魔法使いの少女の願い

 次の日、雨が地面を打つ音で目を覚ました少女はただならぬ異変に気付きます。自分の家が、街の住民たちによって囲まれているのです。窓からその様子を見た少女は、言いもしれぬ圧迫感に身を包まれました。それはもう、少女が経験した感情をはるかに超えるものでした。まるで自分の逃げ場はどこにもないような、自分の将来はどこにもないような、そんな気持ちになりました。

「これは一体どうしたというんだ」

少女のお父さんは取り囲む町の人たちを見てそう言いました。

「分からないわ。でも恐らく、昨日行商人が来ていたのよ」

「くそ、なにか風のうわさでもつかまされたのか」

そんな会話を聞きながら、少女は町の人たちの顔を一人一人見ていました。想像したくはなかったのですが、やはりそこにはお肉屋さんや本屋さん、八百屋さんなどといった沢山挨拶する人も含まれていました。彼らは、少女が今まで見たこともないような、血相を変えた顔をしていました。そういった人たちを一人、また一人と見つけていくたびに少女の心は苦しくなりました。しかし、だからといって家の前に並ぶ彼らを見ることをやめることはできませんでした。もしかしたら、私の味方をしてくれる人は誰かいるかもしれない。そう思ってしまうと少女は雀の涙ほどの期待を胸にして群衆の顔を確認することしかできませんでした。

「ねぇ、お父さん、私たちはどうやったらここから助かるのかしら? あの人たちに捕まった瞬間、何か悪いことが起きそうな予感がするの」

少女のお母さんはお父さんに寄りかかりながら喋ります。髪を準備する暇もなかったのか、いつもと違って髪を結ぶことなく寝起きみたいな恰好でした。

「そうだな、馬車さえあればここから逃げ出すことが出来るのだが」

そう言ってお父さんは大きなため息を吐きました。「まぁ、ある訳がないんだが」

そうこうしていると、外から大きな罵声が飛んできました。「おい、悪女一家ども、その力を使って何を企んでいる」

もちろん、少女たちは何も企んではいませんでした。しかし、行商人が立ち去った後、町民のとある一人が呟いた「もしかしたらあの一家は戦争をするために、国にばれないようこんなへんぴな場所に住んでいるのではないか」という言葉が独り歩きしてしまったみたいでした。


 糾弾する声は次第に大きくなり、数も増え、人だけでなく言葉でさえも容赦なく囲まれるようになりました。どうやらこの町で少女一家は、王権獲得を狙う戦争の火種として認識されているようでした。

 その怒声から始まった町民の攻撃は、いずれ発展していきます。北東の三列目ほどにいた男が足元に落ちていた石を拾い上げてそれを窓に投げつけると、これを皮切りとして一斉に石やいろいろなものが投げ入れられました。町民たちの愛情は、そっくりそのまま憎しみへと変わっていってしまったのです。


 色々なものと窓がぶつかる音を聞いて、思わず少女は両手で耳を塞ぎます。少女はこの町の人たちが心の底から優しく、この町のことが本当に大好きだということを知っていました。だからこそ、彼らはこの町を守りたいし、大切な人も守りたい。誰も悪くないのです。誰も悪くないうえで、少女はのです。

 ふと、男の子のことを思い出しました。いつも眠そうな目で川を見つめいていた男の子。退屈しのぎだと言いながら結局は笑顔で話し合っている男の子。そんな彼がこの中に入っているとは、思いたくもなかったのです。

 極限まで抑えられた期待と祈りを胸に秘めながら、少女は周りを見渡しました。ざっと確認する限り、少年はいないようだったので少女は胸を撫でおろしました。

 これなら良かった、彼は私の味方をしてくれているみたい。きっといつか、助けに来てくれる。そう思うだけで少女は幾分か晴れた気持ちを取り戻しました。気のせいか、雨も勢いを失ったように見えました。

 しかし事態は動き続ける物でした。少女が安堵したその瞬間、今度は少女一家の塀を乗り越えて家の扉の前まで迫ってくる者が現れたのです。これには少女も驚いて、お父さんに助けを求めました。

「お父さん、怖い、助けて」

「お父さんも助けたいのはやまやまなんだが、いかんせん難しい」

「祈りの力を使うしかないのかしら」

疲れ切ったお母さんに、少女のお父さんは強い口調で迫りました。

「それはだめだ、祈りの力は世界を変える力がある。そう簡単に使うことはできん」

「じゃあ一体どうすればいいのよ」

「それを今から考えるのだろう」

話がもつれはじめ、家の外にも中にも良くない空気が漂ってきました。

 少女は祈ることもできず、ただ悲しむことしかできませんでした。

 人よりも能力があるはずなのに、いつの間にかできなくなってしまっていた。少女は自分の能力をそっくり呪いました。これは能力なんかじゃなくて、私の胸にがっしりとついて離れない鉄の枷だと。

