エピローグ

「完成では、ないですよ」

 詩織の無表情が目の前にある。場所は1年4組の教室。彼女が在籍するクラスだ。

「ちょっと、響、どういうこと?」

 隣の彩音は、ひどい剣幕で俺を睨み、袖を引っ張る。

「でも俺は、『了』って書いたぞ」

 そう、俺は小説を書き上げた。なのに、彩音は消えていないのだ。

 時間は少しさかのぼる

 早朝、俺の涙が引いた頃。

自室にて、俺と彩音、互いに「さよなら」と言い合い、「了」と文末に書いた。彩音は身構えるように目を閉じた。俺は消える瞬間を目に焼き付けようと、彼女を見届けた。

 …………彩音は一向に消えない。

 彩音もおかしいと思ったらしく「あれ?」と閉じていた目を開ける。

 俺も「あれ?」と首を傾げる。

「…………」

 今生の別れを身構えていた俺ら2人。肩透かしを食らい、なんだか小恥ずかしい気分になる。彩音はその照れを隠すように顔を真っ赤にして差し迫り「どういうことよ、これ!」と胸ぐらを掴んで頭を揺らしてきた。俺が答えを持ち合わせているわけもない。つーことで、彩音と一緒に学校へ登校し、朝一で詩織の教室まで足を運んで、現在に至る。

「先輩が書いたのは初稿です」

「ショコウ……?」

「初稿とは、初めての小説の形を成した文章のことです。これでは完成ではありません。最初から完璧なものがないのと同じように、先輩の初稿にもきっと訂正すべき点が山ほどあります。それら全てを直し、より良い形へと改良していき、改良に改良を加え、ようやく初めて小説は完成するのです。作業として、ようやく半分を乗り越えたところでしょうか」

「は、半分……」

 嘘だろ、と叫びたくなる。約半年、ずっと走り続けてきて、息も絶え絶えだというのに、やっと折り返し地点とは……。途方に暮れたような気分になる。

「なんだ……完成はまだ先なのか……」

 彩音は肩を落とし、明らかに落胆していた。

「先輩。ここからが本番です。より良い小説を目指し、頑張っていきましょう」

 言葉こそ前向きだが、念仏みたいな抑揚のない喋り方のせいで、頑張る気持ちがいまいち芽生えない。


 上を見上げると、冬の空。真っ青が際限なく広がっている。白い息が出るかどうか試すために「はあ」と息を吐くが、気温はそれに至っていないようで、息は透明なままだった。

「ため息なんか吐かないでよ。こっちまで陰気な気持ちになる」

 隣に立つ彩音が眉をひそめながら、購買で買ってきたやきそばパンをかじる。

「せっかく夢を叶えてあげたんだから、満面の笑みで過ごしなさい」

「夢ってほどじゃ……」

「前に言ってたじゃない。屋上での昼食は憧れだって」

 場所は屋上。風を遮るものはない。強いていうなら、フェンスだけ。冬の冷たい風が顔面にぶち当たる。耳が痛い。手がかじかむ。

 なぜ、俺らが屋上に居るのか。

 彩音が職員室から屋上の鍵を盗んできたのだ。そういうことで、昼食を寒空の下で食べているのだが、あまり気持ちのよいものではなかった。

 端的に言って寒い。冬にやるものではない。

 だが、彩音の懇意を無碍にするのは、彼女に申し訳がなかった。

 それに、明朝に、別れを覚悟した人間が、隣にいる。

 それがたまらなく、嬉しかったのだ。

 だから「寒い」の代わりに、俺は別の言葉を発する。

「ありがとう」

 言った己が小恥ずかしくなるほどのドストレートな感謝の言葉。彩音も俺と同じようなダメージを負ったらしく、顔を赤くさせ、たじろぐ。

「な、なに急に? なんというか、なんか、……キモい」

 それが照れ隠しであることを、半年間一緒に生活したことによって、俺はもう把握している。

 その生活は、まだ続くらしい。

 俺が小説を完成させない限り。

「……早く私の物語を完成させなさいよね。アンタの顔、見飽きたんだから」

「へいへい」

 そうやって俺は、再び空にむかってため息を吐いた。すると、今度は息が白く染まった。

 俺の物語は、彩音の小説を書き上げる物語。

 完成すれば、彩音は消え、物語は終わる。

 物語が終わっても、俺の人生は続く。

 この空と同じように、果てはなく、どこまでも。


                                      了

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このヒロインの神は俺。 小串圭 @Mota0827

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