060.春のきらめき
春――――
それは別れと出会いの季節。
卒業と入学や退職と入社など、人によって様々だが、多かれ少なかれ人生に一度は春の出会いと別れを経験したことだろう。
親元を離れ一人暮らし。または家族で引っ越して環境が激変。もしくは引っ越さずとも学校生活が一変したりと、様々なイベント事のある春。
そんな春。俺にとっても特別な季節であるこの時期に、ザッと踏み鳴らしてとある建物の前へとたどり着いた。
「――――ただいま」
大きな荷物を抱えて見上げるは、懐かしい雰囲気を漂わせているが全く見覚えの無いという、矛盾した建物。
しかし目に収めるだけで懐かしく、安心感を覚える場所だった。
俺は初めて踏み入れるその建物に、ゆっくりと手にした鍵を回して扉を開けていく。
チリンチリンと聞き慣れた音を立てながら開いた先は、一目ではその一室を視界に入れるのが困難なほど広々としていた。
首を捻ってようやく店の全体像が掴めるようになる広い室内。その多くはテーブルと椅子が占められており、相当数の人数が納めることができる。
大きく開かれた窓には外の景色を楽しめるよう窓に沿って長テーブルと椅子が並べられており、あちこちに人工樹木が置かれていて緑がアクセントとなっている。
床は綺麗な木材のフローリングで、天井から吊るされた電球が反射して外からの光も相まって随分と明るい雰囲気に変貌していた。
けれど俺が好きなアンティーク品はしっかりと残されており、決して違和感の無いよう壁に並べられている。
まさに人が人を呼ぶ理想の空間だ。
デートにも良し、ファミリー層でも良し、一人でも良しのその空間は、誰の手もつけられていない新品の店であった。
そんな空間を一人テーブルに手を伝わせながら歩いていると、ふと奥からパタパタと近づいて来るような音が聞こえてくる。
奥は簡易的な扉のせいでうかがい知ることはできない。しかしその音がすぐ直前まで近づいてくるとゆっくりと開き、音を発していた人物が姿を表した。
「ふっふ~ん。そろそろマスターは帰ってくるかな~……っと! あっ!マスター!!」
「――――ただいま」
「帰ってきてたぁ~! おかえり~!まっすた~!」
上機嫌な鼻歌を歌いながら扉を開けたのは、長い髪を横で1つに纏めた少女、遥だった。
彼女は俺の姿を見つけるやいなやダッシュでこちらに近づいてきて俺に抱きついてくる。
「……っと。 危ないだろ」
「えへへ~! マスターとこうして会うのも久しぶりだね~!」
「そうか? 普通に昨日も会っただろ」
「ここで会うのはって意味だよ~! だから久しぶりの……ちゅ~!」
楽しげな顔をしていた遥はスッと目を閉じてキスをリクエストし、俺も無言でそれに応えるとにこやかだった彼女の顔が更に蕩けるようにフニャリと破顔させていく。
「ぅぇへへ~! やっぱりマスターは優しいな~! みんな~!マスターが帰ってきたよ~!!」
しかしそれでもみんなを呼ぶのを忘れない。
首に回していた手を解いて腕にギュッと抱きついた彼女はさっき出てきた扉に向かって呼びかけるように声を発する。
すると近くにいたのか程しないうちに、ガタゴトと音を立てて2人目の少女が出てきた。
「戻ってらしたんですね。 おかえりなさい。マスター」
「ただいま、灯。 随分と出るの早かったね?」
「はい。在庫置き場とかの使い勝手を見てました。 前と比べて明らかに広くなってますし、なかなか便利になってますよ」
そう言って髪をかきあげてみせるのは、綺麗な黒髪を持つ灯。
俺の姿を見て安心した表情をする彼女は、ここの設備を確認していたようでピッと気になった箇所が記されたメモを一枚破いて俺に渡してくる。
「助かるよ。でも俺に任せてくれても良かったのに」
「いえ、設計段階で私も携わりましたし、ちゃんと確認しないとと思いまして」
「だね~! この
「そんなっ! 早く出来上がったのは遥さんのご実家があってこそですし!」
純粋に褒め称える遥と恥ずかしがる灯。
このお店――――
俺が足を踏み入れたこの空間は、かつて俺が暮らした家でもあり店でもある『夢見楼』だ。
結局俺は店と家を建て直し、新たに広くなった店を開店させる方向に舵を切った。
それを決めたのが今年の1月。あのアタッシュケースを拒否したすぐ後だ。
女性陣たちにはちゃんとお金を受け取ったと誤魔化したものの、改築すると決めてからは本当にあっという間の出来事だった。
その旨を元永家に伝えると待ってましたと言わんばかりの勢いで設計・解体・建築が進んでいき、春になる頃には立派なお店が一件出来上がり。
期間にしておよそ3ヶ月以下。普通半年はかかるらしいのに早すぎて脱帽だ。
