39.かき混ぜる派です。

「「「ジャック・ノワール!!」」」


 ほぼ同時に、あちこちからその名が上がる。


「ふはははは!」


 満足そうに高笑いするジャックに、アリスは心からうんざりした。


 オートマチックの銃口をアルセイラに向けるジャック。ヒャッハーたちが駆け寄るより早く、アリスはアルセイラの前に立ち、静かにエンチャント・ディフェンスを唱える。

 アリスがアルセイラを庇う姿勢に苛立ち、ジャックは舌打ちした。


「私も異議を唱えるぞ! アルセイラ姫!」


 叫ぶジャックを、アルセイラは意志の強い瞳で見返す。


「良いでしょう。あなたの意義をお受けします」


 その強い眼差しに、ジャックはニヤリと笑う。獲物を見つけた、獣のような笑みだった。


「その言葉の意味、分かっているのだろうな? 私はあなたのような女性を引き裂くことになんの躊躇もないぞ?」

「私に、王家の者である覚悟が無いとでも?」


 アルセイラ、ドロシー、ジャックの間で交わされる危険な視線の三角形にただならぬ気配を感じたアリスの元に、すすすっとブレーメンが寄って来た。

 彼が肩に置いた手を、アリスはつねって引き剥がす。


「困惑しているね、アリスちゃん」

「何か、俺の予想を上回る不穏な空気を感じる」


「ふふん」ブレーメンは得意げに笑った。


「この国ではね、王家の者の決定に『異議』を唱えた者が現れた場合、物理的な決闘によって勝者の意見を通すことになっているんだよ」

「何だって!?」


 アリスは咄嗟にアルセイラを見た。そのか細い、繊細な腕を。


「危険すぎる! そいつは、ジャックは危険な奴だ!」


 アリスの声に、アルセイラは微笑む。


「安心してください。私は勝算の無い闘いはしないタイプです」


 微笑みの中の確固たる自信をアルセイラに感じつつ、アリスは続けてドロシーを見た。


「ドロシーさん! ジャックの危険性は知っているはずだ! それに、それと対抗できるほどの力と闘うだなんて!」

 眉間にシワを寄せて、ドロシーは答える。

「私より姫の心配が先だったわね、バカアリス。大丈夫よ、私だって無策で挑んだりしないわ」


「くくく——」


 笑ったのはジャックだった。


「栄太郎! 今のお前は、昔以上に私を楽しませてくれる! 良いぞ! とても良い!」


 ジャックの持つオートマチックの銃口が、アルセイラではなくアリスの頭部を狙う。これが威嚇などではなく、アンセルマという名の女だったやつなりの愛情表現であることを、アリスは理解していた。


 そしてこの、目まぐるしく変わる状況の中、妙に冷静に、アルセイラとアンセルマの名前は似ているな、などとどうでも良いことを考えてみたりする。

 時として思考は、目の前の事態に関係なく、いや、むしろ目の前の事態のしでかす無茶苦茶が及ぼすストレスから逃れるかのように、つまらないことを考えたりするものである。


 そんなアリスのどうでも良い思考を遮ったのは、凛としたアルセイラの声だった。


「決闘は四日ののちに、闘技場にて行います」


「良いだろう」ジャックは答える。


「承知しました」ドロシーも答える。


 そのとき一斉に、ヒャッハーを始めとする近衛騎士団がジャックに向けて携行していた銃、魔法の杖、弓を構えた。その光景にジャックは「ふははは!」と笑うと、ステンドグラスの向こうに姿を消す。直後か、ほぼ同時に、ヒャッハーたちの攻撃がジャックの姿を追ったが、間に合うことは無かった。


