【読切】六道輪廻の徘徊者ー序ー

鍵村 戒

序破急

 初夏の陽気に見舞われていた午前中から打って変わって降り出した雨の影響で湿度が上がり、ジメジメとした空気が境内を支配していた。

 とある仏閣の境内にある、本殿からは少し離れた小さな小屋。

 そこで一人雨宿りをしていた少年は耳を抑えてうずくまった。

 少年の耳には耳鳴りとは違う明確な何者かの声がはっきりと聞こえていた。

 だが、それが何か分からない、分かることは学び屋で常日頃から行われる、お師匠様からの教えを受ける際にその声が強まるということだけだった。

 その声は呟くようにお師匠様の教えとは別の教えを脳内で語り続ける。

 彼にはそれが辛く、お師匠様の教えを侮辱されているようでたまらず逃げ出してきてしまったのだった。

 そもそもこの声が自分ではないとは限らないのだ。

 もしも自分の本性がこの脳内の声で、お師匠様の教えを侮辱するようなことを良しとする性分なのだとしたら、それはそれで自分自身を許せない。

 荒い息を上げてこちらに向かってくる気配を感じ、顔を上にあげた。

「清々…お前…大丈夫か」

 うずくまっていた少年の顔を確認すると怒りの言葉よりも心配の言葉が口から飛び出した、そんな様子だった。

 清々と呼ばれる少年は気怠そうに答えた。

「…大丈夫」

 雨の中走って本堂から離れたこの地にわざわざやって来た少年は溜息を付くと清々の隣に座った。

「清々、お前最近変だぞ。教えを受けてる時に急に飛び出して行くし、教えを受けてる時も耳塞いでるしな」

 清々の顔を覗き込むように聞くと、真っすぐ木々の葉から滴り落ちる雫を眺めていた清々は関心を示した様子を見せず、

「最近自分が…分からないんだ…」

 遠くを見つめる清々を心配した少年は何か悩みでもあるのかと聞いた。

 しかし清々は脳内で流れる声のことを親友にも話すことができなかった。

 何か話したいことがある、だがそれを口に出せないことを親友は察した。

「…なぁ清々。俺たちでここを抜け出さないか?」

「…え?」

 突然の親友からの誘いに動揺こそすれど直ぐさまそれがどんなに無謀なことであるかを思い出す。

「お、お師匠様から固く言われているし…この境内からは出てはいけないって…それに…」

 清々が次々とここから抜け出すことはいけないことである理由を説くものだから聞いていた少年は辟易していた。

「んなこた分かってんだ。それを承知で言ってんだよ。それに、お師匠様の教え教えって言うけどな、お前最近ろくにお師匠様の教え聞いてねーじゃんか」

「う…そ、それは…そうだけど…」

 痛いところを突かれた清々は思わず赤面した。

 話を変えるように清々は話し始めた。

「なんで流転はここを出たいの?」

「世界を知るためだ」

 即答だった。

 その時清々の脳内にはある小説の一節が流れた。

 ≪流れ星が流れるときに願い事を三回唱えると願いが叶うーーそれは流れ星という一瞬の出来事が起きた時にも願いを思い続けているくらいの強い願望が力となり願いをかなえるのだーー≫

 流転という少年は強い願いがある、そしてそれを叶えようと行動に起こそうとしている。

(小さなこの世界でうずくまっている自分とは大違いだ…)

「俺たちはこの世界で生まれ育ってきた、かれこれ十年あまりが経過したがこの世界の事しか知らない」

「この境内しか世界という物は広がっていないかもしれないよ」

「其れでも構わない。一番嫌なのは行動せずに一生を棒に振るうことだ」

 清々は何も言い返すことはできなかった。

 流転のその光り輝く眩しい目を見てしまったからだ。

(敵わないな…)

