『お宮の壁の中に粽を投げ込んだ話』

着想元について――お宮の壁の中に粽を投げ込んだ話

※小説本編はこちら https://kakuyomu.jp/works/1177354054884241622

 

 この短編は(三国志の孫権そんけんなどのです)の国が滅んだあと、出身の男がありし日のできごとを語る話です。

 

 題材は『捜神記そうじんき』と『荊楚歳時記けいそさいじき』からとっています。

 

 『捜神記そうじんき』は四世紀、東晋とうしんに仕えた干宝かんぽうという人物が著した本です。

 

 この『捜神記そうじんき』にであった不思議なできごととして、こんな話がのっています。

 

 では辺境の守りにつく将軍たちの妻子を、人質として都に住まわせていた

 

 人質の子どもたちは「保質童子ほちどうじ」と呼ばれ、おなじ保質童子ほちどうじの子どもたちといつもいっしょに遊んでいた。

 

 ある日――具体的には永安えいあん三年(二六〇年)の二月のある日――見慣れない子どもが一人、保質童子ほちどうじにまじっていた。

 

 背は四尺(約九七センチ)あまり、歳は五か六歳ごろ。青い着物をきて、ふいに遊びに加わった。

 

 保質童子ほちどうじたちが

 

「どこの子なの」

 

 とたずねても「きみたちが楽しそうに遊んでるから来たんだ」

 

 と答えない。

 

 よく見ればその青い着物の子は爛々らんらんとした、人を射貫くようなおそろしい目をしている。

 

 保質童子ほちどうじたちが怖がると

 

「怖いの? ぼくは人間じゃなくて、火星なんだ。あのね、三国は司馬氏しばしのものになるんだよ」

 

 と言う。

 

 保質童子ほちどうじたちは怖くて震えあがったが、ひとりが我に返り、走って大人を呼んできた。

 

 大人がやってくると火星だと名乗るその子どもは

 

「さようなら」

 

 と言って姿を消した。

 

 空を見れば、白い絹の布が尾を引きながら昇っていく。

 

 白絹は高く遠くなり、やがて消えた。

 

 三国は司馬氏しばしのものになる。つまり、はあえなく滅びる。

 

 この不吉な予言をあえて報告する者はいなかった。

 

 という話です。

 

 作中ではこの火星だという子どもは登場しませんが、保質童子ほちどうじの制度は使わせてもらいました。

 

 『荊楚歳時記けいそさいじき』は六世紀の荊楚けいそ地方(長江ちょうこうの中流域一帯。現在の湖北省こほくしょう湖南省こなんしょうのあたり)で行われていた年中行事を記した本で、作者は南朝なんちょうりょうに仕えた宗凜そうりんです。

 

 この本に五月の行事として「夏至節の日、ちまきを食べる」と書かれています。

 

 (当時は太陰暦たいいんれきなので、現在の太陽暦より約一ヶ月半遅れています。なので現在の暦だと六月二一日頃である夏至も、当時は五月にやってきます)

 

 ただもともとは夏至に食べていたようなのですが、同じ月の五日、つまり五月五日の端午たんごの日にいろいろ行事があるためか、次第にちまきを食べるのも端午たんごの日となっていったようです。

 

 『荊楚歳時記けいそさいじき』や小説本編では船競争の話も登場します。

 

 どうやら船競争は中国の江南(『荊楚歳時記けいそさいじき』の荊楚けいそ地方もふくまれます)が発祥のローカル行事だったようですが、現在では広く行われるようになりました。

 

 中国大陸では龍舟競漕りゅうしゅうきょうそう、台湾では賽龍舟さいりゅうしゅう、また日本でも長崎ではペーロン、沖縄ではハーリー(ハーレー)と呼ばれ開催されているようです。


 日本ドラゴンボート協会のサイトによれば、現在では国際大会も開かれるスポーツ競技に発展しているとのこと。

https://www.jdba-dragonboat.com/index.php?itemid=17

 

 さらに五月五日はの悲劇的ヒーローである屈原くつげんの命日であるとされてきました。

 

 屈原くつげんは戦国時代のに仕えた人物です。当時のは強大なしんに対抗するため、ほかの国と同盟を組んでいました(合従策がっしょうさく)。

 

 しかしの王である懐王かいおう合従策がっしょうさくを崩そうとするしん張儀ちょうぎの術中にはまり、むざむざ同盟を解消し、合従策がっしょうさくは崩壊してしまいます。

 

 屈原くつげん懐王かいおうを何度もいさめましたが聞き入れてもらえず、絶望し、長江ちょうこうの支流である汨羅べきらに身投げしました。

 

 このとき人々が屈原くつげんを救うため競わせて船を出したのが龍舟競漕りゅうしゅうきょうそうのはじまりであり、汨羅べきらに住む魚に屈原くつげんの体が食べられないよう、ちまきを作り川に沈めたのが端午たんごの祭りのはじまりである、とされています。

 

 とはいえ、こういった行事の由来は諸説あるものです。

 

 同じ南方地域でも場所によっては、屈原くつげんではなく曹娥そうが後漢ごかん時代の女性。父が洪水で溺死し、悲嘆のあまり遺体の側で一七日間泣き続けたあと、川に身投げした)が由来だといわれていたようです。

 

 または屈原くつげんでもなく曹娥そうがでもなく、伍子胥ごししょ春秋しゅんじゅう時代のに仕えた人物。讒言ざんげんされ自害を命じられた。遺体は川に捨てられた)が由来だとされていた場所もあったようです。

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