話によるとどうやら灯も設計段階から加わっていたとか。
確かに計画を立てていると聞いたが、まさか建築にも携わるとは……天才少女め。
そんな高速作業の影響かは知らないが、契約書やら何やらで一日かかるとは思いもしなかった。
女性陣が一足先に入れたというのに俺だけ一人遥の家で一晩みっちりと説明をされたおかげで、家主が家に入るのが遅くなってしまった。
「ってことでマスター、私にもキスをお願いします」
「何がというわけで……?」
話は聞いていたはずなのにいきなり飛んだな。突然キスをねだられても困るんだけど……。
灯がねだるのはは夜ばかりで日中はあまりしなかったというのに。
「さっき遥さんとキスしたんでしょう? だったらいいじゃないですか」
「……しょうがないな」
「…………ん」
それを言われちゃ弱い。
俺は空いた手で彼女を引き寄せ、その唇にそっとキスを落とす。
「もう一回です」
「はいはい」
「…………マスターさん、もう一回」
「りょうかい…………って、アレ…………? っ――――!」
何度もねだってくる灯に応えるようキスをしていると、2度目のおねだりで明らかに声が変わった気がした。
マスターといつも言ってるのにマスターさん?それはとある人の呼び方じゃ……。
すぐに違和感に気づいて目を開こうとするも……失敗。俺が把握するよりも早くその手は後頭部に伸びてきて引き寄せられるように何者かとキスをしてしまう。
「~~~! ぷぁっ! これは……奈々未ちゃんか!」
「ん。正解。 おかえりマスターさん」
声に然り、この突然さにしかり。こんな事するのは奈々未ちゃんくらいだ。
目を開けて見れば案の定、満足げな顔を浮かべる白い髪を持つ少女、奈々未ちゃん満足げな顔で立っている。。
そして場所を奪われたであろう灯は仕方なさそうに肩を竦めていた。
「今日、仕事あるって言ってなかった?」
「仕事? そんなことよりマスターさんの方が大事。 ほら、ギュッとして」
「もしかしてサボった? おじいさんに怒られるよ?」
「平気。マスターさんのためって言ったら許された」
「うっそぉ……」
まじかぁ……。おじいさんごめんなさい。
今度改めて謝りに行かないとなぁ。
「ホント。 だからマスターさん、次のキスを――――」
「はいはい、奈々未ちゃん。 後が詰まってるんだからその辺りにしときましょうねぇ」
「――――むぅ」
次のキスを催促しようと更に距離を詰めようとした彼女を止めたのは、我が姉であり恋人の優佳だった。
彼女は俺と奈々未ちゃんの両肩を掴んで止めつつ、奈々未ちゃんが離れたと見るや頷いてみせる。
「おかえり、総。 面倒な手続きお疲れ様」
「ただいま。 ホント疲れたよ」
「でも聞いたわよ。 アンタここの改築費、貰ったお金で出す言ってたのに結局自腹だったみたいね」
「うっ!!」
コッソリと。
耳打ちするように姉の口から飛び出してくるのは、まさかの真実。
絶対にバレないと思ってたのに、どこでバレ……紀久代さんだろうなぁ。
この家の増改築。
当初は紀久代さんから渡された大金で支払う予定だったが、コッソリ後になって俺の自腹に変更しておいた。
それもパワーバランスを考えた結果。5人の恋人がいる中、一人の親にお金まで工面してもらうと明らかに元永家の力が凄いことになってしまう
――――っていうのは建前で、本音はただのプライドだ。そこまでおんぶに抱っこは俺のプライドが許されない。
バレて無いと思ったのに、引き渡しのこのタイミングで言ってくるなんて優佳は何が望みだ!?
「優佳……何が望み?」
「別に望みなんて無いわよ。 ただ私にも……分かるわね?」
「分かるってなに――――あぁ」
何のことだと思ったが、すぐにその答えにたどり着いた。
ウインクしながら優佳が示すのは自らの唇。そういうことね。俺からしてこいと。
「改めて……ただいま、優佳」
「えぇ、おかえりなさい」
チュッと。触れるだけのキスをすると優佳も満足そうに微笑んでくれる。
お姉ちゃんは凄いな。優佳には隠し事なんてできる気がしない。
「さ、みんな集まったことだし早速改築記念パーティーでもしましょうか!」
「え? 優佳、伶実ちゃんは?」
「伶実ちゃん? あら、来てないの?あたしより先に降りていったのに」
口火を切ったように優佳がパーティーの発案をするが、まだ一人足りないことに気づいて声を上げる。
先に降りたのか……何か用事があって出なかったか、それとも…………
「ま、トイレかもしれないわ。 先に準備始めちゃいましょ」
「俺、ちょっと様子見に行ってくる」
「わかったわ。 覗くんじゃ無いわよ~」
誰が覗くか!そんな性癖はない!!
