最後の討論

@hinohara74monokaki

第1話

 この日、眼光鋭い白髪の小柄なジャーナリスト、田原総一朗は今までにない緊張感を感じていた。

 上から見ると穴の開いたドーナッツを細長く引き伸ばしたような長机、その机が中央に置かれたテレビスタジオで、長年、大物政治家や宗教家、暴力団、多くの俗物、傑物(けつぶつ)達とわたりあってきた田原が、慣れ親しんだ場所で何を緊張するのか……それも無理はない。


 音楽とともにナレーターが話し始めた。

「戦争を止められなかった人類は今や絶滅寸前」

「大物政治家や暴力団、宗教家たち。彼らと討論をくりひろげ、数々のタブーに挑んできた田原総一朗!今夜、彼が最後の討論を挑むのは、人類に代わって地球上を占拠しているゾンビたちです」

「はたしてなぜ人類は滅ぶのか……激論!生きるゾンビ滅ぶ人類」


 ナレーションが終わると、マイクを持った司会の男女がぎこちない笑顔で一礼し、女性司会者が口を開いた。

「えー、みなさまこんばんは。人類最後の金曜日、いかがお過ごしでしょうか?早いもので人類の終えん、冬の時代がいよいよやってきたなという感じがするのですが、ゾンビの皆さんからすると春の時代がやってくるなと考える方も多いのではないでしょうか……」


 女性司会者が男性司会者の方へ向くと彼はうなずいてマイクに向かって口を開いた。

「まあ、スポンサーや上層部に遠慮して新聞やテレビが盛んに報じなかったことも原因で人類は終わりをむかえるわけですけれども、戦争のはてに某国が使用した生物兵器マールブルグゾンビウイルス、通称MARZV(マーズウイルス)、これにより人々は次々にゾンビと化し、ゾンビにかまれたり引っかかれたりした人々もまたゾンビになってしまうという……」


 男性司会者の言葉を受け女性司会者が発言した。

「えー、彼ら自身は自分たちのことをゾンビとは呼んでなくて、ゾンビというのは死体のままよみがえった人間の総称なんですね。彼らは自分たちのことを新人類やラテン語で永遠の平和(pax aeterna)や生まれ変わり(renatus)と呼んでいるようですが、いずれにしろ彼らによって人類が滅亡すれすれに至ってることも事実でして、まもなくゾンビたちだけの世界が来るわけですけども……」


 女性司会者が目くばせすると男性司会者が言葉を続けた。

「まあ、気が付けばすぐ横にゾンビという時代になり、ワクチンなどの人類の抵抗もむなしく、いつもゾンビがいるという状態になっているわけですね。それと同時に生物兵器を使われてもなお、遺憾の意を示すばかりのニッポンの社会と、それからみんながゾンビになったなら私もという文化背景というものがゾンビ化を促進したと言われています」


 女性司会者があきれたように述べた。

「えー、国際的に最後の討論番組が日本だなんてありえないと言われておりますが、海外では著名人やモデル、スポーツ選手がゾンビ化したことでSNSでもゾンビ化がトレンド入りするなど、若い世代でもゾンビ化ブームというのが流行りまして、特に大陸でのゾンビ化が急速に広まりました。ガラケーにしろ法の整備にしろ、ガラパゴスとか世界に後れていると言われるニッポンでは、幸か不幸か世界的に見てもゾンビ化の進行が遅れており、またゾンビ化を遅らせる薬を秋葉博士が開発されたことにより、ここニッポンで、最後の討論番組をやるしかなくなったということですけれども……テレビ番組でゾンビについて論じる、ゾンビと討論するというのは初めてのケースです。それではパネリストの皆様をご紹介しましょう」