「申し訳ございません」


 仕留められなかったことをヒャッハーはアルセイラに謝る。アルセイラは不敵な笑みをうっすらと浮かべて、「気にすることはありません」と答えた。


「四日後に、私が彼を討てばそれだけのことです」

「はっ。姫ならば必ずや奴を倒してくださると信じております」

「彼がここまで侵入出来たことについてですが」

「はい。姫の読み通り、王宮にスパイが潜り込んでいる模様です」

「もう、見つけたのでしょう?」

「抜かりなく」

「では、もう少し泳がせておきなさい」

「承知!」


 今の会話だけで、アリスはアルセイラが相当な実力者であることを感じた。単純な戦闘力だけでなく、知略などにも長けていることを。そしてその姫を、燃える瞳でドロシーが見つめている。


 そんな二人と、割れたステンドグラスの向こうに消えた元カノのことで頭がいっぱいで、割れたステンドグラスの向こうに切なげな表情を送るブレーメンのことなど、全く気がつかなかったのである。


          ○


「という訳で、大変な状態なんだよ」


 ミムンマにそう言いながら、アリスは、ほかほかの炊き立てご飯に30回かき混ぜた納豆を乗せる。

 艶やかできらきらした白米が箸ですくい上げられ、その上に乗った納豆が、アリスの口へと運ばれる。それを噛むごとに、大豆の旨味と醤油の香ばしさが絡み合い、完璧ともいえる炊き加減のご飯と混然一体となって、絶妙なハーモニーを奏でる。


 この世界でも、この味が味わえるとは。


 いや、以前の世界で食べていたときよりも、このミムンマの手にかかった食材の、なんと罪作りな美味さか。


 幸せーそうな顔をするアリスを、ブレーメンが携帯端末で激写するが、ミムンマは素早くその携帯端末をひったくる。ひったくった携帯端末をぶん投げた先には、モグラザカ博士の納豆でべとべとの髭があって、そこにひたっ! と携帯端末はひっついた。


「ぎゃあーっ!」


 ブレーメンが悲鳴を上げるが、アリスとミムンマは無視する。


「もてもてだね、アリス」

「うん」


 アリスは味噌汁を手に取る。味噌の良い香りを鼻で味わいながら、お椀を口に当てる。口に入ってくる、味噌の旨味とその奥にある出汁のコク。豆腐を、そして次に葱をほおばる。焼き目を付けた葱の香ばしさがたまらない。


「この姿になってから、急にモテるのは、複雑な気分だな」

「前の姿でモテたかったかい?」

「うーん」


 複雑そうな表情でアリスは、玉子焼きを箸で切る。そして一切れ口に運んだ。


 甘い。


 アリスは出汁巻きも好きだったが、どちらかというとこの甘い玉子焼きが好きだった。少し緩めの焼き加減、しっかりとした甘みに、幸せを感じる。


「美味しい」

「あら、ありがとう」

「前の姿に未練が、って訳じゃないけど、前の姿でも、もうちょっとモテてみたかったなあ」

「そうかい。なかなか複雑なおっさん乙女心だね」


 ミムンマが発した何だか良く分からない単語に、アリスは笑う。

 そうだ。実際良く分からないのだ、今の自分という生物は。

 おっさんの心を持った美少女というものと、これからどう向き合っていくのか。


 複雑だ。


 なのに、世界は、自分の周りは、そんな考えを置いてきぼりにする勢いで流れていく。


「そういえば、ドロシーさんは?」


 ふと、誰に聞くでもなしに、アリスは言った。

 納豆でべとべとの口ひげを紙ナプキンで拭きつつ、モグラザカ博士が答えた。


「何でも、魔法の師匠の所へ行くと言っていた。決闘の秘策でも授けて貰いに行ったんじゃあないかあ?」


 そう言ってモグラザカ博士は、にやにやした視線をアリスに向ける。

 その視線に、アリスはため息を一つついた。


 きっと、それは外れじゃない。


 三日後の決闘のことを思うと、アリスの複雑なおっさん乙女心はざわついた。

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おっさんが異世界転生したら耳の長い美少女でした。 赤城ラムネ @akagiramune

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