5
幼い頃の夢を見た。
どうして私たちはこんな暮らしをしなければならないの?と泣きじゃくるリーリエを、母親であるサーシャが優しく抱きしめる。
「リーリエ。あなたは、人を愛することを忘れてはだめ」
「でも意地悪な人ばっかりだよ。嫌いだよ。こんなところ。今日も第一王妃にぶたれたの……痛いよ。すっごく痛いよ」
幼いリーリエの手の甲は赤くみみず腫れが出来ていた。
鞭でぶたれたのだ。
「今はこんな暮らしでも、きっとあなたのことを愛してくれる人が現れる。だから人に対して希望を捨ててはだめ」
赤く腫れた部分を両手で包みながら、サーシャはリーリエに言った。
「お母様は本当にそう思うの?」
「ええ。思うわ。あなたが好きで好きで仕方がない人が、必ず出てくる」
優しく微笑む母親が、次第に遠くなっていく。
「お母様!待って!お母様!お願い一人にしないで!行かないで!」
叫んでも、遠くなっていく母親は待ってはくれない。
聞きたいことがたくさんある。どうしてあんな風な扱いを受けなければならなかったの?
どうしてお母様は、王であるお父様に逆らって奴隷を解放しようとしたの?
どうして、アダブランカ国王のクノリスは私を選んだの?
私は、これから幸せになっていいの?
クノリス王は信じても大丈夫なの?
たくさんの疑問が頭の中に浮かぶが、言葉にならず、リーリエは現実に引き戻された。
浅い息をたくさんしながら、ガバッと飛び起きて辺りを見回す。
静まり返った部屋の中で「お目覚めですか?」とミーナの声が横から聞こえた。
「え、ええ」
「朝食をお持ちいたしました。食事を取られまして、準備が整い次第、王都へ出発いたします」
「あの……クノリス王は?」
「王はもう既にお目覚めです。馬車でご一緒されると思われますので、ご安心ください」
彼は昨晩部屋に戻って来たのだろうか。と聞きたかったのだが、ミーナにクノリスとのやり取りを話すのは違うような気がした。
リーリエは、朝から食べるにはしては豪華な朝食が置いてあるテーブルの方へと向かった。
リーリエの準備が整って馬車へ向かう時に、クノリスの姿を発見した。
腰に差した剣を使って、兵隊の何人かと一緒になってふざけて戦っている。
その姿は、まるで少年同士の戯れのようで、とても楽しそうな表情を浮かべていた。
「楽しそうですね」
「大丈夫ですよ。リーリエ様と一緒におられる時も、充分嬉しそうな表情をされております」
リーリエは純粋な感想をミーナに伝えたが、ミーナは違った心配をしているようだった。
「彼らは、ずっとアダブランカ王国の兵隊だったの?」
言い方を変えて、リーリエはミーナに尋ねた。
このままアダブランカ王国に滞在できるのであれば、少しでもこの国のことを知りたかった。
「半々ですね。アダブランカ王国が反乱軍によって国家を転覆させた話はご存じでしょうか?」
「ええ。噂だけは」
「あれから数年経っておりますが、王はこうやってコミュニケーションを取りながら兵隊達や国民が今王政に対してどう思っているのか、見ておられるのだと思われます」
「ミーナさんは……」
「ミーナでかまいません」
「ミーナは、どちらだったの?」
リーリエの質問にミーナは驚いたような表情を浮かべたが、すぐに表情を硬くして「私は反乱軍の方へおりました」と静かに答えた。
「国を転覆させるってすごいことよね」
「犠牲も多く出ましたから……」
笑い声が庭の中で響き渡る。
数年前に、笑い合っている人物たちが命をかけて戦っていたとは、とても信じられなかった。
「やあ、ミーナ」
リーリエとミーナの背後から、声が聞こえてきたので二人は声のした方へと顔を向けた。
そこには、背の背が高く、肩まで伸びた髪の毛をひとくくりにした軍人が立っていた。
茶色の瞳に、髪の毛、耳にはいくつもピアスがついている。
にっこり笑った口もとには、犬歯のような尖った八重歯が見えた。
「リーリエ様の前よ、ガルべル」
ミーナが厳しい口調でたしなめたが、彼は全く気にしていないようだった。
むしろ、異国からやって来た姫君がどのような人物であるのかしっかり見定めているようだった。
「だから声をかけたんじゃないか。みんな噂しているぜ。ボロ布を纏った姫君がどんな人物か」
あけすけにものを言うガルベルにリーリエは驚いたが、あまり気にならなかった。
彼から悪意は感じ取れなかったからだ。
「確かに、あのドレスはひどかったわよね。自覚しているわ」
黄ばみがひどく、匂いのきついドレスのことを思い出して、リーリエは首を振った。
「本人もそう思っているということは、わざと着てきたってこと?嫁入りなのに?」
「いいえ。わざとではないわ。決してね」
リーリエがそこまでガルベルに向かって言ったところで、ミーナが二人の間に入って来た。
「リーリエ様。この者の言葉は無視していただいて結構です。ガルベル。クノリス様に今の一件はお伝えさせていただきますからね。いい加減にアダブランカ王国の兵士の自覚を持ちなさい」
「相変わらず厳しいな。ミーナは。いいじゃないか。このお姫様が、俺たち対して敵意があるのか、ないのかじゃ、俺たちの護衛のモチベーションが変わるぜ。この国を馬鹿にするような、新しい妃は俺たちに必要ない」
「敵意はないわ。絶対に。それに絶対馬鹿にしたりはしない」
リーリエは一言ずつ力を込めて、リーリエの一挙一動に嘘がないか確認しているガルベルの方を見た。
しばらく視線が交わった後「どうやら嘘はついていないようだね」とガルベルは牙のような歯を見せて笑った。
「何事だ?」
様子がおかしいことをかぎつけたのか、先程まで兵士と遊んでいたクノリスが、リーリエの隣に立っていた。
「クノリス様!」
ミーナが今の出来事を伝えようとした時「挨拶をさせていただいておりました。アダブランカ王国のことを心から愛しているようです」とリーリエがミーナの前に出て、ガルベルをかばった。
ミーナとガルベルは驚いたように、顔を見合わせたが、クノリスの方を見ているリーリエは気が付かなかった。
「そうか。そろそろ、準備を始めろ。ミーナ、ガルベル他の者にも伝えてくれ」
クノリスの言葉に、二人は静かに頭を下げた。
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