 女性司会者に促されて、大きな黒ぶち眼鏡をかけた白髪の男性が歩を進めるとパチパチという拍手が起きた。

「ゾンビ映画を撮影し、自らもゾンビになったロメロさんです」

 男性司会者が続ける。

「ゾンビと戦うために自らもゾンビになった警察官、ロジャーさんです」

パチパチパチパチ。

 その後、女性司会者と男性司会者が交互に討論に参加するパネリストたちを紹介し、拍手が続いた。

 女性司会者

「ゾンビ化の進行を遅らせる薬を開発した秋葉博士です」

 男性司会者

「疾病(しっぺい)モデルに基づいたゾンビの感染率、感染経路を計算し、物理学会で発表、人々に注意を呼びかけた研究者のアレミさんです」

 女性司会者

「人でありながらゾンビたちにゾンビ学を教える禁忌(きんき)大学観光学部教授のオカモトさんです」

 男性司会者

「法律でゾンビは裁けるのか?ゾンビに人権はあるのか?弁護士のハーゲンスさんで……あっと!ハーゲンスさんがゾンビにかまれてしまった」

 女性司会者

「弁護士はもう一人いらっしゃるので大丈夫。ゾンビによる人権侵害を許すな。弁護士のダニエルさんです」

 男性司会者

「ゾンビに関する著書もある、作家のスティーブンさんです」

 女性司会者

「ゾンビのいない社会はありえるのか?作家のノーライフさんです」

 男性司会者

「科学者の言うことはくだらない。ゾンビは飼いならして兵器にすべし、軍人のローズ大尉さんです」

 女性司会者

「日本最後にして初の女性総理大臣いざなみのみことさんです」

 男性司会者

「ゾンビの権利の代弁者、静かな丘代表のサンカクさんです」

 女性司会者

「このテーマについてはぜひ、人間の暴力性と社会について発言したいと積極的です。著述家ニシベ・アフターライフさんです」


 男性司会者

「そして、討論の司会者はいつものように田原総一朗さんです」

紹介された田原は腰で手を組みながら軽くうなずくと、前へ進み出ながら右手で左腕のスーツのすそにふれると、同じように左手で右腕のスーツのすそにふれ、両手を組んで拍手のなか進み出た。


 男性司会者

「以上14人のパネリストによりまして今夜の討論は進行いたします。会場の皆さんをご紹介しましょう。一般の視聴者ゾンビの皆さん800人がスタジオに来てくださいました。今夜は若い方が大変多いのですが、スタジオに入りきれない方々が廊下にあふれ、放送局の外にも数えきれないゾンビの皆さんが集まっているという状況です。うなり声をあげておりますが後ほど意見をうかがいます。積極的なご発言はかんげいです。専門家の意見にかみついてもいいですが、人間の体にかみつかないようお願いいたします」


 女性司会者

「はい、かまれてゾンビ化するまでよろしくお願いいたします。えー、そしてテレビをご覧の――観る人いるのかな、ゾンビの皆さんにも、もちろん今夜は電話やスマートフォン、パソコンから番組に参加して頂きたいと思います。皆様からご意見をお寄せいただきたいと思います。えー、今回の生きるゾンビ滅ぶ人類についてどう思いますか?あるいはどうしてゾンビ化は無くならないのでしょうか。あるいはこうすればゾンビ化は無くなるといった提案でも結構です。ドシドシお寄せください。えー、電話番号は東京03、0029、××××です」


 男性司会者

「えー、今日はファックスも用意致しました。討論でご発言になってらっしゃるパネリストの皆さんへの率直な質問をファックスやメール、ツイッターなどでお寄せください。ファックス番号は、東京03、0029、××〇〇です。ご意見は電話で質問はファックスやメールなどでお寄せください」


 男性司会者

「それでは参りましょう!朝まで生ゾンビテレビ、激論!生きるゾンビ滅ぶ人類、かまれてゾンビ化するまで――」

 男性司会者と女性司会者は大きく息をすって声を重ねた。

「参ります!」

 テーマ曲が流れ、女性のナレーションが入る。


「この放送はヒューマンミート、文化オワッター、メモリアル墓石、ゾンビクリーニング、死体役グループ、死者の宮殿の提供でお送りいたします」


 女性司会者

「ではまず、討論に入ります前に、とり急ぎ、もうご存じの方も多いと思いますけども、現在なぜ人類が滅ぶことになっているかということをちょっとご説明しておきましょう」


 女性司会者、手書きの文章が書かれているパネルの横に立ち、説明を始める。

「えー、まず某国による隣国への侵略から始まった戦争に対して、国連や国際システムが某国への制裁や決議により圧力を強めました」

 女性司会者は順に文章を指さしながら、言葉を続ける。

「そしてその他の国同士でも至る所で戦争が起き、経済的にも戦況的にも困窮した某国が生物兵器マールブルグゾンビウイルス、通称MARZV(マーズウイルス)を用いたことにより、世界中で一気にゾンビ化してしまう人が急増し、ゾンビにかまれた人も次々とゾンビ化してしまったわけですね」


 男性司会者が話に割って入った。

「医者や疫学者たちも色々対策を講じまして、ワクチンの開発を進めたんですけれども、ゾンビ化を遅らせることはできても治療することはできませんでした」

 女性司会者苦笑しつつ言葉を続ける。

「ふっ、ですね、人類はコロナでワクチンの重要性を痛感させられましたけれども、ゾンビ用のワクチンについて、一部の人々がゾンビにかまれながらデモをしたり、ワクチン開発研究所をゾンビと一緒に襲ったりして、結局、人類がゾンビ化から逃れるすべを失ったわけですね」


