救世主「田原総一郎」あらわる

甘木一郎

救世主「田原総一郎」あらわる

 令和4年4月某日、ここ四葉出版では週刊誌の存亡をかけた決死の企画会議が行われていた。

 数年前から続く雑誌群の不振は、原田が編集長を務める「週刊大市民」にも容赦無く吹き付けており、もはや休刊は避けられない状況にある。ここで何か現状を打開する一発が必要なことは誰の目にも明らかであった。

 考えてみれば週刊大市民が、これほどまでに窮地に陥ってしまった原因は、雑誌の中身の問題というよりも「不可抗力的なもの」がほとんどのように思われる。

 ニュースの速報性において、紙のメディアの需要は完全にネットメディアに取って変わられてしまったし、創刊以来50年もの間、本誌を支えてきた中高年読者の多くが天寿をまっとうしてしまった。

 しかも、数少ない残りの読者が天に召されるのも「時間の問題」という有り様だ。

 最も致命傷になったのは、日本の男たちが女性のヌードにまったく興味を示さなくなってしまったことである。

 実際、週刊大市民は90年代の「ヘアヌード解禁」で脚光を浴びて以来、巻頭グラビアと袋とじで「これでもか」というほど女性の裸を投入してきた雑誌だ。ヌードグラビアが武器として役に立たなければ、存在理由はほぼ皆無だといっても過言ではない。

 そもそも原田が現在の編集長の座を手に入れたのも「嫁入り前の娘に1万円の謝礼でアソコを見せてもらう」というハレンチ極まりない袋とじ企画が、空前の大ヒットを飛ばしたことに起因していた。

 それゆえグラビアの改革は、彼自身の編集長としての存在理由が問われる生命線でもあったのだ。

「うーむ」

 原田は頭を抱え込んでしまった。

 なにしろ女性のヌードについては、もうすべてやり尽くしてきてしまっていたのだ。名だたるAV女優はもちろんのこと、女学生、OL、人妻などの素人系、果ては芸能人に高額のギャラを払ってヴェールに包まれた美しい裸体を披露してもらったこともあるし、何かの手違いで、どこかの田舎の婆様が腰巻き一枚で登場し、世の爺様たちがいっせいに泡を吹いた号もあったほどだ。

 撮影時のポーズも、考えられるものはすべて試してみた。馬乗り姿勢、ワンワンスタイル、逆立ち、ブリッジ、デングリ返し……。特にM字開脚に関してはMを通り越して「I開脚」なるものを考案し「人体の限界」にまで挑戦した。もはや、それを超えるポージングは、エロいかどうかという問題以前に、人間として何か大事なものを失ってしまいそうな予感さえする。

 もちろん、それぞれのヌード企画は一時的にはある程度の話題を喚起することができた。

 しかし、それも焼け石に水で、ほとんど長続きはしなかった。今や、男たちの股間を熱くさせるヌード企画は皆無に等しいのである。

「何かいいアイデアはないものかね?」

 編集部員たちは原田の問いに沈痛な表情を浮かべている。おそらく彼らも現在やっているグラビア以上の妙案をひり出すことはできないのだろう。

 重たい空気が会議室を包む中、一番若い編集者である神谷が、場違いなほどすっとんきょうな声を上げた。

「ヌードですべてをやり尽くしてしまったのであれば、その背景で工夫を凝らせば良いのではないでしょうか」

 オウ……ッ。

 先輩編集者たちがいっせいにどよめく。これを機にロートルたちも蜂の巣をつついたように騒ぎ出した。どうやら皆、クモの糸のようなか細いものでもよいからと、発言のきっかけを待っていたようだ。

「国会議事堂の前で大股開きなんかはどうだろう」

「いやそれでは売り上げの問題以前に休刊に追い込まれるぞ」

「そういえば昔はよく黒猫なんかをモデルの秘部にあてがっていたものだ」

「猫ではインパクトに欠けるからモデルに虎に跨ってもらうというのはどうだろう」

「モデルが食われたらどうする」

「跨るならやはり戦車の砲塔が良い」

「そんなことのために自衛隊が戦車を貸してくれるのかしら」

 たちまちにして、編集部にはいつものような活気が戻ったが、その内容は「猫の首に誰が鈴をつけるのか」と相談し合うネズミの会議とほぼ一緒であった。原田は提案者である神谷を責任者として抜擢し「他人に迷惑をかけないこと」そして「逮捕されないこと」を条件に、グラビアの命運を委ねることにした。