などとツッコミは自重しつつ、彼女らと別れて俺は店の奥へ。
店の奥も随分変わっていた。
まず道は全体的に広く、少し大きめの台車も運べそうなほど。段差もないしこれなら搬入も前より随分マシになるだろう。
そしてしばらく歩いていくと鍵付きの扉と上階に続く扉が見えてくる。ここらへんの構造は前と変わらないか。
この建物で大きく変わったといえば、店の部分。そしてそれ以上に上階部分となるだろう。
一人専用だった前と違い、今は6人以上がゆうに暮らせるほどのスペースとなった。
両隣の建物を壊して横に広げ、全てを居住区に変えたほどで相当な広さだ。そして何と3階も存在するらしい。
紀久代さんはどれだけ先のことを考えてるか知らないが、感謝しかない。
「伶実ちゃーん」
そんな居住区に上がって声をかけるも、彼女からの返事はない。
おっかしいなぁ。ホントに下に降りたのかも?もしかしたらホントにトイレへ駆け込んだ?
そんな予想を立てつつザッと声をかけた俺は諦めて踵を返しつつ1階へ降りようとする。
しかしその瞬間、突然背後のライトが点灯して思わず振り返った。
1階へ続く階段のある廊下のライト。
これまで暗かったのに突然明るくなったのは、何者かが敢えて点けたことにほかならない。
振り返った先に居たのは制服姿の一人の少女。彼女はスカートの前側をキュッと握り、目をつむりながら口を覆いく開いていく。
「あのっ……! 私をここで雇ってくださいっ!!」
「…………へっ?」
突然のお願いに、思わず振り返ったまま変な声を出してしまう俺。
振り返った先に居たのは、間違いなく伶実ちゃんだった。
茶色の髪を持った可愛らしい少女。彼女は懇願するように俺へと告げながら、放心している俺を見るとゆっくり微笑みに変わっていく。
「――――覚えてますか。1年前の今日のこと」
「…………あぁ。 覚えてるよ」
そういうことか。
忘れるものか。1年前の今日、彼女がここにやってきて放った第一声を。あの一言から全てが始まったんだ。
「1年で随分遠くまで来たものです。 マスター、あの時はこうなると思ってましたか?」
「思うわけなかったよ。 伶実ちゃんは?」
「私もです。 …………でも、1つだけ予想通りだったことがあります」
「それって?」
彼女の言葉に俺は問いかける。
しかしその解いにも笑みだけに留めた彼女は、スッと隣に寄り添って腕を抱きつつこちらを見上げてきた。
「それは――――えいっ!」
「っ―――!」
「こうやって気兼ねなくあなたとキスができることです! おかえりなさい、総さん」
「――――あぁ、ただいま」
ピョンと飛び跳ねるようにキスした伶実ちゃんを優しく抱きしめると、彼女もそれを受け入れて背中に手を回してくる。
そうしてもう一度キス。今度は長く、ゆっくりとしたものを。
「ふふっ。やっぱりマスターの隣は落ち着きます。 さ、下に行きましょ?みなさんが待ってます」
「あ、あぁ……」
「あ、マスターすみません。もう一つだけいいですか?」
「?」
抱いていた彼女をゆっくりと解き、彼女に手を引かれながら階段に足を掛けたところで俺の足は止まる。
なんだろうと振り返る彼女を見ていると、ポケットから折りたたまれたとある物を見せつけてくる。
「お店ができたら話そうって考えていたんです。 今から”コレ”を誰が埋めるのか、決めてしまいましょう?」
「………………ハイ」
その満面の笑みで告げられる宣告とギュッと強く握られる手。逃げ場が無くなった俺は早々に諦めて頷いてみせる。
「では」と腕に抱きついてくる伶実ちゃんと、降りながら逃げる算段をつける俺。
彼女の手の内には役所に提出するべき書類が1つ。
その内1つの欄には俺の名前があり、もう片方は
その上部に書かれていたのは『婚姻届』。つまり、これからもっとみんなの攻勢が激しくなってくることだろう。
――――どうやら俺たちのドタバタは、まだまだずっと将来まで続きそうだ。
夢のカフェを開いてみたら、JKのお嫁さんができました 春野 安芸 @haruno_aki
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