未公開分の走馬灯
九良川文蔵
或る男の死
「困るんですよねえ、こういうの」
そりゃすまん、と言うとそいつは眉間にしわを寄せてこめかみの辺りをボールペンでこつこつと叩いた。
「えー、笹中さん。笹中響平さんでお間違いないですか」
「うん」
「ご職業はフリーター。現在はアパレルショップとライブハウスでのアルバイトを掛け持ち中。家族構成はご両親と、お姉様がふたり。三月四日生まれの二十四歳、出生地は東京の板橋区、と」
「そう」
「それで、ええと」
またしかめっ面をして言葉を区切る。言うのも嫌だと言いたげに頭を抱えているから、仕方なしに俺がその続きを引き継いだ。
「これで十五回目の自殺、な」
「……そうです。お分かりですね。十五回。十五回ですよ、笹中さん」
ずり落ちた眼鏡を指先で上げ、乱れてもいないネクタイを直す。くたびれたリーマンにしか見えないが、先刻こいつは自らを天使だと言った。なんでも、俺が生まれてから今現在に至るまでのあいだ、俺の寿命や運命の管理を担当してくれていたそうだ。
「よろしいですか、あなたは八十三歳と半年まで生きる予定だったんです。それをあなた、残りの五十八年五ヶ月どうするんです。誰が後々処理をすると思っていらっしゃるんです」
「ごめんって。すまん。ほんとに」
「十四回目まではなんとか連日の残業と徹夜で私が申請書類を書いてその他事務処理も行いあなたを生かしました。しかし今回はさすがに上に書類が通りませんでした。そして私は監督不十分で減給の危機です」
「天国ってそんなにブラック企業なんだ」
「ここがブラック企業というよりあなたが訳あり物件すぎましたね。もう何なのです。何がご不満なのですか。健康な体に衣食住に困らない生活。仲の良い友人とほどほどの距離感の家族、恋人。何が駄目なのです、生きていることの何が気に食わないんですか」
ボールペンを机に放りついに両手で顔を覆う天使に対し、少しの罪悪感を覚える。しかし死にたかったものは仕方がない。こいつの話が本当なのであれば上に書類が通らなくなってしまったらしいし、いわば俺は神すら匙を投げた男なのだ。
「……失礼しました、個人的な愚痴を長々と」
目にかかる前髪を後ろに撫でつけるようにして流し、またもやずり落ちた眼鏡を直して天使は立ち上がる。
「これから笹中さんの走馬灯を上映いたしますので、本館付属のシアタールームにご案内させていただきます。こちらへ」
「いや、そういうのダルいからいいや」
「……規則ですので」
力なく言い、天使は部屋の外を再度指し示した。このままごねてもこいつがのちに上司なり神様なりから叱られるだけなのかな、と思うとやはり多少胸が痛む。へいへい、と返事をして席を立ち、先導する天使の後ろをてくてく歩く。廊下も先ほどまで居た個室も公民館や区役所のような雰囲気の地味な内装だ。途中、何人か天使と同じようなスーツの連中とすれ違った。
「なー、あの人達も天使?」
「ええ」
「いっぱい居んの?」
「人類の皆さんの総数より少し少ないくらいですかね」
「個々に名前とかあんの」
「ありますね」
「あんた何つーの」
「田宮です」
「クソ普通の名前なんかい」
くつくつ笑っていると田宮という名であるらしい天使が突然足を止め、よそ見をしていた俺はその背中に思い切り鼻っ柱をぶつけた。
「こちらです」
いかにも重たそうな扉を開き、暗い室内に入る天使のあとを追う。シアタールームと言っていたからおおよそ想像はついていたが、案の定大きなスクリーンと映画館にあるような座席が並んでいた。
「ご覧になりやすいお席にどうぞ」
「どこでもいいんだ。へへ、貸し切りじゃん」
ぐるりと全体を見回してみる。少し考えたのち、俺は一番後列の真ん中あたりに腰を下ろした。すると天使も俺の隣に座り、「おや」と思う。
「あんたも見んの?」
「はい。もうここまで来たら、あなたがどうして自殺などしたのか答え合わせをしてやろうと思いまして」
「あーね」
開演のブザーが鳴る。スクリーンに覚えているような覚えていないような風景が映る。……ああ、これはあれだ。思い出した。保育園に向かう道中だ。母親に手を引かれて歩く日もあれば、父親の車で駆け抜ける日もあった。それから小学校に上がって。姉のおさがりの給食袋が嫌だった。好きな教科は理科と体育。水泳が特に好きだった。
中学一年生の初夏に初めての自殺未遂。三階の美術室の窓から飛び降りた。入院中に入れ替わり立ち代わり友人が見舞いに来た。退院前日に二回目の自殺未遂。ハサミで手首を切った。精神科に受診したがこれといって異常はないと判断された。
中学三年生のときに三回目と四回目、五回目。いずれも首吊りをしようとして失敗。受験に対するストレスという結論で周りが納得したから、そういうことにして俺も話を合わせた。当時の担任の先生が親身になって話を聞いてくれた。俺はその先生のことを今でも最高に格好いい大人だと思っている。
