059.未来の色
今、俺の目の前にはとある重厚な鞄が置かれている。
銀色の、ちょっとやそっとの衝撃じゃ傷一つつかなさそうな立派な鞄。高価な物を運ぶにはうってつけのものだ。
そしてそれを難なく持ってきた紀久代さんは、テーブルに置いた上で中身を俺に見せつけている。
この程度なんてことのないような自然な表情。彼女は大量の現金を俺に見せつけ、その上で再び口を開いた。
「それの使い道はあなたに任せます。それでは、私はこれでも忙しいので、これで」
「ちょ…………!待ってください!!」
なんとも簡潔な。
俺に聞いといて答えを聞く前にさっさと店を出ようとする彼女を慌てて引き止める。
彼女は出口に向かおうとしていた足を止め、不満げな表情で振り返った。
「……なんでしょう? このお金については以前お話しましたよね? まだ店と車を4往復しなければならないのですけど」
「いえ、さすがにこんな大金はいそうですかで受け入れるわけには……って、4往復ですか?」
「えぇ。4往復です」
「…………?」
何を当たり前のことを。そう言いたげな彼女に俺は首をかしげる。
おかしい。4往復……確かに1箱でもそこそこ重いから持ってくるのが大変なのは理解できる。
しかし俺の把握してる限りだと4箱だったはずだ。この話が出た時に3箱、遥が風邪引いた時に1箱で計4箱。
そしてここに1箱あって4往復となれば5つとなって1つ多くなる。
「ちなみに、アタッシュケース以外にも持ってくるものがあったり?」
「いえ、それ以外はありません」
「じゃあ4箱では?」
「いえ、確か5箱では…………あっ」
え?その「あっ」ってなに!?
絶対なにかミスしたような言い方だよね!?
「……細かい事気にしないでください。新年祝いとかそんなニュアンスの1箱です」
「そんな適当な理由で大金を増やされても……」
全く細かく無いと思うのだが。
しかし彼女にとっては1つ増えたところで誤差程度なのかもしれない。
未だ答えのでないそれにどうしようと頭を悩ませていると、ふと2人の影が両脇で立ち止まったのを感じ取った。
「――――いいじゃないですかマスター。増えて困るものではありませんし」
「ん。 お金は大事。これから生まれてくる子どもたちのためにも」
「灯……奈々未ちゃん……」
そんな俺達のやり取りを見ていたのか、隣にやってきていた灯はキュッと俺の袖を掴み、奈々未ちゃんは自らの腹部に手を添える。
そっか、2人とはお店の改造計画について話したっけ。でも奈々未ちゃん、お腹には何もないはずだよ。腹痛になっちゃったのかな?
「私、調べたんです。 今0円から初めて子供を不自由なく育てるのにどれだけのお金が必要になるか」
「一応聞くけど、どれだけ必要だったの?」
「税金諸々考慮すると、これくらいです」
「…………わぉ……」
さすが灯。下調べもバッチリだ。
スマホで慣れたように電卓を操作するとなかなかの金額がはじき出される。
なるほどこれは……結構な金額が必要みたいだ。
「大丈夫。マスターさん。 いざとなったら私がアイドルとしていっぱい稼ぐから……!」
「心遣いは嬉しいけど奈々未ちゃんに押し付ける気はないからね?」
「なになに~? なんの話してるの~?」
彼女の収入がどれくらいかは知らないが、さすがに二桁に昇りかねない人数を一人で養うのは無理があるだろう。
純真無垢な蒼い瞳が俺をジッと射抜いていると、ふと背中からの衝撃とともに俺の視界が一気に揺れ動く。
遥だ。もうすっかり背中に飛びつくのが癖になった遥が俺の背中に抱きついてきたのだ。
「お金の話ですよ遥先輩。みんなで仲良く暮らすならこれくらいお金がいるって話です」
「えぇと、いちじゅう…………うわっ!こんなにかかるの!?」
そうだよ遥。人一人養うのって結構お金がかかるものなんだ。
それを一括でどうにかするのもおかしな話だが、最終的にそれくらいの金額はかかってくるだろう。
「あれ?でもあかニャン、この計算って子供それぞれ何人分の計算?」
……ん?
それってどういう意味だ?
1人だと勝手に解釈してたけど、もしかして遥はそれ以上……?
「それぞれですか? 一人の予定でしたが」
「え~!? そんなのヤだよ~! レミミーン!あかニャンが子供1人までしかダメだって~!」
「えぇ!?」
驚いたように遥が声を上げると告げられた遠くに居る奈々未ちゃんも同じく声を上げてこちらに近寄ってくる。
まさか1人じゃだめだった!?