 それから数週間後。刷り上がったばかりの週刊大市民を見て、原田は腰を抜かし、神谷以外の編集部員は全員、ひっくり返った。

 そこにはある意味で、異様ともいえるグラビアが展開されていたのだ。

「こ、これは……」

 絶句して声を出すこともできない原田に興奮した面持ちで神谷が説明を加える。

「美しい女優の裸身を引き立てるため、まったく正反対の異物を投入してみました!」

「い、異物ってキミ……、あわわわわっ! ひーーーっ!」

 耐えきれなくなった原田はついに悲鳴を上げた。残りの編集部員たちにいたっては、すでに天を仰いで念仏を唱えている。

 確かにそのページには美しいヌードモデルが大股を開いてニッコリと微笑んでいる。

 しかし、そのすぐ背後で知らないオッサンが、今どき汁男優しか着ないような薄汚れたランニングシャツにステテコ姿といういでたちで座布団の上に座っていたのだ。

「こ、この男はいったい……」

 ようやく言葉を発した原田に神谷が、さもありなんとばかりに答える。

「僕の叔父です。いい感じでしょう? ちょうど無職で困っていたので、ギャラの話をしたら喜んでやってくれたんですよ。あ、もちろんギャラに見合う仕事はしてもらいましたよ。ほら、よく見てくださいよ。モデルが、より引き立つように演技をしているでしょ」

 確かにオッサンは、手に持ったスポーツ新聞で恥ずかしそうに鼻から下を隠しながら、その隙間から裸婦に好色そうな視線を送っていた。

「ぎゃあ!」

 原田は再び絶叫した。

 そしてこの日、週刊大市民は、大股開きの女と神谷の叔父を載せて全国に流通した。もはや「休刊」は間違いないものと思われた。


 ところが周囲の予想に反して「無名のオヤジと裸のオンナ」のグラビアは大きな反響を呼び、週刊大市民は売れに売れた。

 SNSでは「あのオヤジは誰だ」と大騒ぎになり、一瞬ではあるものの、ツイッターでは「トレンド入り」までする始末。本来は中高年向けの雑誌であるにもかかわらず、若いサラリーマンや男子学生、果ては嫁入り前の娘たちまでもがコンビニや書店に週刊大市民を求めて殺到し、店員たちは対応に追われて悲鳴を上げた。

 当然、勝利の法則を手に入れた週刊大市民編集部は毎週のように「神谷の叔父」を投入した。最初は新聞で顔の下半分を隠していた不審者風のオヤジも次第に大胆になっていき、徐々にではあるが、その「全貌」を公開し始めるようになる。

 するとこれが若者たちから「まるで包茎のCMのようだ」と大いにウケ、気がつくと週刊大市民は発行部数200万部を突破し、週刊誌業界ナンバーワンの座を手中に収めるまでになっていた。

 その後もグラビアの中の「神谷の叔父」は様々なポーズや服装で巷を賑わせ続けた。その勢いはとどまることを知らず、ついに無職のオッサンはテレビ出演を果たし、ドラマにまで顔を出すようになった。

 編集長の原田も、もはや週刊大市民の栄華は、未来永劫続くものだと確信し、周囲の者も、誰ひとりとしてソレを疑う者はいなかった。


 あれから2年後の令和6年4月某日、ここ四葉出版では週刊誌の存亡をかけた決死の企画会議が行われていた。一時は200万部を誇っていた発行部数も8万部にまで落ち込み、もはや休刊は避けられない状況にある。ここで何か現状を打開する一発が必要なことは誰の目にも明らかであった。

「うーん」

 編集長の神谷は頭を抱え込んでいた。例の企画で編集長にまで上り詰めたものの、叔父の勢いはわずか1年しかもたなかったのだ。

「何かいいアイデアはないっすか?」

 編集部員たちは神谷の問いに沈痛な表情を浮かべている。おそらく彼らも現在やっている「ヌードとオヤジ」以上の妙案をひり出すことはできないのだろう。

 重たい空気が会議室を包む中、今年入社したばかりの女性編集者である岩井が、おもむろに立ち上がり、編集部員全員を見回しながら静かに語り始めた。

「よくよく考えてみれば、その辺に転がっていたオッサンの人気寿命が、そう長くは続かないことぐらい誰もがわかっていたはずです。ただ、ヌードとオヤジのコラボ自体は、決して悪い企画ではありませんので、この際オヤジの質を変えてみてはいかがでしょうか」