 清々は立ち上がった。

 同時に流転も立ち上がると、清々は流転の方を向き

「ここを抜け出そう」

 と言おうとした。

 だが、それは叶わず、大きな爆破音と共に、二人の少年は小屋の壁に叩きつけられた。

 原因は爆風だ。

 大きな音と共に人を転ばすほどの風。

 方角は本堂の方だった。

 二人の少年は顔を合わせ、走り出した。

 急いで本堂まで走ると屋根から何やら黒い煙が出ていた。

 勢いよく扉を開けると部屋の中は閑散としていて人一人見受けられなかった。

 部屋の中は暗く、しかし、整頓された机と教科書が先程まで授業があったことを物語っていた。

 そしてまた、畳に黒く滲んだ血が散乱していることから、何かがここであった、と少年二人は確信した。

「何があったんだ…?誰かが怪我して皆で連れて行ったとか?」

 流転が推理するも清々が、

「だとしたら全員で連れていく必要が無いよ…。お師匠様もそれは許さないはず。」

「じゃあこの血は何なんだよ」

 清々は少し考えたが判らなかった。

 自分が講義を抜け出してから三十分弱の間に何があったのか。

「流転は何分前にここにいた?」

「三十分くらい前かな。お前が抜け出してから俺もサボってた。」

「そうだったの?!」

「まぁな」

 流転は何か言いかけたが、それよりも先に対処すべきことがあったため、話を切り上げた。

 二人の少年はこの状況を考えたがこの世界のことを知らないが故に判断材料が少なく、結論など導き出せなかった。

「取り敢えず外を探してみるしかなさそうだな」

 声一つしない本堂を眺め、流転は呟いた。

「…いや、待って」

 部屋の内部を観察していた清々が本堂の奥社へと通じる扉が少しだけ空いていることに気が付いた。

「確かに妙だな。あの戸は通るときは開けたら絶対に閉めるように師匠から言われてるもんな」

「閉められない境遇だった…?それともその教えを知らない誰かが開けた…?」

 冷静に観察するがやはり分からない。

「進んでみるしかないんじゃないか?清々。誰もいないんじゃどうしようもない」

 誰もいない。

 流転に言われ、周囲を改めて確認すると本当に一人もいない。

 普段は必ずと言っていいほどこの仏閣の関係者が本殿前の広場にいる。

 ある者は鍛錬をしたり、ある者は写経を読み上げたり、ある者は追いかけっこに興じたり。

 だが、辺りは恐ろしく静かで今まで自分が過ごしてきた場所ではないのではないかと不安に思う程、普段とは様変わりしていた。

「どうした清々。大丈夫か?」

 顔色を心配された清々は雑念を振り払うように頭を横に何度か振ると

「…大丈夫。流転の言う通り、先に進もう」

 戸に向かって歩き出した。

 清々が先に戸を開けると二人は思わず息を呑んだ。

 血でできた足跡が廊下に沿って続いているのだ。

 また、壁にも多くの血が飛び散っており、手形も多くあった。

「何だこりゃ…」

「これは…早く進んだ方がいいかもしれない…!」

 珍しく感情的に清々が言うと二人の少年は廊下を駆けだした。

 気付けば雨は止み、夏の空が顔を覗かせていた。

 道しるべは奥社へと続き、またその奥社を超えて二人が一度も足を踏み入れたことの無い場所へと続いているようだった。

 勿論、二人は指定された場所以外への移動は禁じられており、破ったものは最悪破門とすると告げられている。

「どうするの…流転?」

 肩で呼吸する清々は禁足地を遠く見据えながら尋ねた。

「当然行く。外に出る良い機会だ」

「ほんとに…?」

 清々は流転の発言を少し疑った。

 だが清々とは反対に一切の疑いもない様子で答えた。

「誰もいない…この状況下で俺たちを助けてくれる人はいないんだ。頼れるのは自分だけなんだよ」

 淡々と言うとさらに続けた。

「目の前に真相があるかもしれないのにそれを目前にして野垂れ死ぬのは嫌だしな」

