第18話

 月曜日、海都が疲れの抜けきらない体で事務所のドアを開けると、樹はすでに出社してパソコンに向かっていた。


「おはようございます。早いですね。まだ八時半じゃないですか」

「海都こそ」


 顔を見合わせて笑う。そして、海都も自分の席へ着く。通常は始業時間の九時まではネットニュースを見たり、他社の情報誌を読んだり自由に過ごしているのだが、今日は早く記事を書きはじめたかった。


「樹さん、昨日朝帰ってから、ゆっくり休めましたか」

「うん。で、昨日晩、専門時代の友達と飲んでて、一昨日のこと話したら、デザインのアドバイスいろいろもらってさ。朝イチで作業したくなって七時に出てきた」

「嘘でしょ……」


 樹の無尽蔵の体力に海都は絶句する。アレルギーの件もあるし、合計七時間ほどハンドルを握っていたというのに。あの細くて小さい体のどこにそんなエネルギーがあるというのか。回復力のパラメーターが振り切れているのだろうか。


「何考えてんの」

「いえ。樹さん、キャラメイクミスだなって」

「身長含めてだろ」

「違いますって! それは本当に!」


 ふーん、と鼻を鳴らした樹はデスクに肘をつき、大きな目で海都を見つめる。唇の両端が上がり気味だ。


「いやー、でも楽しかったよねぇ。今度はサーフィンでも行こっか。俺は運転と、写真撮る係で」

「それ、意味あるんですか……。どうせなら一緒にできることしましょうよ」


 樹の丸い目がさらに大きくなる。


「なんです?」

「一昨日も思ったけど。海都って素直だなーって思って」


 一昨日から昨日の朝にかけてのあれやこれを思い出してしまい、ぐぅ、と唸りそうになったけれど、今度は樹さんが楽しんでください、と伝えると、またもや樹は不意打ちを食らったような顔になった。


「やられっぱなしじゃいられないんで」

「ん。楽しみにしてる」


 樹は定型の笑顔とは違う、隙のありすぎる笑顔を浮かべた――ように見えた。

 二人でMacを覗き込み写真を選んでいると、ドアが開き、天野と雪江が入ってきた。天野はグッと親指を立てる。


「おはよ、樹、海都。『BLUE COMPASS』の置き場が増えたで。なんと女子大!」

「わぁ。横向きに海へダイブした海都の勇姿が女子大生たちにシェアされるとは」

「やめてください」

「次はみんなでラフティングでも行こか。川やったら、いっくんも入れるし」

「急流下り? 楽しそう! 保津川ほづがわとかいいなー」

「絶、対、に、嫌です!」


 ビルが乱立する街は巨大な森みたいで、方位磁針も役立たない。でも、この無機質な樹海では、自分の歩く道を自分で決めることができる。でたらめな方角に向かっていたって、道はちゃんとどこかへ続いている。

 海都は窓の外を見た。ビルの樹海の上には、底抜けに青い空と入道雲。夏は始まったばかりだ。


(了)

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BLUE COMPASS 新井 伊津 @gross_lie

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