後編

「結局その『想い出の場所』は見つからなかった訳だ」

 久々に会った恋人の言葉に、私は悔しくも頷く。

 椿くんと探索を始めて三か月。

 土日の度に弘明寺の大岡川周辺を中心に探したのだが、あの絵の場所は見つかる事はなかった。

 唯一似た場所は、椿くんがお巡りさんに声をかけられたあの場所。

 しかしそこで椿くんの音の色と模様は晴れず。やはり似ているだけで違う場所だそうだ。

「探したのは弘明寺だけ? 大岡川プロムナードといえば蒔田公園とかの方が有名じゃない?」

「椿くんが言うには、その時お母さんが病気か怪我をしていたのか、調子が良くなかったみたい。

 だからあまり遠くまで行けなくて、お婆ちゃんの家の近くしか行かなかったんだって。

 だからお婆ちゃんの家の近くの弘明寺周辺だと思っていつも集合場所はそこに・・・・・・」

「待って、お婆ちゃん家にも行ったの?」

「うん。なんか日曜夕方六時半に見そうな感じの家で、玄関の横に木が立ってる・・・・・・」

「玄関横に木? 」

「どうしたの?」

「いや。それで結局、現時点でも『想い出の場所』が、みつからないままで、先週も同じように椿くんが来るのを待っていたけど。椿くんは来なかったと・・・・・・」

「うん。両親に探してるのがバレたのか、それともタイムリミットが来て、お母さんと家を離れたのか。

 ねぇ、どうにかならないかな? 市の職員でしょう?」

「どうにかって。たかが一公務員に何か出来る訳ないだろ? 椿くんとは連絡取れないの?」

 私は首を横に振る。椿くんとは口約束で土日に出かけていただけだ。

「弘明寺の玄関横に木のある家。もしかしたら俺の知ってる場所かもしれない」

「本当?」

「うん。それにもしそこが、俺の知ってる場所だったら。まぁそうだとしたら凄い偶然だけど、椿くんのお婆さんを俺は知ってることになる」

「えっ、お婆さんを?」

「弘明寺の玄関横に木の植えてある平屋の一軒家。そしてもし表札が椿くんと同じ『関内』姓だというのならその可能性が高い」

「うん。そう言えば表札は『関内』だった! 椿くんが関内だから、 今迄当たり前に思ってたけど」

「当たりだな。椿くんの名前を踏まえると、たぶん間違いない。ただそうなると・・・・・・椿くんの言う『想い出の場所』はきっと〝あそこ 〟になるんだりうな」

「えっ、解るの? 『想い出の場所』」

「俺の推測が正しければだけだけど」

 私は思わず鞄からスマートフォンを取り出すと、一枚の写真を彼に見せた。

「ここ! ここなんだけど、何処か解る?」

「これは?」

「椿くんの自由帳に描かれた『想い出の場所』を撮らしてもらったの。探す手がかりにって」

 彼はスマートフォンを私から受け取ると、マジマジと見つめながら「こんなに〝 ハッキリ〟と・・・・・・」と呟いた。

「どう? その場所わかる?」

 私の質問に彼は答えない。代わりに質問で返してきた。

「キミが話してくれた椿くんの話・・・・・・具体的には椿くんが言った言葉は比較的正確?」

「えっ・・・・・・たぶん。三ヶ月も前の事だから自信は無いけど。それより、ココ解るの?」

 そこで彼は黙った。今更勿体ぶらなくても良いのに。私は少し腹立たしくなった。

 合ってるなら合ってると言ってくれれば良い。違うなら違うと。

 推理を披露する前の名探偵のように、焦らす必要なんて全く無い。私は三ヶ月。椿くんはそれ以上、この場所を追い求めてきたのだから。

 ただ、彼の様子が少し妙なのも感じた。

 酷く渋い顔・・・・・・いや苦悩しているかのような。

「もしかしたら、椿くんは二度とこの風景を見る事はできないかもしれない」

 やっと出てきた彼の言葉に私は絶句する。

 あれだけ望んでいた景色を椿くんは二度と見ることができないかもしれないなんて・・・・・・。