「でも…お師匠様に𠮟られるかもしれないんだよ…?」

 未だ腑に落ちない清々は弱気になっていた。

 だが、既に流転の気持ちは揺るがないことを知っていた。

「あー破門っていうやつか?お前が心配してんのは。だったらこっちから願い下げ!二人で破門されようぜ」

 にかっと清々の方を向いて笑いかけると禁足地に足を踏み入れた。

 清々は流転のその真っすぐな目を見ると思わず俯いた。

 自分の不甲斐なさ、情けなさが一気に込み上げてきたからだ。

 目から落ちそうになった雫を必死になって隠すと上を向き、禁足地への第一歩を踏み出した。

 途切れ途切れだが、しっかりと痕跡は残っており、それは竹藪の中の一本の道に沿って続いていた。

 また、若干傾斜があるのか二人は自分たちが山に登っているような感覚を感じていた。

 流転は後ろから聞こえてくる荒い息遣いに気付いた。

「おい、清々。少し休むか?」

 急な傾斜に体力を奪われた清々はフラフラとしていたが、それでも自分の足でしっかりと前に進んでいた。

「大丈夫…。こんなところで倒れるわけにはいかない…」

 流転は止まることも考えたが、清々の気迫のこもった目を見て進むことにした。

(あんなに力強い清々は久しぶりだな…)

 流転は最近の清々のこの世に絶望したような目を見て心配していたが、以前の清々の目に戻りつつある現状に嬉しくなっていた。

 だからこそ止まることはせずに足を前に運び続けた。

 すると目の前が明るくなった。

 どうやら竹藪を抜けるらしい。

 この先にお師匠様たちがいるかもしれない。

 若しくは何か別の者が居るかもしれない。

 清々はようやく辿り着くことができる喜びを胸に進む足を速めようとしたが、流転から止まれの合図が出た。

「どうしたの…?流転」

「しっ、静かに」

 荒い息を整えながら口の動きを最小限に抑えた。

「誰かの声がする」

「お師匠様たち?」

「違う。別の人間だ」

 足音を殺して竹藪から抜け、草陰から覗いてみることにした。

 するとそこは広場のように開けた空間で、太陽がとても近く感じられた。

 清々も覗いてみるとすぐに人影を発見した。

「お師匠様、それにみんなもいる」

「ああ。だが、他にも人間がいるな」

「 だれだ…あの人は」

 流転と清々が見たのは黒いオーラを放った刀身がとても長い剣を携えた仮面の男。

 身体は褐色、筋肉質で体格は大柄だった。

 金の髪を頭の後ろで縛り、尻尾のように伸ばしていた。

 当然流転と清々は知らず、お師匠様たちが縛られているのを確認してから認識を敵とした。

 すぐさま出て行こうとした清々を止め、後方から高速で近づいてくる黒い何かを回避した。

 その黒い何かは仮面の男と合流し、

「境内には人一人いませんでした」

 と報告していた。

 そのまま黒い何かは仮面の男の体の中に吸収された。

 少年二人は身を伏せ、会話を盗み聞くことにした。

 仮面の男は怒った口調でお師匠様に訴えた。

「早く出せ。隠していることは分かってンだ。場所を言え」

 そして何かを蹴る音と共に呻き声が聞こえた。

「これ以上はおらん…故に早く子供たちを解放せい!!!」

「解放しろとはなんだ…俺に命令するとは良い度胸してんじゃねえか老いぼれのくせによぉ…俺が誰か分かってんのか?あぁ?!」

 仮面の男がお師匠様に問いかける。

「ああ、分かっているとも…仏に見放された殺人鬼じゃろ?」

 仮面の男はお師匠様の首を掴むと強引に上に引き上げた。

 首を絞められながらもお師匠様は口を開く。

「貴様など…貴様など仏様のご加護など在りはしない…有るのは地獄冥界への片道切符じゃ!!」

「うるせぇ!!!!」

 鈍い音と共にお師匠様を地面に叩き落とす。

「許せねぇ…俺様を侮辱しやがった…殺す…殺してやるッ…!!」

 男はスラリと刀を抜くと上に振り上げた。

((ーーまずいッ!!ーー))

