二枚舌

呉須色 紫

20XX年4月1日 4:62

 これは俺が体験した本当にあった出来事だ。

 俺の実家は山と森に囲まれた、いわゆる田舎と呼ばれるような場所だ。

 生まれてから二十数年そこで暮らし遊んでいた俺に、今までにない奇妙な出来事があった。

 家を出て東に進み森の奥へと入ると小さな川がある。その川沿いを上り、川を越えて更に少し東へ行くと小屋のようなものがある。その小屋の屋根から周囲を見回すといくつか家が見える中で一際古い家が見える。

 その方角へ進むと見えていた古い家に着く。

 何度も行ったことがあるんだから最短距離を真っ直ぐ進もうとしたこともあったけどいつも失敗していた。古い家どころか、その近くにある家にすら辿り着けなかった。

 これ自体は奇妙でもなんでもなくて、ただ俺が方向音痴なだけだ。

 古い家に着くと言ってもそこが目的地ではない。俺の目的はその先にある友人の家であり、そこへ向かうための近道として森の中を通り、古い家を目印にしていただけだ。

 今日も日が暮れるまで遊んで帰路に着く。

 帰り道は遠回りになるがいつも田んぼ道を歩く。今日もそのつもりだったが、なんとなく古い家の方へと足を進めていた。

 いや、なんとなくではない。誰かに呼ばれたような気がした。こっちへおいで、と言っているような気もするし、名前を呼んでいるような気もする。

 俺を呼んでいるのか。それとも別の誰かを呼んでいるのか。そんな疑問を持つよりも先にいつの間にか古い家の前まで来ていた。

 薄暗い時間帯に来るのは初めてだ。風が吹き森の木が揺れ不気味な音を立てる。

 恐怖と同時に好奇心にも似た感情を抱いた。

 今この場にいるのは俺一人。この声はきっと俺にしか聞こえない。そう思うと俺は少し愉悦感があった。

 男なら誰もが経験したことがあるだろう? 例えば他人とは違う何かがあった時、自分が特別だと思い込むことが。例えば原因の分からない痛みを感じた時、何か覚醒の兆しではないかと思うことが。

 アニメの見すぎだと言われるが、俺はそういうのが大好きだ。だから俺はどれだけ不気味だろうとここから去るという選択肢を持っていなかった。

 古い家は柵に囲まれ、ロープで立ち入りを禁止されている。この家が誰の持ち物か分からないが禁止されている以上、一歩でも踏み入れば不法侵入になる。いけないことだと分かっていながら俺は声の導くままにロープをくぐった。

