第3話 星空と約束

 夜の賑やかな街の、オレンジ色の灯りと、お酒の匂いと。人々は一日の疲れを癒すべく、食事をしたり酒を飲んだり。


 目の前の幼なじみはまだ機嫌が悪い。左頬に赤い腫れがある。そしてまた私の右手もジンジンと痛む。

「ごめん、叩くつもりは無かったの」

 申し訳なさに胸がぎゅっとする。突然口付けられて、驚いて顔をひっぱたいてしまった自分の衝動を、恨んでも恨みきれない。目の前のぶどうが汗をかいている。やり直そうにも、今更である。


「俺の勘違いかよ」

 ようやく口を開いたラキは、不貞腐れた顔でこちらにゆっくり目を向けた。

「ラキ……」

 耳元で、貰ったピアスが虚しく揺れる。ラキは、許してくれそうもない。

「帰るか」

 仏頂面で立ち上がったラキに、まだ半分残った酒のグラスを見て、目をギュッと瞑った。

「ほら、送ってやるから、帰るぞ」

 怒ってるはずなのに、家には送ってくれるんだな、と昔からそういう律儀なところは変わらない。


 ──わからず屋!もうついてくるんじゃねーよ!チビ!──

 二人で水辺に葉っぱの船を浮かべて遊んで貰っていたのだが、壊れた船を直せと駄々を捏ねたリタに、怒ったラキはそこからいなくなるかと思ったら、こちらを振り向いた。

 ──帰るぞ!──

 その時も今と同じようにポカンと

 ラキ見上げたものだ。


 おもわず笑いが込み上げてきた。


「何笑ってんの?」

 ラキは驚いて目を見張った。

「変わってないな、と思って」

 ひとしきり笑ったあと、目尻に溜まった涙を指で拭った。笑われて毒を抜かれたのか、私の隣に戻ってきたラキはもう一度椅子に座った。

「変わってないのはお前だって同じだろ?」

 足を組んで椅子にも垂れた。

 その横顔を見つめる。夜風にラキの黒髪が揺れる。

「なんで、私を誘ったの?」

 ラキはやっぱり答えない。

「レーナがダメになったから?もしかしてこのピアスもレーナに用意したんじゃないの?」

「あいつになら、そんな色の石は使わねーよ」

 ようやくこちらを向いて、そっと頭を撫でてきた。

「お前、この石好きだろ?」

 大昔の木の樹液が固まって石になったとか言う、琥珀色の石。高原の虫が集めるという甘い蜜の色にも似てる。そして夕暮れがやってくる前の陽の色。

「あ……」

 ──この時間のお日様の色、優しくて好き!──

 砂漠の厳しい環境の中で、壮大な景色は、数少ない恵みだと人々は言う。水辺の2人の遊び場だった木の上に腰掛けて、よく一緒にその景色を眺めた。


「俺がこの石を贈るのはお前だけだよ」

 西の国は、琥珀の取引が盛んな国だ。最近は西の国々の間で戦があって、すっかり荒れ果てているとか。そんな国にわざわざ帰国しようとする旅行者に、半月前、ラキは何故か案内役を申し出た。それに気がついて、リタはまさかと思った。

「……西の国に行ったのは?」

 ラキはリタから目を逸らした。目の下がほんのりと赤い。

「その石の加工、知り合いの技工士に頼んでたからだよ」

 旅行中に思いついて、その辺の屋台で買ってきたものではないらしい。

「お前、もう18になるだろ?」

 この夏が終わる頃、リタは誕生日を迎える。18になれば、保護官の許しがなくても自分の意思で結婚が出来る。

「もしかして……これって……」

 耳に揺れる涙型のピアスに指先で触れた。奥手なリタにも、この贈り物がどんな意味を持つのか、分かり始めていた。

「俺の、勘違いだったの?」

 じとっとした目でラキに見つめられて、リタは口をパクパクさせた。

「だって、旅に出る前レーナと……」

 イチジクを食べさせあっていた現場を見てしまったのだ。ラキのそんなことはこれまで何度も見てきた事だから慣れっこで、自分より大人なラキには、子供っぽい自分は合わないとずっと思ってきた。

 じわりと涙が浮かぶ。

「あれは、そう演技してくれって頼まれたの。あいつの男がいつまでも煮え切らないから刺激を与えたかったんだってぇ」

 ラキは頭の後ろをかきながらため息をついた。リタはラキの横顔をまじまじとみた。目が合うといつもの優しい目をして笑った。

 ラキは、立ち上がった。向き合って、手が差し出される。問うような瞳でラキを見つめると、ラキはにっと笑った。


「一緒に来る?」


 その瞳は、子供の頃から見上げてきた夜空の星に似てる。私は怖々と手を伸ばした。手が触れた瞬間、その手を握って私を立たせた。肩を抱かれて引き寄せられると、口に指を咥えて、ラキは高らかに口笛を吹いた。抱かれた肩の温もりに、周りの人の驚いた顔に、私は胸が高鳴り、顔が熱くなる。

「ちょっと、なに……」

 言った瞬間、身体がふわりと空に浮かんだ。ラキが私を横抱きにしたのだ!

