■読書案内――劉琨

☆田中一輝「永嘉の乱の実像」『史学雑誌』125-2(史学会、2016)


https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/125/2/125_39/_article/-char/ja/


劉琨りゅうこんが人生の後半で直面した戦乱は永嘉えいからん(三〇四~三一六)と呼ばれます。


永嘉えいからん漢民族かんみんぞくによる王朝・西晋せいしんを滅亡させた五胡ごこ漢民族かんみんぞくではない「異民族」)による反乱、とされています。


その永嘉えいからんの経緯を、西晋せいしん勢力(劉琨りゅうこん東海王とうかいおう司馬越しばえつなど)と五胡ごこ劉淵りゅうえん石勒せきろくなど)の区別なく詳細に追ったのがこの論文です。


永嘉えいからんのあとには五胡ごこ勢力が華北かほくを支配する五胡ごこ十六国時代じゅうろっこくじだいが到来しますが、永嘉えいからんを細かく見ると、最初から五胡ごこ勢力が圧倒的に優勢で華北かほくをつぎつぎに席巻した、わけでもないことがわかります。


また西晋せいしん勢力、五胡ごこ勢力ともに一枚岩ではなく、勢力内でさまざまな派閥が存在しました。


さらに、必ずしも西晋せいしん漢民族かんみんぞくVS五胡ごこ=「異民族」(非漢民族ひかんみんぞく)という単純な対立構造でもありませんでした。


そして「文化的に劣っている五胡ごこに、武力によって負けている・支配されている」、ちがう言い方をすれば「(今は)五胡ごこが武力によって勝っているが、(本来は)漢民族かんみんぞくのほうが(文化的に)優れている」という、漢民族かんみんぞく五胡ごこを問わず広く内在化された根強い差別意識が、さらなる対立を発生させていました。


永嘉えいからんのなかで見られるこの複雑で根深い対立は、つづく五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい南北朝時代なんぼくちょうじだいでも繰り返し繰り返し現れます。


この対立が克服されるには、ずい、そしてとうに至る三〇〇年の年月を必要とします。


五胡十六国時代ごこじゅうろっこくじだい南北朝時代なんぼくちょうじだい隋唐時代ずいとうじだい、そして広く中国の歴史に興味がある方は、文庫で読めるこの時代の時代史、川本芳昭『中国の歴史5 中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』(講談社、2020)もあわせてどうぞ。




☆後藤秋正「劉琨詩小論 : 「答盧諶」詩を中心として」『漢文學會々報』34(東京教育大学漢文学会、1975)


https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/44366


劉琨りゅうこんは人生の前半で賈謐かひつが主宰した文学サークル「二十四友にじゅうしゆう」に所属し、多く作品をつくったことがわかっています。


というのも、劉琨りゅうこんの時代からだいたい三五〇年後の六五六年、とうの時代に完成したずいの歴史書『隋書ずいしょ』の一部に、図書目録である「経籍志けいせきし」があります。この「経籍志けいせきし」には劉琨りゅうこんの文集として『劉琨りゅうこん集』全九巻と、『劉琨りゅうこん別集』全十二巻があると記されているからです。


しかし劉琨りゅうこんの死から一七〇〇年、『隋書ずいしょ』の完成から一三五〇年が経った現在では、劉琨りゅうこんの文章、特に詩は、三作品しか残っていません。


残った三作品はすべて、数では圧倒的に多数だったとおぼしき「二十四友にじゅうしゆう」時代に書かれたものではなく、劉琨りゅうこん并州刺史へいしゅうししになったあと、凄惨な永嘉えいかの乱の渦中で書かれたものです。


その三作品のうちのひとつ、「答盧諶とうろしん」詩(盧諶ろしんこたえる詩)が読めるのがこの論文です。


劉琨りゅうこんが「答盧諶とうろしん」詩を書いたとき、劉琨りゅうこんたちは并州へいしゅうを守り切れず、五胡ごこの一つ、鮮卑せんぴ段匹磾だんひっていのもとへ身を寄せたところでした。