「いったいどういう事?」

「俺の推測が正しいなら・・・・・・だけど。それを確かめる為にも、お婆さんの家に行ってみよう。それから後、もう一箇所も」

 彼はそう言うと伝票を持って立ち上がった。見上げたその顔は、とても哀しそうに見える。

『俺の推測が正しいなら・・・・・・』そう言う私の恋人は、いったいどんな景色を今見ているのだろうか?

 今、アナタには何色に世界が見えてるの?

 

 

「本日はお呼びたてして申し訳ありません」

 彼はそう挨拶して名刺を目の前の二人へと渡した。

 私達が椿くんのご両親と会っているのは、彼に椿くんの事を相談した二週間後の事だ。

 場所は弘明寺の駅。

 彼は二人と面識があったらしく、すぐに二人を椿くんの両親と判じて挨拶に向かった。ちなみに椿くんは呼ばなかった。どうやらその方が彼曰くいいらしい。

「あぁ、母の! その節はお世話になりました」

 椿くんのお父さんがそう言って彼に頭を下げる。その言葉に椿くんのお母さんは驚いていた。

「ほら、母さんの葬式の時にも来てくれただろう。よく電話で母さんの話し相手になってくれていたっていう」

「あぁ、若い公務員さん。最初は半信半疑でしたが、本当に市の職員さんだったんですね」

「えぇ、この度はお越しいただきありがとうございます。そのお葬式の際に教えていただいた連絡先に、今回は勝手ながらかけさせてもらった次第です。申し訳ありません」

「あの、それで今日はなんで私達は呼び出されたのでしょう?」

 そう尋ねる椿くんのお母さんは、妙に自分の夫を意識している。

 どうやら既にお母さんは椿くんを連れて家を出てしまっているらしい。椿くんが『想い出の場所』探しに来れなくなったのは、やはり両親の別居が原因らしい。

 タイムリミットが来てしまっていたのだ。

「椿の事について大事な要件と聞きました。義母と面識があったのは分かりましたが、何故市の職員の方が椿の事で?」

 そのお母さんからの質問に彼は、一枚の紙を取りだして二人に見せた。

 それは私がスマホで撮影したものをコピーした、椿くんの自由帳に描かれた

 『想い出の場所』の絵だ。

「椿くんがこの場所を探していたのはご存知ですか?」

 お父さんは驚くが、お母さんの方は眉をしかめる。どうやらお母さんの方は知っていたしい。

「えぇ、どうやら親切なお姉さんに手伝ってもらっていたそうで・・・・・・」

 母親の言葉にはどこか敵意を感じる響きがあった。

「その親切なお姉さんがこちらの・・・・・・自分の恋人なんです」

「えっ?」

 驚く二人に私は軽く会釈する。

「偶然って怖いものですね。俺も驚きましたが。

 先日、彼女から『椿くんの想い出の場所を探し出してあげたい』と相談を受けました。どうやら、椿くんはこの場所をお二人に見せて、仲直りしてほしかったみたいです」

 二人ともバツが悪そうに俯いている。

「その相談を受けて、俺が今日お二人をお呼び出したというわけです。わざわざ肩書きを名乗ったのは・・・・・・まぁ、その方がお二人が来てくださる可能性が高いかなと。実際はひどく個人的な理由で大変申し訳ないんですが」

 彼がそう言って頭を下げるので、私もつられてまた頭を下げる。

 元はと言えば、彼は関係ない案件だ。それを私のワガママで付き合ってもらっている。

「実際、彼女に頼まれこそしましたが、その椿くんの願いを叶えられるとは思っていません。そこは俺も彼女も解っているつもりです。

 椿くんの願いは『想い出の場所』に二人を連れてきて仲直りしてもらう事ですが、そこに他人である俺や彼女が介入する権利はありませんし、できない。その事で公務員という立場を利用するなんて以ての外。お二人の事は、お二人と、そして椿くんが決めることですから。

