つぼみほころぶ

oxygendes

第1話

如月きさらぎ廿二にじゅうに

 今日は春の彼岸明け、離任まであと六日。

 研作と共に菰焼こもやきを行った。美鞍みくら山で彼が世話している桜はおおよそ三百本、冬が来る前に幹に巻き付けていた菰を外し、ふもとの作業場に積み上げて火を点ける。冬の間に菰に潜り込んだ害虫の駆除との事。

 炎が上がり、白い煙が立ち上った。炎の中で、菰は真っ黒に変色し、中央辺りでは織り合わされた稲藁が赤く輝いている。菰に潜んでいた虫たちは煙に姿を変え、天に昇って行った。その様子を見て、私の旅立ちの日も近い事を思い出さずにはいられなかった。

 山仕事に不調法な私でも、いなくなれば作業の段取りは変わる。旅立ちが近い事を話しておかないと、研作が困る事になりそう。だけどどう話せばいいのか、考えが纏まらないまま一日が終わってしまった。明日こそ話をしよう。


如月きさらぎ廿三にじゅうさん

 離任まであと五日。

 研作が桜の様子を見て回ると言うので、私もついて行った。枝のあちこちに小さな花芽はなめがしっかりと付いている。だけど、南向きの斜面と北向きの斜面では、花芽の大きさが違う。南側では大きく膨らみ、つぼみが出かけているものもあるのに、北側では小さなままだ。

 とりわけ、山頂近くの一本、私がこの地を訪れた時にぶつかってしまった木は花芽がまだ出ていない枝も多かった。幹や枝が傷ついたりはしてはいない。私の力の影響なのであろう。

 研作もその木を気にして、地面の硬さや日当たりを調べていたけど異常は見つけられなかったようだ。盛んに首をひねっていた。そんな彼の思案に割り込んで入って旅立ちの話をする事は私には出来なかった。結局、話ができないまま番小屋に戻った。


如月廿四にじゅうよ

 離任まであと四日。

 研作は花付きの遅い一本のために、特別な世話をする事を決めた。木の周りの数カ所に丸太を組んだ篝火台を作り、火を焚くのだと言う。研作は番小屋の裏に積まれた資材の中から丸太を選び、山頂近くの桜のそばまで運んで篝火台を組んだ。そうして薪を運び込む。私も薪運びを手伝った。

 篝火が灯されると、熱気が地面を温め、漂う煙は幹や枝を包み込んだ。煙の中には植物の成長を促進する因子が含まれるのだと言う。

 篝火を焚いている間は傍に付いていなくてはいけない。揺らめく炎を眺めながら、時折、追加の薪を投入する。研作と私は半日をそうして過ごし、夕方に番小屋に帰った。


如月廿五にじゅうご

 離任まであと三日。

 早朝、山頂近くの木を訪れ、効果が出ているかどうかを見定めた。そして、まだ花芽が小さいと言う事で篝火を続ける事になった。研作は炎を眺めながらその世話をし、私は少し後ろで研作の姿を眺め続けた。火を焚いていても山の空気はまだまだ冷たい。その中で研作は一心に作業を続けていた。

 夕方、効果がまだまだと言う事で、一晩中、火を焚き続ける事になった。研作が傍に付くと言うので、私も手伝うと言ったのだけど、帰るように言いつけられ一人で歩いて番小屋へ戻った。番小屋でも一人きりだ。


如月廿六にじゅうろく

 離任まであと二日

 夜明けと共に山頂に向かった。桜の木の傍では、研作が地面に座って眠りこけていた。既に篝火は燃え尽きていた。駆け寄って揺り起こし、一緒に桜の木を眺めた時、私は凍り付いた。木の上に私の後任者が立ち、私を見下ろしていたのだ。

 彼女は怒りに燃えた表情で私を睨みつけていた。彼女の姿を見ることができない研作は能天気に立ち上がり、木に駆け寄る。大きな花芽が揃っているのを見て歓声を上げ、こっちへおいでと呼びかけてきたけど、私は一歩も前に出る事ができなかった。

 後任者も人間がいる場所では睨みつける以上の事をする気は無いらしく、桜の上から研作そして私を見つめるだけで、言葉をかけてはこなかった。研作と私はその場を離れ、他の桜の木の世話に回った。


如月廿七にじゅうなな

 離任まであと一日

 後任者と話をするため、一人で山頂近くの桜の木のところへ向かった。途中にある桜の木は皆、つぼみがほころびかけていた。

 後任者はくだんの桜の木の脇に立ち、私を待ち構えていた。この木のつぼみもほころんでいた。彼女の力によるのであろう。

 後任者は私を激しく叱責した。人間に姿をさらし、あまつさえ一緒に暮らしているとは何事か、これは絶対許されることでは無いと。

 彼女の叱責は長々と続いた。私は叱責を聞きながら、頭の半分では目の前の彼女の姿に感銘を感じていた。匂い立つと言うのだろうか、生命感にあふれ、なまめかしく、その肌は輝いているように見えた。さすが、春の精と言うしかなかった。

 もし彼女が生身の姿を現わしたら、研作なんてたちまち鼻の下を伸ばし、ぐにゃぐにゃのへなへなになってしまうような気がした。

 私はこれまで他の誰かを羨ましいと思った事は一度も無かった。だけど、もし私に彼女の半分、いいえ十分の一でも匂い立つ生気があったら、研作との接し方が違っていたのではと思ってしまう。

 私が集中していない事を気づかれたのか、後任者の叱責は厳しさを増した。最後には、このような事を続けたら、永遠の命を剝ぎ取られ、人間界に堕とされるとまで言われてしまった。


如月廿八にじゅうはち

 離任の日。

 今日、この地を離れ神域に戻ることになる。結局、研作にそれを告げる事はできなかった。

 研作と一緒に山を回る。全ての桜が花開いていた。山頂近くのくだんの桜の木も。研作は、この木が咲くのを一緒に見る事ができてよかったと言ってくれた。

 巡回を続ける研作の傍からそっと離れ、番小屋に戻り、旅立ちの準備をする。準備と言っても、小屋の中を掃除し、私の使っていた道具類をきれいに畳んでおくくらいだ。私が持ち込んだ物はほとんど無い。少し考えて、研作が轆轤ろくろを挽いて作ってくれた木の椀だけは持っていくことにして懐に収めた。

 後任者には、不始末をしでかした私は神域に戻ったら記憶を消されると言われていた。記憶を消されてしまったら、九ヶ月後、この地に戻って来た時、私の目には研作は何のゆかりも無い人間の一人として映ってしまう。それは少し悲しかったので、ささやかな抵抗をすることにする。

 研作と出会った経緯いきさつ、そしてその後の暮らしを記したこの日記を、私以外には誰も開けない封呪を掛けたうえで番小屋に残しておく。

 もしも研作が誰も開けないこの日記を気味が悪いと思って焼き捨てたりすることがなく、もしも次の冬の山仕事の際にも携えて持ち運んでもらい、もしも仕事の間、横に置いていたのが私の目に留まったら、私が読むことができるかもしれない。

 これほどのもしもが重なるのは奇跡でしかないだろうし、読んだ私がどう行動するかもわからない。

 でも、やってみよう。山一面に花開く桜を見ていると、そんな奇跡を信じてみたくなるから。一冬ひとふゆの思いを込めて、この書を閉じる。


              封

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