきだろうけれど、私は聖女さまとジークフリート、ジークリンデの意見を尊重したい。――騎士団、いや軍へ引き渡そう」

 

 忘れていたけれど伯爵さまは近衛騎士団団長さまである。その下部組織になる騎士団とは懇意なので、伯爵さまの力が及ばない軍の方へ引き渡すようだ。


 「わかりましたわ。手配いたしましょう。――貴方が侍女に手を出さなければ、こんなことにはなっていなかったというのに……」


 奥方さまの言葉は尤もだけれど、それだと私はジークとリンに出会えないので、微妙な顔になる。それを察知したのか、リンが半歩距離を詰めて肩が触れ合う。


 「それは……そうだけれどね」


 下半身が耐えられなかったんですよね。女癖が悪いと言われているから仕方ないとはいえ、まさか巡り巡ってこんなことになるとは。


 「妙な所で旦那さまは慎重になるのは何故でしょうか。あの侍女に手紙を出したり、接触していればわたくしが対処していたというのに……」


 「……だってバレると君が怒るじゃないか。だからこっそり金銭支援だけしてたんだ」


 「当たり前です! なぜ貴方は仕事のこと以外になると、こうもボンクラになってしまうのか……そして肝心な所は踏み外さない。どうしてこんな男を好きになってしまったのか……」


 尻すぼみになっていく奥方さまの言葉は私たちには届かず。結局最後は伯爵さまと奥方さまの夫婦喧嘩が始まる。


 「そろそろ去勢をいたしますか?」


 「え?」


 「陛下や聖女さまの後ろ盾である公爵閣下に連絡を取れば、可能でしょう」


 「待って、ねえ、待って!」


 ものすごく焦っている伯爵さまを尻目に、奥方さまは言葉を続ける。もしかして奥方さまワザと私と接触したのかな。公爵さまは後ろ盾だから、経緯を話せば協力を取り付けられるし、公爵さま経由で陛下にも話を持っていくことが出来る。

 伯爵家の恥部を晒すことになるけれど、どうにもならないと判断したなら後は進むだけ。


 「騎士団長としての仕事ぶりは部下から信頼を得ていますが、こと女性関係となると貴方の評価は地の底です」


 護衛の騎士の人たちが奥方さまの言葉にこくこく頷いているのだけれど大丈夫なのだろうか。まあ、それだけ伯爵家とは関係が優良なのだろう。


 「うぐっ……それは……」


 「今回で最後です! 次に女性関係の問題が発覚すれば、いろいろと立ち回らせて頂きます!」


 護衛の騎士の人たちが呆れ顔で見守っているのだけれど、伯爵さまの立場が危なくなってるよ。ちゃんと女性関係を断つことが出来るのかが問題……超難問な気がする。というか伯爵さま、女性関係の評判が悪いことは自覚してたのか。


 そうして夫婦喧嘩を眺めること暫く、また執事さんの後をついて行き帰路へと就いた。


 後日、奥方さまから謝罪の手紙が届いた。内容は私たちを試したこと。


 どうやら奥方さまは私たちが剣を取れば、その場で止めるつもりだったそうだ。過去に仲間を切られているとはいえ、その現場を証言してくれる者もいなければ、証拠もないのだから。

 私刑になってしまうし、聖女と聖女の騎士としての評判は落ちてしまう。悪評が立って困るのは自分たちなのだからよく考えて行動するように、と。


 貴族として聖女として真っ直ぐに生きていきなさいという激励と、貴族の矜持や立ち回り方が綴られたものが、もう一通添えられていたのだった。


 あ、男は軍へと引き渡され、裁判にかけられて『ガレー船送り』となったそうな……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る