 男性司会者

「これ開発が間に合っていれば、人類はゾンビ化を治せたかもしれないんですよ」

 女性司会者

「ええ、ええ、そうですね。私たちが打てたのは治療薬ではなく一時的にゾンビ化を遅らせる薬ですから、効き目がきれたらゾンビ化してしまうというわけです。それでゾンビは生きているのか死んでいるのか、従来の法律でゾンビを取り締まることはできるのか、専門家会議が何度もひらかれました。その間にもゾンビ化してしまう人が増え続けましたが、政治家の皆さんは遺憾の意を表明するばかりで、ゾンビ新法、ゾンビ関連法案ができていれば、ゾンビを取り締まることができて被害を遅らせることができたであろうということが肝心なところですね」


「しかし、富裕層ゾンビが政治家に多額の献金をして、ほぼ全てのメディアへ巨額のスポンサー料を払うことで、ゾンビ化に対する警鐘を鳴らすことができなくなり、かわいい子犬ゾンビやお笑いゾンビ、クイズ王ゾンビ、ドラマゾンビなどの映像ばかり、メディアが流すようになったことも人類のゾンビ化を進めたと言われています。はい、こういったことを頭にいれて頂いて、では討論まいりましょう、田原さんどうぞ」

 女性は襲ってきたゾンビの頭上にパネルを叩きつけて真っ二つに割ると、田原に向かってぺこりと頭をさげた。


 田原はテーブルの上で腕を組みなおすと、口を開いた。

「はい、このゾンビ化ですけれども、しかしまあ、このゾンビ化っていうのは、いまいちよくわからない。これは生きているの?死んでいるの?どうなのオカモトさん」


 オカモトは軽く会釈すると、

「あ、はい。映画やマンガなどの中で扱われている創作上のゾンビは、基本的に死んでいる存在です。それとは別に西インド諸島ハイチの宗教ブードゥー教の呪術によって生み出されたのが起源とされる現実のゾンビは、一部に毒を用いたゾンビ・パウダーを用いて死体をよみがえらせたと言い伝えられています。また、寄生虫が化学物質を出して、寄生した宿主を操りゾンビ化させるものもあります」


 田原はグッとオカモトの方へ体を向けて問いかけた。

「えっ?いやだから生きているというわけ?」

 オカモトは、片手でメガネのツルをつまんで直すと、やや困惑したような表情で言った。

「あ、はい。この世の中でゾンビと言われている存在は概念でも、虚構でもない、生きた存在と言えると思います。私はゾンビ学を通して趣味や経済的な効果を考えており、ゾンビそのものの探求を狙っているわけではないので、詳しくは秋葉博士に聞いていただいた方が……わぁあ!そんなところをかまないで!助けて、ミイラ取りがミイラに、ゾンビ研究者がゾンビに、ぎゃあああ‼」


 田原は何度かうなずきながら、

「はい、はい、CMはさんで進んでいきます」


 そう言うと、区切りをつけるようにテーマ曲が流れ始め、男性の叫び声はかき消されてしまった。


 画面が切り替わり、人形劇で使われるような姿かたちの人間が、裸のままおどり、笑顔で叫んだ。

「お肉のことなら、ヒューマンミート!安くて安全、安心の国産。だからおいしい!」

 その横でナイフとフォークを持ったゾンビが現れ、一緒に踊り始めた。そして人間とゾンビは口をそろえて言った。

「肉はヒューマンミート!」


 再度、画面が切り替わると、田原は口を開いた。

「えー、それじゃ秋葉さんね。ゾンビは生きているってオカモトさんが言っていたけど、ホントなの?なんでゾンビは人を襲うの?」


 秋葉博士は青ざめた表情で横を向いていたが、呼ばれてハッとすると白衣と同じ色の髪をガシガシかきむしり、早口でまくしたてた。


「ですから、某国が使用した生物兵器のマーズウイルスにより、いわゆる感染した状態でしたら、生きていると考えるのが妥当と思われます。それにより、人間の脳の機能も変えてしまい、おそらく前頭葉部分あたりだと思いますが感情をコントロールできなくなるというか――パチンコ依存症の人がパチンコをやめられないように、ゾンビ化した人間も人間を襲うことをやめられない状態におちいっていると思われます」