 オゥ……ッ。

 先輩編集者たちがいっせいにどよめく。これを機にロートルたちも蜂の巣をつついたように騒ぎ出した。

「だったら総理大臣がいいだろう」

「バカな。オファーに行った時点で休刊にされる」

「有名な格闘家に出てもらえば良いのでは?」

「モデルが食われたらどうする」

「ワシは演歌歌手がいいと思う。やはりグラビアには演歌の魂を入れなきゃならんと思うんじゃ」

「サブちゃんがこんな企画に出てくれるのかしら」

 たちまちにして、編集部にはいつものような活気が戻ったが、その内容は相変わらず「猫の首に誰が鈴をつけるのか」と相談し合うネズミの会議とほぼ一緒であった。神谷は提案者である岩井を責任者として抜擢し「女性モデルに危険が及ばないこと」そして「逮捕されないこと」を条件に、グラビアの命運を委ねることにした。


 それから数週間後、役員室に届いた『週刊大市民』を開いた編集局長の原田は悲鳴を上げた。

「おわっち!」

 グラビアには確かにヌードモデルが映っていた。しかし、その裸のモデルを押しのけて、スーツ姿の紳士がセンターにどっかりと腰を据えていたのだ。

「た、た、た、田原総一郎……先生?」

 誌面には今年で90歳を迎える翁が、異常なほどに鋭い眼光でこちらを向いている。しかもその人差し指は真っ直ぐに読者に向かって突き刺されていた。背後では髪の長い丸裸の女性が羨望の眼差しで紳士を見つめている。

 さらによく見ると、紳士の隣にはグラビアのタイトルが添えられていた。

「あ、朝まで生ヌード……。あわわわわっ! ひーーーっ! 南無三」

 原田は再び絶叫した。そしてこの日、週刊大市民は田原総一郎先生と、例の番組の出演者にクリソツの裸女を載せて、全国に運ばれていった。


 それから9年後の令和15年4月某日、四葉出版の社長室では社長の原田と編集局長の神谷、そして現・週刊大市民の編集長である岩井が神妙な面持ちで顔を突き合わせていた。

「社長、機は熟しています」

 編集局長の神谷が口火を切った。3人の真ん中に据えられたテーブルには一部の企画書が置かれている。タイトルには「田原総一郎先生 白寿の力写真集」と銘うたれていた。

「すでにライバル会社の丸川書店からは先生の白寿を記念した単行本が出されることが決まっています。我が社も週刊大市民を旗艦として、この写真集で総攻撃をかけるべきです」

 週刊大市民の編集長である岩井が神谷の後押しをする。

「うーむ。しかしなぁ。いくら田原総一郎先生が飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ、週刊大市民のグラビアをまとめただけの写真集を100万部も出して本当に大丈夫なんだろうか」

 社長の原田が2人の顔を交互に見ながら不安の表情を浮かべる。確かに今の週刊大市民は田原総一郎翁のグラビアのおかげで200万部を誇る一大週刊誌になっていた。これまで撮影したグラビアは、のべ360回分もある。今回、神谷らが提案している写真集は、そのすべてを収録した総ページ数720頁という出版業界からしても前代未聞のシロモノであった。それを100万部も刷るというのである。当然、製作費も目が飛び出るほどの金額になった。

「せめて10万部ぐらいにならんもんかね」

 原田が弱音を吐くと間髪を入れずに神谷が吠えた。

「先生の100歳に向けての記念出版です。100万部は絶対に引けません!」

「ならば頁数を10分の1に減らして10回に分けて出版してはどうだろう」

 この提案には岩井が舌鋒を鋭く非難した。

「社長、先生のお年を考えてください。そんな気の長い話は到底、承伏できません」

 もはや、原田に言い訳は残されていなかった。この年、四葉出版は社運をかけて写真集の出版を敢行した。失敗すれば同社が倒産することは誰の目にも明らかであった。


 令和20年4月某日、テレビ朝日の控室で原田は緊張の面持ちで時を待っていた。この日、原田は『朝まで生テレビ』のゲストとして召喚されていたのだ。

 テーマは「老人とヌードが作る世界平和と経済効果」について。もちろん司会は御年104歳を迎える田原総一郎翁だ。 

 例の写真集は総実売部数5000万部を超え、今や原田は「時代の顔」となっていた。しかも四葉出版は田原翁の提案により、印税のすべてを世界の紛争地域や恵まれない子供たちに寄付していた。

「会長、出番です。行きましょう」

 同席していた社長の神谷が原田を促す。

「うむ」

 今年70歳を迎える原田は神谷に支えられながら、ゆっくりとした歩調でスタジオに向かう。

 しかし、扉を開けた瞬間、原田と神谷は共にひっくり返った。

「ドシーーーッ」

 そこには眼光鋭い田原総一郎翁と、布切れ一枚身につけていない丸裸の女性たちがスタジオを埋め尽くしていた。苦境に陥ったテレビ業界はこの日、この時点、この番組から民放局の存亡をかけた革命を始めたようだった。

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