「皆さん!お騒がせしましたぁ!」

 ラキが言うと、そこにラキの愛用の絨毯が空から滑るようにやってきた。ラキは私を抱き上げたまま、ぴょんと絨毯に飛び乗ると、絨毯は瞬く間に街をすり抜けて夜空へと飛び立った。肩までの巻き毛が風にはためくのを手で押さえると、目の前に、ラキの横顔が月明かりに照らされていた。

 びっくりしすぎて何も言えない私に気がつくと、そっと絨毯に下ろして座らせた。ラキは隣に座って私の顔を覗き込んだ。

「びっくりした?」

「したよ……ラキったら」

 私は、緊張が解けると、だんだんおかしくなって笑いだした。幼い頃、泣きだした私を抱き上げて、階段を上って施設の屋上に連れ出した彼を思い出す。

 ああ、そうだ、あの時……


「すげえ星だな」

 夜空を見上げる横顔に、幼い頃のラキが重なる。

 ──この星、ぜんぶお前のもんだ!だから、泣くなよ──

 幼いラキの声が蘇る。

 ──でも、お星様は私の手が届かないところにあるよ?──

 ──俺が大人になったら、もっと近くに連れてってやる──

 ──ほんとに?そうしたら、その時はラキのお嫁さんになってあげる、だからずっとリタと一緒にいて?──

 ──おう、約束だ!──

 絨毯についた手が握られた。指が絡む。温かい。

 ここに、私を見つめるふたつの星がある。


 緩やかにスピードを落とした絨毯は、随分と上空へと来ていた。まるで星々に囲まれているようだ。


「アライグマ沙漠って、変な名前だよね」


 私は何か言わないと、と思って言った。


「昔、異世界のゲートが開いたばっかの頃、向こうからやってきた聖女が連れてたんだって、アライグマ」

「へえ?」

「見てみろよ、下」

 言われて私はそっと絨毯の下を見た。

「うわ、怖っ」

「落ちるなよ?あっち端からこっちの端まで、楕円をカーブさせたみたいだろ?」

「うん」

「それを聖女様がアライグマの目の周りのクマに似てるって言ったらしいぜ」

「それだけ?」

「金色の髪の王子は彼女にぞっこんに惚れ込んでたからさ、気持ちを伝えたくて、この砂漠をアライグマ砂漠にするって言ったらしい」

「……なんか、それって……」

「ひねくれてるよな?好きだって素直に言えばいいのに」

 くくっと笑ったラキに、またさっきの出来事を思い出して緊張した。

 繋いだ手に力がこもった。


「リタ」


 名を呼ばれて、顔を上げる。


「俺と、結婚してくれる?」


 ゾワッと色んな感情が湧き上がって、私の目に涙が込み上げてきた。


「……ずっと、一緒にいてくれる?」


「いるよ、死が二人を別かつまで」


「私より先に死なないで?」



「……それは、絶対はないから、極力努力はするよ」



 するりとラキの空いた左手が私の頬を包んだ。近づいてきたラキの瞳が閉じられた時、視界の端にきらりと星が流れた。私は目を閉じた。


 優しく重なった唇は、さっきのぶどうの香りがした。時々そこにいることを確かめるようにラキの細い目が開かれる。

「星、流れたよ」

「ああ、願いが叶ったからだよ、きっと」


 額をコツンと合わせた二人は、クスリと笑ってまた近づいた。





 ***






「だから、違うって言ってるだろ?」

「……信じられない」

 二人の暮らす家の居間で。ツンと顔を背けたリタに、ため息をついた。


 今日の仕事中、絨毯に酔った女性を介抱して、宿の寝台に運んだ所を、客を案内してきたリタと鉢合わせたのだ。変に誤解をされてしまったのだ。


「信じてくれよ、もう」

 弱りきって椅子に座り込んだ時、頬に柔らかいものが触れた。


 キスされたのだと気がついて、ラキが顔を上げると、リタは笑ってる。

「怒って……」

「ないよ、たまには釘刺しとかないとね。余計な気起こされても困るし」

「ちょっとぉ」

 脱力して項垂れた。

 二人の薬指にはお揃いのリングが光っている。結婚して2年、リタは二十歳になった。

「誰だよ、そんなこと教えたの」

「レーナよ。最近良くしてもらってるの。色々教えてもらうことも多いから」

 いつの間にか自分の女友達と妻が仲良くなっていることを喜んでいいのかどうか。

「何を教わるんだよ?料理も家事もお前の方がずっとよく出来るだろ?」

 そう言ったラキの前に、リタはタンスから何かを取り出して目の前に置いた。

「何?これ」

 広げてみたのは、異世界から仕入れられて、好まれて使われるようになった赤子の産着だった。昨年レーナは子供を産んで、双子の男の子を育てているが……。

「……え?」

 狐につままれたような顔をしたラキに、リタは微笑む。


「春先かな?産まれるの」

 少し照れくさそうに、そっと片手で下腹を押さえながら耳に髪をかけたリタに、俺は破顔した。

「ええ!?マジで!?リタ!やった!」

 リタを抱き上げてグルンとその場で回って見せた。手放しで喜びを表現する俺を、笑顔で見下ろす女神。

俺の、大事なリタ。その耳たぶに光る、琥珀の耳飾りに負けないほど、彼女の笑顔は眩しい。





 今日は砂漠の風も凪いでいる。

 砂山の稜線は陽炎に揺らめいて、近くのオアシスからラクダに乗った商人が列を作ってこちらへ向かってくる。


 砂漠の真ん中に、青々とした水辺とその街がある。人々は陽気でおおらかで。子供達の笑顔が笑い声が響く広場。平和な一日がゆったりと過ぎていく。


 生成色の壁の家の、その窓から幸せそうな二人の笑い声が聞こえた。


 春には、新しい星が生まれる。







──END──








2022.04.01

「砂漠に輝く小さな星」

お題、異世界 ラブコメ 女主人公 アライグマ 沙漠 (睦月ふみか様)より。


※アライグマを抱いた聖女と金髪王子は、ふみか様の作品よりお借りしました。


by kanoko

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砂漠に瞬く小さな星 伊崎 夕風 @kanoko_yi

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