 俺達には何も出来ない。

 だから彼女も余計なお節介と解っていながら、けして椿くんに『両親を仲良くさせる』手伝い、とは言わず。『想い出の場所を探す』手伝いをするとしか言わなかったみたいですし」

 そう言い彼は私を伺い見る。

 この、なんでも解ってます。みたいなのが時々腹立たしいと思うことがある。彼の少し嫌いな部分だけれど・・・・・・。

 今日はなぜだか、少し頼もしく思える。

「その上で俺は敢えてお二人をお呼び出ししました。俺のひどく個人的な理由で。

 一つは勿論、恋人に頼まれたから・・・・・・もう一つは椿くんのお祖母様に恩返しを少しでもしたいからですかね」

「母に恩返しですか?」

 お父さんの言葉に彼は首肯しながら続ける。

「はい。お祖母様が愛したお孫さんの、手助けをして・・・・・・しかし結論から言えば、それは無理でした。この景色は存在しない。いや、もう二度と存在できない。と言った方がいいでしょう」

「いや、これはすぐそこの私の実家の近くで・・・・・・」

「えぇ、存じています。場所自体は今もありますよ。実際そこで彼女は椿くんと出会ったみたいですから」

 そう言って彼は私の方へ視線を移す。彼が言っているのは例のお巡りさんとあった場所の事だ。

 しかし椿くん本人はその場所は『似ているけど違う』と断言している。

「話の続きは是非その場所で・・・・・・」

 そう言って彼は歩き出す。ご両親は目を見合わせるも、何も言わずそれに付き従う形では歩き出した。

 その場所は弘明寺の駅からは十分程の道程だ。

 移動の間、誰も口を出さなかった。

 彼も、ご両親も。そして私も・・・・・・。

「ここですね」

 そう言って彼が立ち止まったのは、やはり椿くんが警官に声をかけられた『似ているけど違う場所』だった。

 「ご両親ですから、椿くんの共感覚についてはご存知ですよね」

 彼の言葉に驚き、戸惑いながらも二人は頷く。

「自分の推測だと、この景色には椿くんの共感覚が深く関わっている。だからきっと彼は二度と、あのノートに描かれた『想い出の場所』を見ることはできないと、自分は考えています」

「何故、そう言い切れるんですか?」

 そう聞いたのは椿くんのお母さんだ。

「場所はここなんですよね?」

「条件が整わないからです。この風景を椿くんが視られたのは偶然。いくつもの奇跡のような条件が重なったからだと考えられます。しかしそれをもう一度再現する事はもう二度と無理でしょう」

「二度と? 同じ場所で同じ条件で再現すれば可能なのでは?」

「おそらく無理です。決定的なピースが失われてしまっている。似たものはできても、まったく同じものにはならない」

「そのピースというのは?」

「それを確信するためにも、一つだけ質問させてください」

「質問?」

「えぇ、椿くんの妹の事です」

 彼がそう尋ねた途端、二人の顔に影が落ちた。

「椿くんの妹。『さくらちゃん』はもう亡くなっていますね?」

 大好きな、結婚を望む程愛している彼だけれど。

 その言葉は酷く冷たく感じた。

 


「母さんから聞いたんですか?」

 椿くんのお父さんの言葉に、彼は首を横に振る。

「いいえ、あの人は決して身内の不幸話しはしませんでした。話すのはいつも自分の大好きな花の名前をつけた孫の事と、新人だった自分へのアドバイスや応援の言葉でした。むしろいつも相談をしていたのは自分の方なんです」