 流転と清々はお師匠様の危機を察知した。

 その時には二人同時に声を上げていた。

「「待てッ!!!」」

「おい、誰だ貴様ら」

 声に気付いた仮面の男の太い声が響いた。

「流転!清々!こっちに来るな!」

 お師匠様が必死の形相で訴える。

 だが、そんな訴えも二人の少年の前では効果はなく、仮面の男の目の前に二人の少年は来てしまっていた。

「なんでこんなことをした…!答えろ!」

 怒りで気が動転している流転は仮面の男の胸ぐらを掴もうとする勢いで近寄っていった。

 清々は流転が仮面の男の気を引いているその隙にお師匠様たちの方へ近付いて行った。

 しかし、お師匠様の周りには一人を除く全ての門下生たちが心臓部分から出血した状態で仰向けになって倒れていた。

「な…なんだよッ…これは…いったい…」

 異変に気付いた流転も思わず絶句した。

 お師匠様は無力な自分を戒めるかのように目を背けた。

 一人残った門下生は魂が抜けたようにぼーっと遠くを見つめていた。

 その間に近づいてきていた仮面の男に流転は気付くことができず、殴打をもろに喰らってしまい、後方へ吹き飛ばされた。

 そのまま木に直撃した流転に追い打ちをかけるように仮面の男は流転の胸ぐらを掴み、元居た方向へと放り投げた。

 地面に直撃する寸前にようやく意識は覚醒し、受け身を取りながら反撃の姿勢を作った。

 だが、彼はこの世界についてあまりにも無知だった。

「【三善之呪印さんぜんのじゅいん】!!」

 突如として流転の足元に出現した黒く禍々しいオーラを放つ紋章のようなもの。

 その場から退避しようとしたがもう遅い。

「斬ることは容易いンだが、一応大事な商品でな。行動の制限と共に耐え難い苦痛を…」

 言いかけたが、流転の苦痛を受けていない様子を見て

「フッ…瘦せ我慢が…まずはお前からだ…」

 仮面の男が何かをしようとした瞬間に後ろから清々が襲い掛かった。

 だが、その行動は既にお見通しだったようで、振り返ると同時に勢いをつけた肘で地面に沈めた。

「お前はこのガキと違って行動が分かり易い。後で世話してやるから待ってろな」

 何とか立とうと足に力を入れようとしたが、当たり所が悪かったせいか、軽い脳震盪のようなものを起こし、意識が消えかけていた。

「る…て…ん」

 なんとか捻り出した声も空しく夏の空に消えていった。

「さぁ!お待ちかねの時間だァ!!」

 興奮した様子で流転の前に仁王立ちする仮面の男は懐から一冊の本を取り出した。

 その本は流転が今まで見てきた本の中で最も白く、美しい光を放っていた。

 だが、この状況下でどこか懐かしさを流転は感じていた。

 思わず見入ってしまった流転はその本から目を話すことができなかった。

「流転!見るな!!!」

 お師匠様の声も流転には届かず、惹かれるように釘付けになっていた。

 その本が今、開くーー。


〖何だ此処は…既に一杯じゃねぇか…色んな匂いするし、却下だ〗


「ッッはッ!!」

 突然意識が戻った流転はずっと呼吸を止めていたのではないかと思う程激しい酸欠状態に陥っていた。

(なんだ今のは…)

 頭の中を、いや心臓辺りを誰かに覗かれた様に感じ、一時的な仮死状態に陥った。

 目の前は真っ白になり、その白の世界には一つの形を持たない魂の様なものが浮遊していた。

 それが何か自分に語りかけていたように感じたが生憎と覚えていない。

 息は苦しくなったが、まだ生きている、心臓が動いている。

「ほう、生きてたか」

 仮面の男の声で一気に現実に戻された。

 すぐさま臨戦態勢になるが、フラフラしてうまく立ち上がることができない。

「普通なら‘‘うつわ‘‘こじ開けられて出血で死ぬンだが、さっきのガキといい、ついてるな。」

「‘‘器‘‘ってなんだ…?」

 朦朧とする意識の中、流転は仮面の男から聞き出そうとする。

「そんなことも知らねーのか。この際だ、教えてやるよ。俺たちの組織が此処に来たのはな、神々の魂を身に宿すことができる人間、通称【適合者てきごうしゃ】を探しに来たンだよ」