 男性司会者の甲高い悲鳴が聞こえたが、田原はしきりにうんうんとうなずく。

「もっと詳しくききたい。令和×年12月6日のアソビ新聞に載せられたゾンビ化した人を解剖した医師の見解でね、ゾンビ化すると著しく人に対して攻撃的になると書いている。それから細胞ね。ゾンビは不老不死と言われているがそうではない。でも、人間が死んでしまうような強い放射線を浴びても、平気らしい。エイズやガンにならないし、猛毒でも死なない。ゾンビ同士は人種に関係なく意思疎通をはかれる。そこんとこどうなの、自分もゾンビになったんでしょ?ロメロさん」


 ロメロは、土色した顔に穏やかな笑みを浮かべた。

「グガガァ、くわしい、原理はわからナイ、けども、だいたい、そう。死なない、わけじゃナイ。様々な面で、人間より耐久性が、アル。寒さ暑さヘイキ。乾燥もんだいナイ。免疫力タカイ。ワレワレ、は休眠細胞をもち、栄養不足にナル、とクマムシが、代謝をストップさせル、か、乾眠(かんみん)のヨウに代謝を停止させ、ラレる。

老化や死ノ危機に直面、すると、ベニクラゲ、が大人からコドモへ戻るヨウ、に、若返るコトでき、る。

人種、国かんけいナイ。ゾンビ同士あらそいナイ。人間かみたい、食べタイ。人間ウシ食べるみたいに」


 田原は興味深そうにうなづく。

「うん、通訳を介さずに会話できるね。ゾンビ同士だけでなく、人間とゾンビも国籍かんけいなく話せるようだ、不思議だ~。今の話、もっと具体的に説明できる人いる?誰か」


 田原は周囲の面々に好奇心に満ちた目を向け、問いかけた。


 突然ダアン!という銃声と、ガシャンというどこかで何かが壊れたような物音が静かな空間に響いた。

 キィン、カラン、カラン、カランと薬きょうが床ではねると、軍人は身を乗り出して銃を田原に向け怒鳴った。

「通訳機が故障している訳じゃないなら、お前はいかれている!」

討論に参加していた人間たちは、震える手で耳をふさぎ、ガタガタと小刻みに身を震わながら、ゾンビよりも軍人の方を注視していた。


「はいはい、ちょっとその前に、いったんCMいきます」

 田原は何度もうなづくと、田原の顔面に銃口が突き付けられたまま、何かを区切るようにテーマ曲が流れた。


 倒れたゾンビが画面いっぱいに埋め尽くしていた。

「100人いてもピクリとも動かない。死体役のご用命は死体役グループへ」

 低音のとても通る声の男性ゾンビのナレーションが流れた。


 画面が切り替わると、軍人は銃口を田原に突きつけたまま吐き捨てた。

「田原!なんで周りをゾンビに囲まれながら、お前は平然と討論できるんだ⁉」

 田原はゆっくり両手を何度か握り直して冷静に軍人を見上げた。


「ぼくは戦争の悲惨さ、人間の残酷さを知っている老人だから、できることもある。それに命の危険を感じながら意見を聞くのは初めてじゃない」


 少しにやっと笑ったように見えた田原は、しかしすぐに真剣な表情に戻ると、言葉を続けた。

「タブーとされることでも意見が違う人と徹底的に討論する、民主主義の基本を通せば、わかりあえなくても共として生きていくことができる。差別問題や戦争責任について取り扱ったこともある。だからこそ、ゾンビだからダメというんじゃなくて、自分の目で見て、直接会って話を聞いてみたいと思ったんだ」


 田原のまっすぐなまなざしに、軍人は言葉を失い、銃を持つ手は力が抜けてしまったのか、フラフラと銃口は、田原の顔面から遠ざかっていった。


「こんな、ゾンビっていうムシケラ以下の下等生物によって、人間様は死に絶えようとしている。もう世界中で俺たちしか生き残っていないだぞ。いつ、かまれるかもしれないのに、今、ゾンビたちとおしゃべりだって?日本人はいかれている!ファック、ファック!ファアァアアック‼」


 軍人は座席を思いっきり蹴とばすと、頭を乱暴にかきむしりながら叫び続けた。

「ちょっと待って!」

 田原は興奮する軍人を制止した。

「いったんCM入る、意見はそのあと聞こう」


 なかばあきれたような軍人と、そことは別の場所で激しい物音がしたが、何かを区切るようなテーマソングが、すべてをかき消していった。


 アップテンポの曲が流れ、かわいらしいCGアニメーションのキャラクターたちが踊り始めた。

「はい、みなさま健康ですかぁ⁉私も最近アレどこにやったんだろう、これなんていう名前だっけ?ということがよくあります。そんなもの忘れが心配という方に本日は、文化オワッターより、頭にぶっさすだけで記憶力が上がる、辞書のご案内です!こちらはなんと20万語入っているうえに今なら、万能健康器具とフライパンをつけて…………」