 すぐ近くで、自分と同じくらいの年頃の子供の大声が聞こえました。怒声ではなく何かを探しているような声を少女は、どこかで聞いたことがあるのですが、今は思い出すことが出来ませんでした。

 そうこうしていると、突然窓を叩く音が聞こえました。少女たちはあまりの突然さに声を上げることすらままならなく、悲鳴に似たかすれ声を上げることしかできませんでした。誰にも助けを呼ぶことが出来ない中、少女はまるで包丁を喉元に突き付けられた気持ちになって、相手を逆撫でしないように恐る恐る首を動かしました。

 もうこんなことたくさんだ、少女は思いました。


 もう、みんなの辛い顔なんて見たくないからこんなことやめようよ、

 そう少女は強く思って、

 雨よりも強く打ち付けるその拳の正体を見ると、

 そこには、ずぶ濡れの男の子がいました。


 彼は、少女を見てクスリと笑いました。まるで、いつものように。

 そして、彼は少女に向かって手を差し伸べます。

「良い退屈しのぎになりそうだよ。来て」

少女はその声に引き寄せられるかのように、一歩一歩、窓の方へと歩みました。

「おい、今は外は危険だぞ」両親の反対の声が後ろから聞こえてきます。

 少女はまるで聞こえないふりをして、ガラス越しの彼を見つめます。その目は文字通り潤んでいて、それでいて幸福そうでした。男の子の方もいい暇つぶしが出来たのか、目は潤み、口角は上がっていました。

 そんな二人に、もはや選択肢はありませんでした。

 後ろから聞こえてくる両親の声を退けながら、彼女は窓を開け、差し伸べられた手を握りました。

 こうして少女は、みんなに好かれるマスコットから、みんなから追われる問題児になってしまいました。

 でも、彼女の心には不思議と後悔はありませんでした。

 いつの間にか雨は上がり、うっすらとですが日の光が差し込んできました。ですが、それを彼と共有する時間はなく、二人は手を繋いで、石畳の道をわき見も振らず走っていました。女の子が男の子に引っ張られながら肌で感じる風を切る感覚は、とても心地よいものでした。この時、少女は一人の魔法使いではなく、一人の少女として、思い思いに羽を広げているのです。

 ふと、一つのことを思い出して少女は言いました。

「ねぇ、いまの私さ、じょうききかんしゃ、だよ」

少女は止まらない幸せを顔いっぱいに表しながら、男の子に声を掛けます。

「うるさいな、蒸気機関車は走る車だぞ」

「でも、じょうききかんしゃなの。雨が降っているのに、身体が熱くってどこかに走りたい気分なの」

「そうかよ、でも残念だね。蒸気機関車っていうのは、人じゃないんだ」

そう言って、男の子は一呼吸開けました。

「まぁ、それを言うなら、俺もじょうききかんしゃだな」

「じょうききかんしゃなのね」

「じょうききかんしゃ、だ」

二人はほんのりと頬を紅潮させながら笑います。

「これからどこに行くのかしら?」

「さぁ、分からない。あの山の向こうにでも超えるか?」

「それは良い提案だよ、私も気になるね」

「じゃあ今日は難しそうだから、また明日集まって山を越えよう」

「うん、そうしよう」

そう彼が言ってくれると、なにやら本当にできそうな気がするのは気のせいでしょうか。女の子はそんな気持ちになりました。

「でもな」綺麗で短い髪をなびかせて、男の子は言います。

「今日は、あそこへ行こう。僕たちがいつも話していた階段の向こうへと」

少女は無言で首を縦に動かします。

 複雑に逃げたためか、少女たちを探す追手は見当たりませんでした。

 橋を渡った向こうの、石畳の階段を下りていきます。その先には、いつものように男の子は座っていませんでした。その代わり、一緒にボロボロになった男の子が少女の横にいました。