「なら、なんで名前まで・・・・・・」

「彼女と椿くんの話しの中で、一度だけ妹の話しが出たそうです。本当に一度だけ。

 しかし以後、彼の話しの中にはいっさい出てこない」

 彼はそこで一度言葉を区切り、続ける。

「そしてその話の中で三年前。お母さんは怪我か病気をしていて、その景色を見た時も近場で済ましたと聞いて、少し不思議に思ったんです。

 お祖母様が足が弱くてというなら解るんですが。椿くんがわざわざ『お母さんの身体を心配して』近場にした・・・・・・という言い方をしたのが気になりました。そもそもお母様がご病気や怪我をしていて、義実家まで一緒に来られるでしょうか?

 でも病気や怪我じゃなくても、身体に気をつける場合がありますよね。特に女性の場合は・・・・・・」

「妊娠・・・・・・ですね」

 お母さんの呟きに彼は静かに頷く。

「椿くんは、彼女と初めて会った時、声を聞いて『さくらに似ている』と呟いたそうです。彼女は自分の声が桜の花の模様と色が似ていたからだと思ったらしいですが、彼は『星が重なった……』と表現しました。桜の花に似ていたのなら『桜の花のような』と言ってもいい筈です。でもそうしなかった。ならその『さくら』が指すのは花では無い『さくら』。

 ちなみにお祖母様のご自宅の玄関横に植えられてる木。あれは椿の木ですよね。椿くんの名前はそこからつけられたんですよね?」

 彼がそう聞くと、お父さんが頷きながら答えた。

「そうです。苗字も『関内』だったのでまさに玄関の内にある、あの木のようにと・・・・・・」

「椿の花言葉は『控えめな美しさ』です。彼女の話を聞く限り、ご両親のつけた名前通り、控えめながら心の美しい少年のようですね。そして椿くんが花の名前だった事も考えると・・・・・・」

「そうです。さくらは、私が産んであげることができなかった・・・・・・椿の妹の名前です」

 お母さんはそう言うと泣きそうな顔で視線を落とした。

 お父さんもどこに目をやればいいのか上をむく。私は彼の顔へ・・・・・・でも彼は真っ直ぐ両親二人を見据えそれに頷くと静かに続けた。

「自分の推測はこうです。三年前。椿くんが小学校に上がる少し前、妊娠の報告か帰省かで弘明寺のお父様の実家へと皆さんはやって来ていた。季節は春。桜が咲いていて、新たな家族が出来る。

 家族としては幸せな時間だったのでしょう。

 そしてみんなで花見に出かけた。

 妊娠しているお母様を気遣って近場の桜の見える場所へ」

 彼の言葉を聞いている間、私の視界はモザイクがかかったようだった。

 もう、溢れるものを我慢するのも限界だ。

「そう、みんなで。

 貴方達ご両親。椿くんにお祖母様も。そしてお腹にいる妹のさくらちゃんも一緒に。

 そして何かの偶然で、椿くんの視界は開けた。

 おそらく音の波長が合ったのでしょう。音は波の振動です。

 その波同士が偶然打ち消し合えば、おそらく音を視覚化する椿くんの場合、視界が広がって、音以外の本来の景色がクリアに見えることでしょう。

 きっとこの景色はその時の景色なのだと思います。

 いつも景色以外に音が混ざる椿くんにとっては、本当に衝撃的な光景だったでしょうね」 

「じゃぁ、失われたピースってというのは・・・・・・」

 お父さんの言葉に彼小さく頷く。

「そうです。・・・・・・お祖母様とさくらちゃんの事です」

 

 

「彼女の話しだと、椿くんはその時『みんないた』と言っていたそうです。つまり近くにあなた方家族がいた。

 それも新しい家族が出来た喜びと、時期的な事を推測するなら椿くんの小学校入学も目前。まさに幸せとしか言えない状況で。

 椿くんの視界を広げたのは、そんな家族の幸せが溢れる声や、さくらちゃんの心音。

『幸せの音』が他の音を打ち消してくれたのではないでしょうか?」

「さくらの心音?」

 お母さんは訝しげに問いかける。

「はい。あくまで推測ですが、その景色を椿くんが見た時。その光景があのノートに描かれた風景だったのなら。小学生前の子供なら、想像で一緒にその光景を見たご両親や、お婆さん。そして自分も描いておかしくないと思いませんか?