 仮面の男は淡々と続けた。

 まるで自己陶酔に陥っているかのように。

「次はお前だ、そこの倒れている奴」

 仮面の男が指した先にはうつ伏せになって倒れている清々の姿が。

「や…めろ!!」

 まだ上手く呼吸ができていない為立ち上がることができない。

 それに足元にある異質なものの所為で身動きが取れないことに気が付いた。

 一瞬諦めかけたが、力を出して反発し続けることにした。

 だが、遅かった。

 流転の時同様、上半身を上げ、白い本から目が離せなくなっている清々は、心なしか何とかその本に近づこうと身を乗り出しているようにも感じた。

 そして一瞬カメラのフラッシュのような光が発生すると、清々は気を失ったかのようにばたりとまた倒れた。

 呼吸はしていない。

「せ…清々ッ!!」

 流転の呼びかけにも応じない。

「失敗か」

 仮面の男は一つ舌打ちをすると気晴らしに息のある流転の方へ歩み寄った。

 そしてまた、教えを説くように話し始めた。

「そうそう、この本はなァ…この地に古くから伝わる‘‘禁書‘‘。中を覗けば適合者以外は必ず死ぬって言われてるヤバい書物だ。ただ、適合者に当たれば…」

「だからみんな死んだってのか!そんなふざけた書物の所為で!!」

 発言を遮るように流転は叫んだ。

「ふざけた…?」

 明らかに仮面の男にとってその言葉は禁句であった。

 手を握りしめ、怒りのあまり震えている。

 だが、流転は止めない。

「ああ、ふざけてる!神だろうが何だろうが知らねーが、人様を殺していい理由になるわけがない!!」

 流転の必死の訴えが空に響く。

 と、その時、流転の脳内で何者かによる声が響いた。


 ≪ーーーー正解だーーーー≫


(誰だ…?)

 だが、考えている暇などない事に気付く。

 前方には剣を構えた仮面の男が立っていた。

「こうなったら気晴らしに全員惨殺するかァ…クソガキどもがァ!!」

 一気に流転目掛けて駆け出す仮面の男、手には剣が握られ、既に体勢が整っている。

 それに対し流転は未だ自身を縛る異質なものから抜け出せていない。

 呼吸は整い、力も出せる状態なのにも関わらず、足が動かない。

(斬られる…!!)

 思わずそう意識してしまった。

 目の前に近づいてくる仮面の男。

 その仮面は十字の紋章が入っていて、中央には赤い宝石のようなものが埋め込まれていた。

 密度の濃い殺気。

 それが徐々に近づいてくる恐怖、この瞬間を、彼はきっと忘れられない。

 半ば諦めかけた流転に再び答えるように脳内で何者かが言葉を発した。


 ≪ーーー取り敢えず封印を解除する。後は自力で避けろーーー≫


 次の瞬間、ガラスが割れたような音が鳴り響くと足が軽くなった。

 有り余った脚力を発揮し、横方向に身を屈めながら飛んだ。

 と、同時に長い剣が空を切った。

 飛んだ先で受け身を取りつつ、身体を仮面の男に向ける。

 だが、あまりにも二撃目が速かった。

 剣ではなかったが、物凄い速さで繰り出された横から流れる足蹴りをもろに喰らってしまい、お師匠様たちが居る方角へと飛ばされた。

「流転!!大丈夫か!!」

 後ろからお師匠様の心配する声が聞こえる。

 痛む横腹を抑えながら、大丈夫です、と伝えた。

 よく見るとお師匠様の足元にも紋章のようなものが浮かび上がっていた。

 そして苦痛に顔をしかめていた。

「そういやァお前らも生きてたな」

 仮面の男の矛先がお師匠様に向いた。

 それにしても…と仮面の男は思考を始めた。

(あの封印を解いたのは誰だ?この流転ガキか?いや、こいつにはそんなことができるようには見えない…)

 流転は何とか応じようと考えたが、流転には反撃するための武器が無かった。


 ≪ーーー守りたいのならこれを貸す。使えーーー≫


 脳内の声が言うと、流転の前に一つの太刀が地面から出現した。

 その太刀の鞘は赤く、炎のような装飾が施され、鍔の部分は金色で、丸みを帯び、綺麗に磨かれていた。

 その太刀を見た仮面の男は一歩後退りした。

「そ、それはッ…顕明連けんみょうれん?!」

 仮面の男は背筋が凍り付き、脳をフルに活用し考えた。

(何故あの剣がここに…このガキが呼び出したものとすれば、間違いなく裏には奴がいる…!)

