たった一つの望み

「アリシャ、お前今いくつだ?」

「わたし? わたし今十歳だけど」

「なるほど?」

 この街で出会ってから彼はよくわたしと遊んでくれるようになっていた。ご近所さんになったことと、迷子になっていたわたしを送り届けてくれた日からわたしの両親も彼には感謝をしていて。そして彼の両親もすごく気さくな人たちで今では家族ぐるみの付き合いになっている。

 そして今日も一緒に街の中を手を繋いで歩いていたのだけれど――彼曰く、一人勝手にどこかに行かないよう迷子対策だそうだ――そんな彼が不意に年齢のことを聞いてきて、首を傾げながら答えた。彼は何やら一人で納得しているけれど。

「道案内ついでに説明するか」

 こっちだと言って彼はやわく手を引いてきた。強引に引くこともできるのに、相変わらずそういうところは優しいこと。

 迷子にならないようどれを目印にすればいいのか説明を受けつつ、少し歩くと綺麗に舗装されている幅広い道。両サイドには花壇も置いてあり、視線を上げれば立派な建物が目に飛び込んできた。

「この街じゃ十二歳から十六歳まであの学園に通うことになってるんだ」

「そうなの?」

「ああ、俺もあそこに通ってる」

 学園なんて、懐かしい響きねと思いつつハッと我に返る。一応今世だと小さい頃に両親、もしくは周囲の大人たちに字の読み書きやその他基礎的なものを習う。学園に通うのは国々で違っていて、この街では十二歳で通うのねと思ったけれど。

 彼は学園に通いつつ家の手伝いもして、尚且わたしとも遊んでくれていたんだと思いつつ、彼の言葉を思い返してみた。

「ねぇ、貴方は今いくつなの?」

「十四だ」

 ということは彼との年の差は四つ。でも四つなんて、前の世で彼が先に行ったのはわたくしが行く四年前だった。

 そこの差が今の歳の差に出ているのね、と思わず女神に少し文句を言いたくなった。別にほんの少しだけずらしてくれてもよかったじゃないの、と。なぜそこは同じ歳ではなかったの、と。でも同じ時代に生まれてきたことは、感謝するところなんだろうけれど。

「……そしたらわたしが十二歳になる頃って……」

「十六だな」

「え、そんなっ……! 一年しか一緒に通えないってこと……?」

 折角出会えたのに、同じ時代に生まれたのに。一緒に学園に通えるのが一年しかないってどういうことなのよ。せめて前よりももっと一緒に学園生活を謳歌したかったと思わず奥歯を噛みしめる。

「なんだ、そんなに一緒に通いたかったのか?」

「……そうよ。悪い?」

「誰も悪いって言ってないだろ。難しいお年頃だな」

 わたしが膨らませた頬を彼は少し口角を上げつつ、人差し指で突いてくる。もう、なんで笑い方も変わってないのよ、きゅんと来るからやめてよと言ったところで彼は理解できないから言えない。

「なんだお前、休みの日に学園に来たのかよ」

 頬の空気を口から抜いているとそんな声が聞こえて彼と共に振り返る。腰を痛そうにしていない、見覚えのある姿が彼に向かって片手を上げていた。

「この子の道案内をしていた。前に言っただろ、近所に越してきた子がいるって」

「ああ、そんなこと言ってたな。その子が例の……子……?」

 ひょいっと顔を出してわたしの顔を見た途端、その男子がなぜか固まった。一体どうしたと彼と顔を顔を見合わせてみるものの、相変わらずわたしを凝視したまま固まっている。

「どうした、ロイド」

「……かわいい」

「は?」

「え、かわいい。あ、あの、お名前は? 俺はロイドっていうんだけど、その、君に一目惚れしたみたいなんだ……」

「突然なんだ気持ち悪い」

 はっきりそう口にした彼もめずらしいなと思いつつ、確かにちょっと今世で初めて会ったロイドがこう、ちょっとアレで思わず彼の後ろに隠れる。

「お前はそんなに人でなしだったか。彼女がいたはずだろう」

「え、もう別れて随分経つけど? あ、べ、別に俺は変質者でもないからな。ただこう、この子を見てるとなんだかドキドキが収まらないというか……」

「心臓の発作か何かだろ。病院に行け」

「テメェゴラ人を勝手に病人扱いするんじゃねぇよ」

 わたしを背に庇いつつ、彼も徐々にロイドから距離を取っていく。二人のやり取りに懐かしくも思ったけれど、それ以上に今は身の危険を感じる。確かに前世では、ロイドはわたくしのことを慕ってくれているようだったけれど。でも彼はしっかり者のお嫁さんをもらって所帯を持った身だ。

