日記について思うこと

日乃本 出(ひのもと いずる)

日記について思うこと


 これは僕のちょっとした実体験なのですが、僕は以前、知り合いにどうすれば小説が書けるようになるのか? と聞かれたことがあります。

 僕はとても作家といえるような能力を持っているわけではありませんが、その友人に対しては、迷いもなく一つのアドバイスができました。


 それは、日記を書くこと、です。


 日記というものは、いうなれば、私小説のようなものだと僕は考えています。

 そして私小説というものは、他の誰の模倣もできない、自分の体験と自分の感覚だけど構成しなければいけません。

 たとえば、その日一日が特筆すべき出来事がなかったとしましょう。そうすると、日記を書くのも難しくなってしまいますよね。

 そうなるとしめたもので、日記を書くために、その日一日に起こった出来事を、必死になって思い出し、どうにか日記に書けるようにと、ちょっとした脚色をしたりするようになってきます。つまり、工夫をしだすわけですね。

 こうなると、その人は文章が上手い下手はさておき、作家となる素質は持ち合わせているのではないかと思います。


 たかが日記、たかが私小説だと思う人もいるでしょう。

 ですが、よく考えてほしいんです。

 昨今、小説はもとより、様々な創作物に関して、アイデアというものが出尽くしており、どうしても何かに似てしまうということは往々にしてあるものです。


 しかし、私小説にそういうことは起こりません。

 私小説というものは、書いたあなた自身の完全なるオリジナル創作物なのです。これには、他の創作物のアイデアなぞ入り込む余地はありません。

 もし、あなたが小説を書きたいと願い、果たして小説が書けるだろうかと不安に感じているのなら、どうか日記を書くことを習慣づけてほしい。

 そうすると、きっとあなたの小説を書きたいという夢の、大きな一歩となるはずなのだから。


 最後に、太宰治の私小説の『畜犬談』から、一部の文章を抜粋します。これをみると、きっとどうでもいいことでも面白くできるということがよくわかると思います。




「私は、犬を嫌いなのである。早くからその狂暴の猛獣性を看破し、こころよからず思っているのである。たかだか日に一度や二度の残飯の投与を預からんがために、友を売り、妻を離別し、おのれの身一つ、家の軒下に横たえ、忠義顔して、かつての友に吠え、兄弟、父母をも、けろりと忘却し、ただひたすらに飼主の顔色をうかがい、阿諛追従あゆついしょうてんとして恥じず、ぶたれても、きゃんといい尻尾まいて閉口してみせて、家人を笑わせ、その精神の卑劣、醜怪、犬畜生とはよくもいった」

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日記について思うこと 日乃本 出(ひのもと いずる) @kitakusuo

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