 子供というのは大人が思っている以上に想像力が豊かです。目の前で自分が見た光景をより拡大解釈をして、その景色に合ったものを全部描こうとする。その景色を見ていたのは自分で、他にも家族がいた・・・・・・と。

 その全部を織り込んでしまう。結果、子供の絵に自分や家族を描き足してしまう事が多くあります。ましてや写真のようにその場で、その瞬間に描いたなら別ですが、ノートに描いた事から考えれば、花見の時に、椿くんが自由帳を持ってるのは可能性として低いでしょう。

 なら彼はその風景を思い出して描いた事になる。そんな状況下で彼はそれでも自分や家族を描かなかった。いや、描けなかった。

 なぜなら、それほどにその時の風景が衝撃的だっからだ。サングラスにヘッドフォンを着けないと、まともに世界を見ることができない彼にとって、それだけ・・・・・・その時見た景色は驚愕するものだった。

 そして自分も家族も描かれていないのは、みんなが同じ風景を見ていてからだ。同じ方向に視線を向け、同じ『桜』を見ていた。

 おそらく・・・・・・少なくともお母様と椿くんは手を繋いでこの場所を見ていたのではないですか?

 もしかしたら、もう片方の手はお婆様だったのかもしれない・・・・・・」

 そこで私は気付いた。

 『さくらみたいだ』と椿くんが呟いた時、私は椿くんの手を握っていた。もしかしたらあの時、椿君は私の声では無く、もしかしたら私の手から伝わる脈動を視たのではないか。事実、その前も彼と喋っていたし、それから三ヶ月。椿くんと『想い出の場所』探しをしていたが、同じように私の〝 声〟を『さくらみたい』と言われたことはない。だからこそその椿くんの言葉を鮮明に覚えていた訳だけど。

 もしあの時、手から伝わる小さな私の心臓の鼓動を、感じ取っていたとしたら・・・・・・。

 私はその事実に驚いていた。だが、それ以上に両手で口を押さえてまでお母さんは驚いているようです。

「そうです。あの時、ちょうどこの場所に来た時です。椿ったら急に興奮して『凄い! 凄い!』って急に騒ぎ出して・・・・・・」

 お母さんのその一言で、お父さんの方も「あっ、」と言う声とともに何かを思い出したようだった。

「あの時は椿がなんで興奮したのかよく分からなくて、てっきり桜を見て『凄い』って言ってるものかと思っていたけど。そうだ・・・・・・あの時、椿がはぐれてしまわないように!」

 お父さんはそこまで言うとお母さんを見やった。それに答えるようにお母さんも頷いている。

「うん片方は私が。もう片方はお義母さんが、椿の手を握っていたわ」

 繋がった。その全てが繋がって、椿くんが探しているこの絵は出来上がったんだ。

「おばあちゃん家から帰ってきた途端、椿が準備したばっかりの新品のランドセルから、自由帳取り出した時はどうしたのかと思った。本当に小学生になるのが嬉しいんだって思っていたけど」

「そうだ。帰った途端、自由帳引っ張り出して『パパ、このじゆうちょうは、じゆうに何でもかいていいんだよね』って聞いてきた。この絵を描くために聞いてきたんだな。それほど・・・・・・椿にとって凄い景色だったんだな。それなのに、息子がそんなにも感動していたのに。父親である自分はその事に気づいてやれなかったのか・・・・・・」