 男が導き出した結論は早急にガキを殺すことだった。

 事態が悪化する前に、早く殺さなければ、邪魔になりうる存在となる。

 振るえる身体を何とか押さえつけ、剣を構えた。

 流転に取って見れば目の前に正体不明だが武器となりそうな太刀が出現した。

 これは好機だった。

 だが、彼には問題があった。

 彼は剣を扱うことなどできなかったのだ。

 今まで基礎的な体術や体力づくりは積んできたが、剣術は未だ教わっておらず、剣というものに振れたことも無かった。

 知識として剣という物は認識していたが、抜刀の仕方や、剣の振り方は全くの無知だった。

 たとえ流転の前に徳の高い剣が置かれたとしても、彼には扱うこと等できないのだ。


 ≪ーーー早く抜け!ーーー≫


「抜くって言ったってどうやって?!」

 狂気が迫ってきているため流転は必死だった。

 ガチャガチャと鞘を握り、強引に引っ張りだそうとしても抜けない。

 その間に仮面の男が剣を振りかぶった。

 まずい、流転は体が硬直してしまった。

 ーーしかし、硬直したのは流転の体だけでは無かった。

 今まさに流転を上から叩き斬ろうとしたその瞬間に男の身体が固まってしまっていた。

 しかもその体はカタカタと震え、男の息遣いが荒くなっていった。

(何が起こっているんだ…?)

 流転は仮面の男の後方に何者かが立っていることに気が付いた。

 それは清々だった。

 声を上げようとした流転だが、声が出ない。

 まるでこの空間が真空状態になったかの様だった。

「生身の身体…か」

 そう話す石流の目からは一筋の涙が流れていた。

(清々の声じゃない…!!)

 流転は長年共に過ごした親友の声の変化にいち早く気づいた。

 そうなると清々はどうしてしまったのか、という問題に突き当たる。

 答えを出してくれたのは思いがけず仮面の男だった。

「お、お待ちしておりました…!!…毘沙門天びしゃもんてん様…!!この瞬間に立ち会えたことを私は幸せに思います…!!」

 毘沙門天。

 仮面の男は確かにそう言った。

 流転は且つてお師匠様からこの地を守護する守護神として毘沙門天の名前を挙げていたことを思い出した。

 ではなぜ清々は突然毘沙門天になってしまったのか。

 流転はその答えを導き出せないほど馬鹿ではなかった。

 あの本だ。

 あの‘‘禁書‘‘の所為で清々は変貌し、そしてそれは清々が毘沙門天の適合者であったことを意味していた。

 風貌は変わらないが、目の色が変わり、風が吹いていないにも関わらず髪が常時なびいていた。

「…お前が…良くやった、褒めて遣わす」

 仮面の男の肩に手を置く毘沙門天。

 それを褒美と捉えた仮面の男は動揺した。

「ーーーだが、」

 明らかに空気が変わった。

 それは一番近くにいた仮面の男が真っ先に理解した。

「俺がこの‘‘器‘‘を見つけるために、俺は何人の人間を殺した?」

「ーーーーは?」

 話の意図が理解できていない仮面の男は素っ頓狂な声を上げた。

「貴様は俺を殺人者に仕立て上げた塵だ」

 それを聞いてようやく理解したのか、仮面の男は必死の形相で弁明を始めた。

 毘沙門天は仮面の男の肩に置いた手に力を込め、握った。

「ーー!!そッ、それは、毘沙門天様が器を見つけ、現世に復活するために必要な代償でーーーー!!」

「未来ある子たちを何故仏法の神である俺が殺すのだ!!何故俺に信仰心を抱いていた儚い命を無下にするのだ!!」

 毘沙門天の怒号が響く。

 空は暗くなり、雷を降らす。

「ーーーしかしッ!!」

「黙れ」

 呆れるような仕草を見せた毘沙門天は肩に置いていた手を放し、どこからともなく出した短剣を左手で握りしめ、斬った。

 音はしなかった。

 だが、しっかり仮面の男の首は落ち、その斬撃は曇った空すら斬った。

「え、あ。」

 首が宙を舞っているが、血は一切出ない。

 それどころか斬られたにも関わらず仮面の男には意識があるようだった。

 だが、身体が動かせないこと、そして空中から自身の首が無い体を確認すると発狂した。

「ああああああああああああああああああ」

「騒がしい」

 毘沙門天は右の手を前に突き出すと

「【開門印かいもんいん地獄冥界じごくめいかい】」

 足元に巨大な闇が出現すると一つの禍々しい門が現れ、この世のものとは思えないほどの叫び声や泣き声とともに仮面の男が吸い込まれていった。

 門が閉まると何事もなかったかのように時が流れだした。

(勝った…?)