 もし身分も関係なく若い頃こうして迫られていたかと思うと、ほんの少しだけゾッとしてしまった。前世のロイド、ごめんなさい。

「お前は病院に行け。行くぞ、アリシャ」

「う、うん」

「ああいう変質者には近付くなよ」

「わかってるわ」

「オォイ! お前さっきから俺に失礼なことばっかり言ってるのわかってんのか?! オイッ!」

 後ろで騒ぐロイドに彼は気にする素振りを一切見せることなく、気にせず来た道を戻っていった。

 でも彼もいて、ロイドもいるということはもしかしたら前世で縁のあった人たちとも出会えるかもしれない。学園に通い始めるとそういう人たちと出会う機会も増えそうと思わず笑みをこぼす。恐らくみんなそれぞれ前世とは違う道を歩んできている。わたしは貴族の娘ではなくなった、彼は……まだ多くはわからない。ただ今のところ騎士ではない。身体は相変わらず鍛えているようだけれど。そしてロイドも、ただの一学生のようだった。

 会うのが楽しみ、そう思いつつ手を繋いでいる腕をたどって彼の顔を見上げる。

 彼は、前世を覚えていない。わたしがアリシャ・フィーリアであったことを知らない。でも「ただのアリシャ」を前世と変わらず大切にしてくれている。それだけはわかる。

「わたし、いつまでも貴方と一緒にいたい」

 ずっと願っていたことだもの。それこそ女神ルキナの褒美で望んでしまうほど。普通の一人の娘として貴方の傍にいたかった。今世ではそのチャンスがすぐ目の前にある。

 突然のわたしの言葉に彼は立ち止まり、わたしに視線を向ける。今の十歳のわたしの言葉をただの子どもの戯言だと彼は受け取るかしら。それとも、真剣に聞いてくれるかしら。

 不安と期待が混ざり合って、それでもわたしは真っ直ぐに彼に視線を受ける。すると彼は同じ視線の高さになるように身を屈めてくれた。今も変わらず、そうした小さな優しさに涙腺が緩んでしまう。

「今度こそ、ずっと隣にいてくれる? クラウス」

 こんな言い方だと伝わらないとわかっている。それでもそう聞きたかった。今度こそ、最愛の人として隣にいてくれる? って。

「そうだな」

 遠回しに「駆け落ちしましょう」と言ったわたくしに、彼は首を横に振った。わたくしが抱えているものをすべて投げ捨てられる人間ではないと、そうわかっていたから。だからこぼれそうになる涙に手を伸ばさなかった。同情を向けなかった。彼は手を伸ばさないことで、わたくしを守ろうとしてくれていた。

 でも、今はどうだろう。もう貴族と庶民ではない。わたしたちの間に身分の違いなんてない。手を伸ばせばすぐ近くにいる。

「アリシャがそう望むのなら、ずっと隣にいるよ」

 小さく微笑む彼からの答えに、前世からずっと胸の奥に押し込めていたものが溢れ出した。目の前にある胸に飛び込んでわんわん泣き叫ぶわたしはまるで子どものよう。でも子どもだからできる泣き方だ。

 でもずっとこうしたかったのよ。貴方の腕の中に包まれてこうして思いきり泣くことができれば、どれほど幸せなことだろうとずっとそう思ってきたの。

 まだ多くの人が行き交う中、色んな人たちの視線がわたしたちに向かう。それでも彼はわたしの身体を抱きしめて、泣き止むまでずっとそうしてくれていた。

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