「そうね・・・・・・だから、だから『さくら』も・・・・・・」

 そこまで言葉を紡いでから、突然お母さんは嗚咽を漏らして泣き出してしまった。

 私も彼も驚いていると、椿くんのお父さんがお母さんの背をさすりながら答えてくれた。

「『さくら』の名前をつけたのは椿なんです。それに母も凄く賛同しまして、そうつけたんです。きっときっと・・・・・・妹の名前にしたい程、椿には綺麗なすごい景色だった・・・・・・んだな・・・・・・って今更、いまさら気づいて・・・・・・」

 そこから先はお父さんも言葉になっていなかった。

 二人は思い出してるんだろう。

 およそ三年前の同じ場所を。ただ季節も違えば状況も違う。もう椿くんの自由帳の中にしか存在しないその場所を・・・・・・。 

 

 

「お祖母様とは上大岡で俺は知り合いました。駅に連なるオフィスタワーに市の『社会福祉協議会』が入ってましてね。一時期そこの会議室で研修を受けてたんです」

 二人がひとしきり泣き止むと、彼は静かに語り出した。内容は椿くんのお祖母様の事らしいが、それ以上に驚いたのは彼が、しばらくの間上大岡まで研修で来ていた事だった。どこで彼と、椿くんのお祖母様と知り合ったのかは私も謎のままだったけれど、完全に初耳だった。

「お祖母様は別の手芸教室でその会議室をご利用されていて、喫茶店でよく顔を合わせたりしてるうちに茶飲み友達になってましたよ」

 そう、過去の想い出に記憶を巡らせる彼もまた、目頭が熱くなっているようだった。

「ここにいる彼女の事でよく相談にのってもらってたんですよ。彼女、俺より年下なんでね、ちょうどお祖母様と知り合った頃、彼女が今の会社に就職したばかりで、なかなか会うことも出来ず、すれ違う事が多かったんです。それこそ別れた方がお互いのためなんじゃないか・・・・・・そう思うほどに」

 それは衝撃的な告白だった。

 たしかに今の会社に入社した頃、私は新社会人として初めての事だらけで必死だった。

 まだ駅のホームのメロディが聞こえていた頃の事だ。彼の事をおざなりにしていた訳じゃない。でも、たしかに彼とは変な距離があったと・・・・・・そう覚えている。

「お祖母様は素敵な方でした。

 最初は挨拶程度、でもそのうちに一緒にお茶をするようになって、いつの間にか仕事の愚痴から、恋愛相談までするようになってました。

 俺が彼女と別れた方がいいかもしれないと愚痴った時、お祖母様は凄く真剣にその話を聞いてくれました。そしてひとしきり俺の不満だとかを聞いてくれた後『未来なんて誰も分からないのよ』と言ってくれました。

『未来なんて決まってる事じゃ無いんだから、誰も分からないの。でもね、その未来で何が欲しいか、何があって欲しいか。それは〝 今〟でも願うことができる。その願いのために努力したり夢見たり、そういう事ができるのが、きっと大切なんだとおばあちゃんは思うな』って・・・・・・。

 そして『アナタにとって、その娘はアナタの未来に失くても良いヒトなの?』

 そう聞かれた時に、衝撃的でした。凄く凄く嬉しかった。誰よりも、俺自身よりも、俺が欲しているモノを理解してる。そんな気さえしました。

『その娘と一緒にいる事がアナタの望みで、願いなら、けして放しては駄目。例えそれで彼女を、自分自身を傷つける事になっても。

 自分の未来に少しだけワガママになりなさい。離れるだけならまた出会える。でもね失くしてしまったらもう戻らないのよ』

 ニッコリ笑いながら、そう言ってました」

 私は一度も椿くんのお祖母様に会ったことはない。この中で唯一お祖母様を知らない。

 でもその笑顔を私は知っている気がした。

 どこかの花の名前をした少年のように、パァーっと咲いた笑顔を。

「カップルにありがちな『倦怠期』とでも言うんですかね、お祖母様の言葉で俺はそのすれ違いの時期を乗り切りました。『俺の未来には彼女がいて欲しい』という俺のワガママが勇気をくれたんです。これに気づいたのはお祖母様の言葉のおかげでした。でもその話をしたすぐ後ぐらいから、少しいつもの元気が無くなったと自分は感じました。亡くなられた時、その頃から調子が悪かったのかと思っていたんですが」