「……つまんねー。ポップコーンとかないの?」
「申し訳ありませんがそのようなものはご用意しておりません」
「まあ死んでるしな。食いもん要求すんのもおかしな話か」
高校に入って初めての彼女。クラスではあまり目立たない、教室の隅で本を読んでいるような女の子だった。笑った顔と整った筆跡が好きだった。それから間を置かず六回目と七回目の自殺未遂。連日雨が降ったから川に飛び込んでみた。
「はは、馬鹿だよなー。俺泳げちゃうのにさ」
さすがにおかしいと思ったのか、しばらく精神病院に入院させられた。家族や友人や彼女が面会に来てくれて、泣かれたり叱られたりしてかなり申し訳なかった。退院して翌年。高校三年生で八回目。
「これよく死ななかったよな俺。電車に飛び込んだんだぜ?」
「三日くらい会社に泊まり込んで尻ぬぐいしましたからね」
「ごめんて……」
短大に入って彼女と少し疎遠になって。新しい友達ができて。バイトを始めたのもこの頃だ。忙しかったが毎日楽しかった。楽しかったがここからスパートをかけるようにして四回にもわたり自殺未遂をした。
「……なんでだ……」
隣から天使のため息交じりの声が聞こえる。
短大をなんとか卒業して、卒業式の帰りに十三回目。川で駄目なら海でどうだと服を着たまま飛び込んだ。その翌月に彼女と再会。髪型が変わりすっかり大人になった彼女を改めて好きだと思った。
……今でも笑ってしまうほど彼女のことが好きだ。会いたいとも思う。俺が死んだとなって悲しむであろう彼女に申し訳なさもある。
二十二歳で十四回目。ここまでくると実際がどうあれ病気だと判断されるらしく、丸一年と半年ほど入院した。
で、退院した三日後に十五回目。今に至る。
退院して一日目に部屋の掃除をして。二日目は彼女とデートをして。三日目に遺言書を書いて、首を吊った。
「電車とか飛び降りだとさあ、周りへの迷惑えぐいから」
スクリーンから映像が消える。ずっと消えていた照明がじんわりと灯る。
「……結局あなたは」
何なんですか、と天使は疲れ切った声音で言った。
「やはり分かりません。交際なさっていた女性とも、ご友人ともご家族とも、トラブルはない。アルバイト先のアパレルショップからは社員に推薦されていた。心身ともに健康。……そう、健康なんです。やや不適切な言葉選びかもしれませんが、あなたはずっと正気なんですよ」
「うん。俺はまとも。ずうっとまとも」
「ならばどうしてですか」
どうして。今まで生きてきた中で何度も問われた。最後の方は理由もなく死にたがる生き物なのだろうと認知された。
理由は、ある。俺が死にたかったのは衝動でもなんとなくでもない。
「これさ。この映像、走馬灯っつーの? 未公開分あるでしょ」
「は……?」
「例えば社員としての初めての出勤で緊張気味の俺とか。彼女に同棲しようぜって言う俺とか。そのうちプロポーズしたり、金貯めて車買ってみたりさ。おっさんになって勤め先でちょっと偉い人になったり、歳食って退職したら悠々自適にエッセイ書いたりして」
「……」
天使が何も言わないのを確認し、ああやっぱりそうなんだ、と納得する。
何度も考えた。何度も反芻して何度も最初に立ち返り、何度も同じ結論に至った。生きれば生きるほどその結論は確固なものになっていった。
「生きるのになんのわだかまりもなすぎてもう、ずっと答え丸写しの算数ドリルやってる気分だったんだ」
「……」
天使は青ざめた顔で押し黙っている。
「あんたがいろいろ調節してくれてたんだろ? 俺がなんか悩んでると思って人との縁とか健康面とか整えてくれてたんだろ。いや納得納得。道理で死にたくなるわけだ」
「……それじゃ、私があなたを……殺したと……?」
「いやまさか! そんなんじゃない、あんたは悪くないよ。ただ仕事熱心すぎたってだけ。だからずっと謝ってんじゃん、本当にごめん」
ところで、と天使の肩をぽんと叩く。
「このあと俺どうなんの? 生まれ変わったりする?」
「……」
「内緒にしなきゃいけない規則とかあんの?」
「……笹中さん。あなたは……特例瑕疵魂魄というものに分類され、処分の対象となっております」
「消えるんだ。永久消滅?」
「……有り体に申し上げますと、ええ……」
そっか、と返事をして座席の背もたれに体を預ける。
「よかったあ……」
人生が終わって初めて、心の底から安堵した。
二度と、透けて見えた未来に沿って歩かなくて良い。二度と生きなくて良い、二度と生まれなくて良い、二度と!
……ああ、こんなに嬉しいなんて、本当に。
俺は俺として生まれてきて、本当に良かった。
未公開分の走馬灯 九良川文蔵 @bunzou
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