 庭に生えた雑草は膝辺りまで伸びている。少し歩きづらいが一歩ずつ俺は古い家へと向かう。

 ツタが巻きついた家。正面から見ると言いようのない恐ろしさがある。俺は引き戸に手をかけ慎重に開ける。

 鍵はかかっていなかったが、建付けが悪いせいで少し力が必要だったが壊すことなく中へ入ることができた。

 普通の家なら玄関で靴を脱ぐが、この家の中は酷く汚れていて靴を脱ぐ気にならない。

 スマホのライトをつけてゆっくりと廊下を進みながら部屋を見ていく。

 どの部屋も汚れている。俺をここへ招いた何者かはどこにいるのか。歩き進めているうちに最奥の部屋まで辿り着いた。

 他の部屋と同様に汚れていたが、他の部屋とは違い文机に和本が置かれていた。

 少し気になり俺はその本を手に取った。埃まみれで染みで汚れている。誰かがここに侵入して置いていった本ではなく、恐らく誰かがここに住んでいた時に残した本。

 咳き込みながらも埃を払い、本を開いて中に目を通すが達筆でほとんど読み取れない。

 とりあえず読み取れる字だけを読んでいきながら一度最後まで目を通す。

 内容の八割も理解できなかったが、なんとなく字の癖が分かり、もう一度初めから読んでいく。読めない部分は前後の読める字から予想して補完する。

 読めない字を補完しているせいで本来の内容とは少し違うのかもしれないが大筋は理解できた。

 書かれていた内容はこの家に関する怪異や呪いに関するもの。

 こういったオカルト系は大好きだ。だがひとつ引っかかることがある。

 さっき俺が体験したことが書いてある。


 日の落ち始める頃、知らない声がこの家まで導く。導かれた者は、この家の主の餌となる。


 要点だけを掻い摘み分かりやすくするとそういったことが書いてある。

 今の自分と重なる展開は好きだ。早く次を読みたい。そう思い俺はページをめくる。


 家の主は餌の前に姿を見せない。だが神棚のある部屋に入った者は別だ。家の主は餌の元へ近付く。五感のうちのどれかを使って自身がそこに存在していると明かすだろう。


 そこまでを読み終え自分なりに解釈したところで、静かだった家の中で物音がすることに気付いた。自分の出した音ではない。廊下の方から聞こえる何か。初めはよく聞こえなかったが少しずつ大きくなっていく。

 びちゃ……びちゃ……と濡れた何かの音。足音だろうか。すぐそこまで近付いてきている。

 背筋が凍る。息が詰まる。恐怖で廊下に目を向けることができない。

 こんな状況をどうにかする方法は何かないのか。このまま動かずにいて大丈夫なのか。助けてくれ、と祈りながら焦り気味に本を読み進める。


 存在を明かすだけで家の主が直接餌に手を出すことはない。だが今この部屋を出れば食い殺されてしまう。家の主は人間の魂を喰らうバケモノなのだから。


 つまり動くな、ということだ。だが動かないだけでは何も変わらない。いつ戸に手をかけて中へ入ってくるか分からないのだから。


 部屋である異変が起こる。それは血に塗れた真っ赤な呪い。それは餌の未来を映している。死の宣告である。


 ふと頭のてっぺんに何かが落ちた。水滴のようなものだ。指で触れてライトに照らして確認すると、それは真っ赤な血のような液体だった。恐らく血だ。

 即座に天井を見ると、隙間から血が漏れ落ちていた。

 ほんの数秒の間天井を見ていただけ。それなのに、ふと視線を戻すと、両手が真っ赤に濡れていた。足元も血塗れになっており、部屋が赤く染まっていく。

 血で汚れて読めなくなる前に俺は続きを読む。


 死を回避する術はない。だが死を先送りにする方法がある。呪いを纏え。真っ赤な血ではなく呪いを。

 もし今これを読んでいる餌と同じようにここへ踏み入ろうとしている者がいるのなら、近付くなと伝える時間くらいは得られるだろう。運が良ければ何日か生き延びることも恐らくは可能だ。

 だがやはり結末は死だ。呪われてバケモノに喰われ死んでいくのだ。そして新たな餌を呼ぶ呪いとなるのだ。この本を読んだ者は皆同じように。


 それで内容は終わりだった。

 絶望でしかなかった。自らの死を悟った上で、呪いとバケモノの恐怖に怯えることになるのだ。

 こんな恐怖に怯えた状態だと冷静な判断なんてできないはずなのに、俺はその本に書かれてある通りにした。

 死にたくない。ただその一心で。



 という真っ赤な嘘を友人にメールでつかれた。何故こんな嘘をつかれたかというと、今日がエイプリルフールだからである。

 実際にうちの近くには森や山があるし、古くて使われていない家もある。そういった実際にあるものを使うと嘘が真実っぽく聞こえるんだと。エイプリルフールのネタばらしをしてくれた時に友人がそう教えてくれた。

 真実を混ぜてるなら真っ赤じゃないじゃん、と言いたいところだが、まあまあ話を作り込んであったし悪くない嘘だったから許そうと思う。


 エイプリルフールのネタばらしのメールを貰って以来、友人からメールも電話も返ってきていない。もう五年以上経つというのにどこで何をしてるのだろうか。

 最近夜に外を出歩いているとどこからか声が聞こえるようになった。呼ばれているような気がするが、気のせいだろうか。

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二枚舌 呉須色 紫 @gosuiro_murasaki

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