 余りにもあっさりとした勝敗の決定に目の前で起こっていることに疑問を抱いた。

 何事のなかったかのように平然と立ちすくむ毘沙門天。

 陰鬱な雰囲気は見る者誰でも伝わった。

 流転に気付き近づく。

 その顔には暗い影を作っていた。

「すまなかった」

 毘沙門天は一言謝罪した。

「な、なにを謝っているんですか…お、俺は貴方に助けられて…」

「助けてなどいない」

 きっぱりと話す毘沙門天の目にはしっかりと流転が映っていた。

「俺はお前たちに深い傷を残した。それに、未来の希望を自らの手で握りつぶした。あってはならないことだ」

「でもそれは仕方のなかったことで…」

「弁明してくれるな。俺は殺した、それは揺るぎない事実だ。この事実から目を背けることなく、俺は自分を戒め生きていく他ない」

 淡々と告げると割れた空を見上げ、差し込む光が目に当たり、目を細めた。

「もうすぐ俺はこの少年と交代する。器がまだ俺という魂と同調していないらしい」

「同調すれば完全に清々の意識は消えるのですか?」

 清々の意識が完全に消えてしまえばそれは清々の死を意味する。

 それを恐れた流転は思わず質問した。

「その逆だ。この少年が完璧に俺という存在を扱える様になるだろう」

 若干の嬉しさを感じたがすぐに消え、清々という存在をどこか遠い存在のように感じていた。

 今までの清々の雰囲気とは全く違う、圧倒的なまでの強者の風格。

 清々には全くと言っていいほど身についていなかったはずのモノ。

 そしてそれは流転と清々の間にあった力関係すら脅かそうとしていた。

 流転は嫉妬や恨み、ではなく急遽として親友との間に生じた溝に思考が追い付いていなかった。

「この少年には俺の私的な目的に強引に付き合わせてしまうことになるかもしれない」

 私的な目的。

 毘沙門天の言う目的は何故だか流転には分かった。

「それは…その目的は俺も、清々も同じです」

 すると毘沙門天は優しく微笑み、そうであれば良い、と呟いた。

 流転はこの時、人生の目的が自ずと定まった。

 それは毘沙門天及び石流も同じだと確信した。

 あの仮面の男の正体を突き止め、裏にある組織を壊滅させることだ。

 流転の脳裏には十字と赤の鉱石の仮面が焼き付いていた。


 *


 清々が膝から崩れた音が辺りに響いた。

「清々ッ!」

 すぐさま駆け寄ろうとした流転だが、反応が遅れた。

 しかし石流が地面を舐めることはなく、何処からともなく現れた白装束の手によって抱えられていた。

「まさか毘沙門天様をお姫様抱っこする日が来るとはね…」

 声からして男だった。

 流転はまたしても現れた顔を隠す特異な存在を敵と判断し、臨戦態勢を取った。

 だが、流転に気付いた白装束はすぐに顔を覆っていた白い布を上げ、顔を見せた。

 整った顔つきをした黒い髪のその男は流転に笑いかけ、近づいた。

「初めまして、流転くん。僕は迦葉かしょう。この世界では結構偉い人です」

「…それはお師匠様とどっちが偉い?」

 流転にとって世界で一番偉い存在とはお師匠様の事だった。

 迦葉は即答した。

「僕だね」

 未だ真偽を判断するほどの材料を持ち合わせていなかった流転は困惑していたが、

「迦葉様…!!」

 フラフラとした足取りで近づいてきたお師匠様の態度を見て立場はお師匠様より上の存在であることを悟った。

「どうして此処に?」

 流転も聞きたかったことをお師匠様が聞いた。

「空が割れたからです。あれは常人にはできない所業…何らかの異常事態が発生したことは一目瞭然です」

 お師匠様が小さく、なるほど…と呟くと気に留めることなく続けた。

「そうしたらまさか器が発見されているとはね。これは大きな功績だよ。…それには大きすぎる代償だったけどね」

 迦葉が遠くで倒れる小さな命たちを見て呟いた。

 同じくしてお師匠様も俯いた。

「彼の者たちは僕が責任をもって弔わせてもらいます。君らも同席すると良いでしょう」

