出町柳④

 夜の食卓の前、何も言わずにご飯を食べてるおれの隣は話しが盛り上がっている麻沙美とあの弟がいる。麻沙美はどこから京都観光のガイドブックを持ち出して、乱暴におれに言葉を投げ込んだ。

「雅樹、どうせあんたは暇だから、明日雅斗くんのガイドの任務は頼んだよ」

「ああ、うん」

 どうやらおれの即答は完全に彼女の予想外で、麻沙美は少し驚いた顔をした。

「あれ、もっといやだと思うけど、どうしたのよあんた」

「うるせえ。引き受けだから別にいいじゃん」

おれは一気に残された味噌汁を飲み尽くした。

「ならよかった」と、顔に微笑みが咲いた麻沙美は安心できそうに淡く言葉を返した。

「そういえば、こいつの寝るところはどうする」

「それはもちろん雅樹の部屋に決まるよ」

「は?いやだよこいつと一緒」

 つい席からおれは立ち上がった。

「あらま、いまさら何を照れてんの。あんたと雅斗くんは生まれた前ずっとお母さんのお腹に裸で寄り添って寝ていたじゃない」

「そ、そういうことではない」

「僕はいいと思いますよ」

 ニコニコ笑っているアイツは悪魔の顔。

 

「なあ、正直、お前はどう思う?アイツのこと」

 迷った末、水槽の前に立つおれは話を切り出した。

「どうって、もちろん歓迎しているよ」

 隣で一緒に皿を洗う麻沙美は鼻歌しながら、おれの真剣な質問を軽くに返事した。

「そうじゃなくて、その、アイツのことを本当におれらの兄弟のように見えるかとか、これからどのようにアイツと付き合うとかさ」

 麻沙美は突然手の動きを止めた。蛇口から出た水は皿から少し飛び散るように見えた。

「あのさ、あたしね、雅斗くんを褒めるしかできない阿呆に見えるだけど、雅樹の言ったことも色々考えたよ。実はあたし、ある意味で雅斗くんと初対面ではないの」

 思わず「え」と声を出して、麻沙美の意味深い目に合った。麻沙美から何かを大事な話しを頂くかもしれないと思う瞬間、彼女は急に皿を置いて、手を拭きながら「雅斗くん、ちょっといい」と、あの弟を呼びながらキッチンからあっさり離れた。

「ちょっと、おい」

 残された惑い表情のままのおれは慌てて蛇口をひねた。

「なんなんだよ。どいつもこいつも」


 誰かと同じ部屋で生活するなんて、本当に不慣れなこと。しかも相手はこのおれのプライベート空間を侵入する悪魔め。

「じゃ明日からよろしく。兄さん。そういえば明日清水寺に行くんですね。楽しみにしていますよ。おやすみ」

「……さっさと寝ろう阿呆」

 おれはかれに文句を言って、部屋の電気を消した。

 それでも、淡い月明かりは静かにこの部屋に漂っている。かれの寝顔をはっきり見えるほどに明るい。だからおれは布団の中についかれのことをこっそり見ていた。おれと同じ顔を見ていた。そして麻沙美の話を思い出した。

 二十五年の前に、おれは本当にこいつと一緒に、母さんのお腹にいるのか。こんなに、近くて。今より、よほど近くて。

 ならばどうして、今はこのようになってしまったのか。やはり、現実感はちっともないな。

 もし、あの時先にガラスたまに手を出すのはおれではなかったら、今、おれは。

「こいつのように、なれるのかな。母さん」

 囁きの言葉を吐いて、月明かりの中におれは目を閉じた。


 二十五歳の秋山雅樹。仕事なし。お金なし。やる気なし。夢なし。

 そんなダメ人間のおれに、運命様は地球の向こうからいきなり飛んできたよくわからん弟という素敵なサプライズを速達で届いてくれた。これはこれはありがたいこと。

 おかげさまで、おれの人生最悪の冬休みが始まるのだ。

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