「伶実ちゃん……その……何人とか計画立ててた……?」
「立ててましたよ! せめて野球ができるくらいはほしいです!そして遥さんは確か――――」
「アタシもサッカーができるまでほしかったもんっ! 1人は寂しいよ~!」
さすがに9人と11人はちょっと……。
もうその時点で20人。トンデモ家族だ。これが続けば少子化問題も簡単に解決できるだろう。
「なになに? 何の話してるのよ…………って、なによこのお金。偽札?」
「残念ながら本物だよ優佳……。 ここに入ってるの全部」
「へぇ……なかなか見ない光景ね。 なに?アンタ銀行強盗でもしたの?」
だれがするか!!
ただでさえしないのに今では守るものが多すぎる。そんな状態でリスクのあることしてたまるか。
「私の家から皆様への贈り物です。 最初はお店の増改築の予定でしたが、使い方はおまかせ致します」
「いいわね増改築! いい加減あの細い道もどうにかしたいと思ったのよ。車じゃしんどくってねぇ」
優佳、そんな事気にしてたの?地味に紀久代さんまで頷いてるし、ここまでの道のり大変だったんだ……。
この額での増改築でも道路までは無理があると思うのだが。
「優佳さん聞いてくださいよ! マスターたちったら子供1人だけの予定だったんですよ!!」
「そうなの遥ちゃん? でも1人って普通のような気もするけど、何人にする予定だったの?」
「それはもちろん、サッカーができるくらいですよ!!」
「サッカーって何人だっけ? 灯ちゃん」
「はい。サッカーといえば――――
突然やってきた優佳も遥に呼ばれ、女性陣は思い思いに話す会話の輪へ。
みんなの口から飛び出していく様々な未来の数々。それにはいろいろな色が見えるが、どれも明るいものだ。
「…………良いものですね、未来に花咲かせるというのは」
「紀久代さん……」
そんな彼女たちを離れた位置で見守っていると、隣にやって来る紀久代さん。
彼女も母親らしく慈しみの目で彼女たちを視界に収めている。
「……私とあの人は良家同士のお見合い結婚でした。生まれてこの方お金に困った事はありません」
「そうなんですか?」
2人で彼女たちを見守っているとふと漏れる、紀久代さんの昔の事。
そっか。紀久代さんも良家だったんだな。
「はい。ですが時代というのもあったのでしょうね。早くに将来も決まってあの子達のように夢を語り合う場すらありませんでした」
「…………」
「ですが、娘を始めあの子達の笑顔を見ていると、私達の人生は、時には恨みもしたお金は無駄じゃなかったんだなって改めて思います」
決められた人生。普通と違う家庭。
それがどんなものかはわからない。良いか悪いかも。しかし今の彼女は笑顔だ。なら、それでいいのかもしれない。
「だから……総さん」
「……はい」
「みなさんを、幸せにしてくださいね。 6人とも、私にとって大事な娘息子なのですから」
「……はいっ!」
彼女の微笑みに答えるよう、俺は力いっぱい返事をする。
そんなの当たり前だ。この先何があろうと、彼女たちの笑顔は絶やさないようにするに決まっている。
「ですので、私はちょっと失礼しますね。あとケース4つ運ばなければいけませんので」
「あ、そのことですが、やっぱりお金は結構です。増改築は俺たちの間でどうにかします」
「「「「「「え~~~!?」」」」」
きっぱりと。
そして力強く彼女の提案を否定するとその言葉を耳にした5人娘が同時に声を荒らげる。
「なんで断るのよ!せっかく大金を手にするチャンスじゃない!」
「そうですよ!お店だってもっと綺麗で広くなるんですよ!」
「じゃあじゃあ!サッカー子供計画はどうなるの!?」
「さっきまでの私の話聞いてたんですか!?どれだけお金がかかるとお思いで!」
「じゃあ、私が養ってあげようか?」
「「「「「マスター!!」」」」」
「…………っ!!」
ダッシュでやってきた5人同時に詰め寄られる俺とスッと退避する紀久代さん。
その圧に耐えきれなくなった俺は、思わず身体を180度回転させ、出口に向かって一直線へと足を動かし始める。
「あっ! 逃げた!」
そんな俺を捕まえようと晴れ着にも関わらずダッシュで迫ってくる彼女たち。
どうやら俺たちのドタバタは、まだまだ末永く続きそうだ――――
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