 圧の強いギットギトの笑顔をした男性ゾンビは、その後もしばらく話し続けていた。


 画面が切り替わり、田原は口を開いた。

「人間の存在意義や暴力性、ゾンビと比べてどうなの?ニシベさん……ニシ……あ~、かまれている最中か」


 田原は周囲をぐるりと見渡した後、仕方なさそうに言った。


「いや、ぼくはね、軍人さんいつかまれるかもしれないのにゾンビとおしゃべりだなんてとんでもない!そう怒っていたけれども、さっきの新聞、同じ6日の社説では、人類の脅威であるゾンビは不必要悪だと書いている。ところが、徐々にゾンビの有用性やゾンビ化のメリットが取り上げられると、12月22日の社説では――人類は紀元前から現代まで争いや殺りく、戦争をやめることができなかった。ゾンビ同士は争わない。地球上がゾンビだけになれば平和になるのではないか。彼らは気候の変化に強いため、温暖化の原因になる化石燃料などを人間よりはるかに必要としない。人間以外の動物は襲わない。地球にも植物にも優しい。人類は、地球はもとより地球上のあらゆる生き物、同じ人間にさえ過大な負担をかけている。人間から見ればゾンビは不必用悪かもしれない。けれども、地球全体で見れば人間の方が不必要悪じゃないだろうか。――と、こう書いてあるわけだ」


 田原は背もたれへのけぞると、また猫背に戻り机の上で両手を組んだ。


「普段より文章も雑だし冷静に記事を書けなかったのかもしれない。それでも同じ新聞でさえ、ひと月もたたずに見解を180度、くるっと変えてしまっている。国内だけでなく国外の記事も似た論調だ。ぼくは戦中戦後で国も教師たちも意見が真逆に変わるのを経験している。国のために戦争で死になさい、東条英機は英雄だと言っていたのに、戦後は犯罪者だという。その後、海外で自分の目で見て直接会って取材することで、国も偉い人の意見もマスコミも信用できないと思ったわけ」


 そして決意に満ちた目できっぱり言い切った。


「もう、どこもゾンビだらけなのに、世界中どこに逃げるっていうの。足腰は以前と同じとはいかない。でもぼくは、どうせ逃げられないのなら、腹をくくって相手のふところに飛び込みたい、そしてダメになる直前まで言論の自由を守るため精一杯に討論するつもりだ」


 作家のスティーブンはあきれ顔で言った。

「ぼくは人類が追い詰められてゆく作品を、何本も書いてきたけれど、もう人類にはなすすべがない、負けが決定しているのにかい?」


 田原はいたずらっぽく笑った。

「負けが決定していたとしても、負けるリスクやスリルがあるから論戦は面白いんじゃないか」


 弁護士は、

「うあぁあ!助けてくれ!か、かまれている。足も!腕も‼やめろ、暴行罪だぞ‼……」

 そう叫びながら、ゾンビの海に沈んでいった。


 ゾンビ警官のロジャーは、不思議そうに田原にたずねた。

「グ、グガ、その、怖くないの?ゾンビになるコト。私は自らゾンビになった。デモあなたは違う」


 田原は人間が次々にゾンビに襲われている混沌とした状況を意に介さないかのように、つぶやいた。

「中学生の時は教師に、テレビの時は政治家にかみついてきたけれども、今回はゾンビだからねぇ、かみつかれてしまうかもしれないね。実のところぼくは、これまで左派からも右派からも叩かれてかみつかれてきた。でも面白い人にはきちんと意見を聞いてみたいじゃない。今まで民主主義に守られて、さんざん色んな人にかみついてきたんだ。最後ぐらい本当に誰かにかみつかれたとしても、恨みっこなしだよ」


 ゾンビ女性総理大臣のいざなみは、フフッと微笑すると田原へ細く美しい手を伸ばした。

「ゾンビになれば時間はいくらでもできるのですカラ、まだ論戦できていない方もいますし、まあもっとモ、ゾンビ同士は争わないので討論にならないとは思いますが」


 ゆっくりゆっくりと、ゾンビの手が田原へのびる。それと同時に田原の背後にも、ゾンビの影が膨らんでいた。

 ゆっくり……ゆっくり……と。


 田原は自らを飲み込もうとするゾンビの波を断ち切るように一喝した。


「ちょっと待って!その前にコマーシャル‼」

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