答盧諶とうろしん」詩で劉琨りゅうこんは、皇帝から託された并州へいしゅうを守り切れず、并州へいしゅうにいた両親や家族も守れなかった事実を述べ、このような事態になったのは自分の弱さのせいだと責めます。そして詩を贈る盧諶ろしんへ、はかない再起の望みを託しました。


詩を贈られた盧諶ろしん劉琨りゅうこんの親戚であり劉琨りゅうこんに長年仕えた人物で、段匹磾だんひっていのもとへ劉琨りゅうこんより先に赴き仕えることになります。その送別のさいに盧諶ろしん劉琨りゅうこんへ贈った詩の返歌がこの「答盧諶とうろしん」詩です。


のちに劉琨りゅうこん段匹磾だんひっていに捕らえられたとき、劉琨りゅうこん盧諶ろしんに「重贈盧諶じゅうぞうろしん」詩(かさねて盧諶ろしんおくる詩)を贈り決起を呼びかけますが、盧諶ろしんは自分に才能も能力もないことを理由に断りました。


劉琨りゅうこんの死後、盧諶ろしん西晋せいしんを継いだ東晋とうしんの皇帝へ劉琨りゅうこんを弁明する文章を上表し、劉琨りゅうこんの名誉挽回のため尽力します。


盧諶ろしん東晋とうしんに仕えることを望みますが、戦乱のため東晋とうしんのあった江南こうなんへ行くことはできず、段匹磾だんひってい石勒せきろくなど五胡ごこ君主のもとを転々として仕えました。最期は石勒せきろくの死後に独立した冉閔ぜんびんによって殺されます。


生前、盧諶ろしん五胡ごこ君主に仕えることを恥じ、葬るときは劉琨りゅうこんに仕えていたときの役職だけを肩書きとして埋葬してほしいと言い残していたそうです。




●伊藤正文、一海知義訳『漢・魏・六朝詩集 中国古典文学大系第一六巻』(平凡社、一九七〇)


劉琨りゅうこんの「扶風歌ふふうか」「答盧諶とうろしん」詩の邦訳を、読みやすい日本語で読むことができます。


扶風歌ふふうか」は当時の国境近くの扶風ふふう(現在の陝西省せんせいしょう)で劉琨りゅうこんが作ったとおぼしき詩です。


都から遠く離れた草深い国境に詰め、家族の安否もわからない孤独感と乏しい物資に悩まされる、自らの姿を書いています。


劉琨りゅうこんは、劉琨りゅうこんと同じく国境で匈奴きょうどと戦い(劉琨りゅうこんがおもに戦った劉淵りゅうえん匈奴きょうどです)捕虜になり、匈奴きょうどに寝返ったのではと嫌疑をかけられて家族を処刑され、不名誉をこうむった前漢ぜんかんの将軍・李陵りりょうに思いを馳せています。のちに劉琨りゅうこんに起こったことを考えると、予感であり予言であったようにも思います。


山月記さんげつき」で有名な中島敦なかじまあつし李陵りりょうを題材にした「李陵りりょう」という小説を書いています。無料で読める青空文庫のリンクはこちらです。


https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1737_14534.html




●内田泉之助、網祐次『新釈漢文大系14 文選(詩篇)上』(明治書院、一九六二)


●同『新釈漢文大系15 文選(詩篇)下』(明治書院、一九六四)


上巻には劉琨りゅうこん答盧諶とうろしん」詩、「重贈盧諶じゅうぞうろしん」詩、盧諶ろしんの「贈劉琨ぞうりゅうこん」詩が、下巻には劉琨りゅうこん扶風歌ふふうか」が原文(漢文)ふくめて載っています。


劉琨りゅうこん答盧諶とうろしん」詩、「重贈盧諶じゅうぞうろしん」詩、盧諶ろしんの「贈劉琨ぞうりゅうこん」詩は詩だけでなく詩といっしょに贈られた書簡も掲載されており、劉琨りゅうこん盧諶ろしんが自身の境遇や心情をより直接的に述べています。


詩とともに読むとより味わい深いです。ぜひご覧ください。

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