 それを聞いたお師匠様は大きく頭を下げ

「ありがとうございます…ありがとうございます…これで彼らも救われることでしょう…」

「ありがとうございます」

 流転も釣られてお礼の言葉を口にした。

「それくらいはお構い無しです」

 迦葉は手の平をこちらに見せて止めるようにお師匠様に言った。

「ところで」

 迦葉はお師匠様の方から振り返り、流転の方を向くと

「この太刀はどうしたのですか?」

 流転の右手に収まっていた太刀について聞いた。

 流転は事の顛末を話したが、何せ摩訶不思議なことだったので説明が難しかった。

 話を聞いている最中、迦葉は少し笑顔を見せたが、気の所為だったのではと自分を疑う程一瞬だった。

 そして話を噛み砕くように補足説明を始めた。

「この太刀は顕明連けんみょうれん。阿修羅が持つ‘‘三明さんみょうつるぎ‘‘の一太刀です。一振りすれば千の首を、二振りすれば二千の首を斬り落とすと伝えられている名剣中の名剣です」

 流転は何を言われているのかよくわからなかったが、名剣と言われ、少し嬉しい感情になった。

「何故流転の下に現れたのでしょう」

 お師匠様の疑問に迦葉は、わかりません、と答えた。

 頭の中では何か考えを巡らせているように見えた。

 考えた末に答えは見つからなかったのか、顔を少し上げ話をし始めた。

「それはさておき、清々くんは我々が保護します。流転くんは少し視野を広げるためにも世界を見てくると良いでしょう」

「保護?」

 流転は迦葉の言ったことをそのまま返した。

「ええ。器として覚醒してしまった彼は最早普通の人間ではありません。我々が保護し、特殊な教育を受けてもらいます」

「つまり、清々とは離れることになるってことですか?」

 迦葉は頷き

「酷なことかもしれませんが、了承してください」

 それを聞くと流転は

「別に酷なんかじゃない。清々が居なくたって平気だよ」

 穏やかな口調だったが、その言葉には少し諦めの意味も込められていた。

 別人となり果てた清々を見て思うところがあったのかもしれない。

「そうですか」

 迦葉はニコリと笑うと流転に一つの封筒を渡した。

 真っ白なその封筒には「釈迦派転法輪寺高等学校」と書かれていた。

「高等学校?」

「これから5年の間この地で再び修行を積み、そしてこの場所へ行って下さい。君は世界のことをもっと知るべきです。そして、自分が今までどれだけ小さな囲いの中で生きてきたかを身をもって体験することになるでしょう」

 流転は迦葉から渡された書面を読んで高揚していた。

 これから世界を知ることができること、そしてこの世界が小さなものであると言ってくれたことによって。

 流転は常日頃からこの日常がとても退屈なものに見えていた。

 毎日同じ景色、毎日同じ授業、毎日同じ友人の顔、毎日同じ空気、雰囲気。

 その日常から抜け出し、新たな世界に身を投じることができれば、自分は何か変わることができるのではないかと思った。

 そしていつの日かは…。

 お師匠様や他のみんな、そして清々をこんな目に合わせた仮面の男たちの組織を壊滅させることができれば。

 あの時感じた清々との間の圧倒的な力の差を埋めることができれば。

 また清々と笑いあうことができれば。

 その時はこの世界に生まれてきたことを幸せだったと思えるのだろう。


 ≪ーーー強くなれーーー≫


 脳内の何者かもそう言った気がした。

 そうだ、自分はこれから強くならなくてはならない。

 流転はそう決心し、拳を強く握りしめた。

 曇っていた空から夕焼けが顔を出し、流転の新たな門出を歓迎しているようだった。

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【読切】六道輪廻の徘徊者ー序ー 鍵村 戒 @kagimura_kai

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