第64話:婚約破棄宣言。

 ざわざわとし始めたホール内は、学院の生徒で埋め尽くされている。来賓の人たちも和やかに歓談しているし、こういう所でも外交の場として役立てているようだった。


 「健啖だな。腹を壊すなよ」


 私に声を掛けたのはソフィーアさまだった。口の中のものを無理矢理飲み込むと、咽かける。


 「――っ、どうしました?」


 「一人で暇でな。声を掛けてみた」


 どうやら本当に手持無沙汰らしい。用もないのに声を掛けられるのは初めてのような気がする。

 第二王子殿下と一緒に居なくていいのかと、寸での所で言葉を飲み込む。彼女ならば、何も言わなくても殿下の側に居るだろう。

 ということは殿下に『近寄るな』とでも告げられたか。


 少し前に幽閉塔へ彼女と一緒に赴く際に、殿下に見つかってしまい口論となってしまった。

 それが切っ掛けで殿下の拒絶反応が強くなってしまったから、殿下とどう付き合えば良いのか考えあぐねている様子だし。

 これ以上、婚約を継続しても無駄なような気がするから、白紙に戻した方がお互いに良い気がするけれど、出来ない理由があるのかそれとも白紙に戻されているのか。


 「そうですか。――ソフィーアさまも食べますか?」


 掛ける言葉がみつからないので、適当に話題をふる。お貴族さまの女性の間ではこういうパーティーや夜会では食べないのが常なので、無駄な問いかけであるのは理解しているけれども。


 「いや、すまない。こういう時は食べないようにしているんだ」


 コルセットをぎゅうぎゅうに締め付けていると食べられないと、ちょっとふくよかなご令嬢が零しているのを聞いたことがある。

 私の横に立ったソフィーアさまならそんな心配は必要ないだろうに、それでも口にはしないようだ。ああ、そうか。毒殺の心配もあるもんなあ、お貴族さまは。

 毒味役のいない場で口に物を運ぶのは危険なのだろう。不特定多数がいる中で毒を盛るメリットは薄いけれど、可能性の話である。


 珍しく苦笑いを浮かべる彼女に苦笑を返すと、周囲の人たちが一か所へ視線を集めていた。


 周りよりも一段高くなった壇上に一人の生徒が昇っていく。その人はこの学院へと通っているのならば、名前と顔を知らないとは言えない人。


 ――第二王子殿下。ヘルベルト・アルバトロス、その人だった。


 どういうつもりなのだろうと壇上を見上げると、周囲の人たちも揃って彼へ視線を集めている。壇上へと視線を移したことで私の少し前に立つ形になったソフィーアさまの顔はうかがい知れない。

 ただ、複雑な心境で彼の行動をみているのは明らかだろう。ヒロインちゃんのお陰で溝が深くなったとはいえ、まだ婚約者同士なのだから。


 「ソフィーア・ハイゼンベルクっ! これまでは見逃してきたが彼女への蛮行は許しがたいものである、よって俺は貴様との婚約破棄をこの場を持って宣言するっ!」


 くらりと頭が揺れた気がした。周囲の人もこの突拍子もない第二王子殿下の言葉に呆然としたのちに、あまりの無茶振りに気が付いたのかざわざわと声がホール内に木霊する。

 どうやら殿下の中でのソフィーアさまは地に落ちているようだ。数日前の王城での出来事が決定打だろう。


 「…………」


 無言のソフィーアさまの手を見ると、小さく震えていた。彼女にしては珍しいと、視線を上げて壇上へと目を向ける。

 本来ならば幽閉塔へと捕まっているヒロインちゃんの姿もあったのだろう。創作物やゲームが舞台ならそうなっていたに違いない。

 ただ王子殿下を始めとした将来の重役候補をいとも簡単に篭絡してしまったのが不味かったし、魔物討伐の際に無茶をしなければ幽閉なんてされなかっただろうに。


 「何故、黙っている!? ――今もなおアリスは牢の中へ閉じ込められ泣いているのだぞっ!!」


 完全に頭に血が上っているなあと、冷めた目で見つめる。


 前世の私ならば彼とヒロインちゃんに同情したかもしれないが、この世界で十五年間生きてきていろんなことに遭遇した。

 理不尽なことや大変なこと、なかなかにハードな日々をここまで過ごしてきたが……。


 ソフィーアさまとの政略婚を続ける覚悟も持てない人ならば、ヒロインちゃんくらいのお花畑の子がお似合いなのだろう。


 しかし、彼の突飛な行動を止める人間がいないというのも、おかしい状況である。

 王族の人のやらかしだから、国王陛下が真っ先に止めなければならないのだけれど、何故止めないのだと視線を陛下の方へこっそりと向ける。

 厳しい表情を浮かべた、どことなく第二王子殿下に似ている陛下は椅子に深く腰を掛けたまま動かないし、その近くに座っている公爵さまも動かない。

 来賓で一番品格が高そうな人は面白そうに、この婚約破棄劇を眺めている。


 誰か止めよう、と願っても止める人は居らず。仕方ないか、と腹を括り一歩を踏み出してソフィーアさまの横に並び、両膝を付いて聖女としての礼を取る。


 「殿下、どうか怒りをお納めください」


 しまったなあ、聖女の格好をしてくりゃよかった。見た目は大事なので制服で行動するよりも聖女の姿で行動した方が、言葉の信憑性とでも言うべきか、ソレが上がるからなあ。


 「貴様は……」


 ソフィーアさまから矛先が私に変わることを願って、衆目の中での婚約破棄という晒し行為が止まることを願って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る