 階段を下りた先、二人で腰を下ろして川のせせらぎを見ました。川は変化することなく、常に穏やかでした。

「いつも私が来るまでこんなものを見ていたの? よく飽きないね」

「いいや、飽きるものだよ。だから僕は暇だったんだ」

そして男の子は一息つきました。

「でも、暇じゃなくなった」

「どうして?」

「君がいたから」

心臓が高く鳴る音が聞こえて、それから二人は笑い合います。

 そして、改まって男の子は少女の方を振り向きました。

「さて、僕は暇なんだ。今日も日が暮れるまで喋ろうよ」

「うん、そうだね」

 残された時間は、いかほどなのでしょうか。少女には、それが一切見当もつきませんでした。

 しかし、徐々にこれが終わりを迎えつつあることを、少女は知っていました。

 そんな終わりから目を背けながら、少女と男の子は他愛もないあれこれについて喋りました。

 日が暮れそうに、なりました。

 ふと、誰かが階段を下りる靴音が聞こえました。それが日々の終わりを告げる音だと知っていたのに、別に振り向きたくはなかったのに、少女はとっさに振り向いてしまいました。視線の先には、お魚屋さんが見たこともない表情をして立っていました。眉間にしわを寄せて、まるで少女は自分が泥棒猫になった気持ちでした。

「おい、そこにいたのか」

子供には出せない低く冷たい声でお魚屋さんは一歩一歩着々と少女たちに向かってきます。男の子は少女の前に立ち彼女をかばいながら、それでも大人の圧に負けて一歩ずつ下がっていきます。

 異様な空気を感じ取ったのか、続々と大人たちが集まってきました。それは一瞬の間で、瞬きをすれば何重にも人の数が増えていきました。少女たちの後ろは川で、たとえそこを渡ったとしても無事に逃げ切ることはできなさそうでした。

 少女は想像します。自分たちが捕まって、少女と男の子は大人たちの力によって無理やり引き剥がされて、お父さんやお母さんと一緒に磔にされてそのまま朽ち果てていき、男の子は少女に味方した者とされ、その与えられた罰に苦しむ……。

 それは嫌だ、少女は心の中で叫びます。それならば、私だけでいいじゃないか。何も彼を巻き込むわけにはいかない。彼には苦しんでもらいたくないし、幸せになってほしい。そしてなにより、もう一度話したい。

 少女は今やっと、自分のこの胸のもやもやが何なのか分かった気がしました。

 私は、きっと。

 逃げ場はありませんでした。少女は一つの考えを口にします。それは、『やるしかない』という決意の表れでもありました。

「ねぇ聞いて、私、祈りの力を使うよ」

少女が男の子の耳元でささやくと、男の子は首を強く横に振りました。

「だめだ、それなら僕が罪を被る」

「それが嫌なの。君が罪を被ることが。あなたも言ったでしょう、『自分が本当にその力を欲しくなった時、使え』って。私は、それが今なの。私は、私は」

そう口を動かす少女の目はすでに涙に溢れていました。少女は今まで経験したこともないような嗚咽と感情に突き動かされながら、自分に正直になって、伝えます。

「君が好きなの」

それを聞いた男の子は一瞬固まって、それから顔を赤くして笑います。

「そうか、そうか。それなら、僕も伝えるよ。僕は君が好きだ」

大人たちに囲まれている中で、二人はおかしくなって微笑みます。

「じゃあ、やろうか。もうどうにでもなれだ」

男の子がそう言って、大人たちの目線を真っすぐに見返します。その瞳は強く、しなやかでした。

 少女はその言葉に頷きます。そして、祈り始めるのです。

 体内から光が溢れてくるような、不思議な感覚に襲われます。

「そういえば」

祈りながら、少女は言いました。

「どうしたんだ?」

「私、君と文通をしてみたいな」

少女がそれを言うと、男の子は声を漏らしながら笑って言いました。

「そうか、ならいつでもしよう。これを切り抜けた後に」

少女はそれが嬉しくて嬉しくて、思わずにやけてしまいました。

 光の力が、徐々に強くなっていきます。

 これは、祈りの力なんだな。少女は直感します。そして、その力を、愛する人のため、そして自分のために使います。それは教育されてきたように、みんなのために使ったわけではありませんでした。世界とか秩序とか一切考えない、自己中心的な祈りでした。お肉屋さん、お魚屋さん、雑貨屋さん……様々な人を思いながら、少女は祈りを強めます。

 そして少女は自分のために、その力を使いました。


 お父さん、お母さん、ごめんね。

 私はどうやら、彼のことが好きみたい。

 だから、使うね。祈りの力。


 突如、辺りが光に包まれました。激しく光り、目を開いていられないほどの衝撃が身を包みました。

 私たちを、何もない安寧の地に連れてって。

 それが、彼女の願いでした。

 二人が消え去った閃光の跡を、町の人たちは茫然としながら眺めていました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法使いの少女の願い とうげんきょう @__Tougenkyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