「えぇ、たぶんその頃です。『さくら』が亡くなったのは。それから夫婦関係も悪くなっていって」

 彼の言葉を遮るように、お母さんは俯いたままそう呟く。お父さんも同様に下を向いたままだ。

「さくらちゃんがいなくなったのは、椿くんもショックだったのでしょうね。そして立て続けにお祖母様も一昨年亡くなられた。そして今度は大好きなご両親までも、どちらか居なくなろうとしている。小学三年生の男の子が、たった一人で、家族に内緒のまま、東京から電車を乗り継いでまでここに来ていたのは、彼なりに必死だったからでしょう。それこそ大切なものをもうこれ以上『失くさない』ために」

 失くしたものは、二度と戻ってこない。だからこそ、失くさないように、両親が仲良くいられる未来の為に・・・・・・椿くんは一人、それを夢見て行動に移した。それが、あの三ヶ月程の『想い出の場所』を探す旅だったんだ。

「もう二度と、椿くんはノートに描いた同じ景色を見ることはできません。

 その為には欠けたピースが多すぎる。それも重要で大切なピースが。

 でも、椿くんが美しいと、凄いと感動する景色は、あの三年前の一度だけなんでしょうか?

 今まで無かったとしても、これから先、それこそ未来に、似た景色を、もっと素晴らしい景色を見せる事はできるかもしれない。

 最初にも言いましたが、お二人の仲をどうこう言うつもりはありませんし、言う権利も無いのは承知です。

 ただ、椿くんは誰よりも色んな色を視ることが出来る子です。俺達よりも、他人よりも多くの色を・・・・・・。

 そんな彼から色を消さないで上げてください。彼がこれから見る景色を真っ黒に塗り潰すのだけは止めてあげてください。

 彼が成長していく『未来』に、色を『失くさないよう』に・・・・・・。

 きっとそれをお祖母さんも願っている筈です」

 お願いします。と私の恋人はそう言って頭を下げる。ご両親はそれを泣きながら見つめていた。

 そして私も頭を下げたのだった。

 ただ未来のために願った。

 椿くんの未来に色が失くならないように。

 

 

 話しが終わり、椿くんの両親は帰っていった。

その時少しだけ二人が少し、笑いあっていたような気がするのは、私だけかもしれない。

 京急の上大岡の駅のホームで二人を見送り、取り残されたのは私と彼・・・・・・2人だけだ。

「『倦怠期』私、知らないんだけど」

 思わず出たのは彼への不満だった。

「そうかな・・・・・・かなり俺としては二人の関係の危機だと思ってたんだけど」

「そんなの、もう何度もあったよ。アナタが就職した時。それに、この間までの海外研修の時・・・・・・」

 私の言葉に彼は凄く驚いているようだった。

「アナタには椿くんのお祖母様がいたみたいだけど、私にはいなかった・・・・・・。私が就職した頃、上大岡まで研修に来てたのも、さっき初めて知った」

 これは私のワガママなのだろう。きっと彼は彼なりに色々考えて、私に言わなかった事も多かっただろう。自分の為に、そして私を慮って・・・・・・。

 でも、私は聞かずにいられなかった。

「なんで、その時に言わなかったの?」

 私がそう聞くと、彼は少し頬が赤くなった気がした。まるで桜のような・・・・・・。

「キミは、少し過小評価してるね」

 少し口篭りながら、彼はそう返す。

「なにを過小評価してるって?」

「俺がどれだけ『キミを好きか』だよ」

 言葉を詰まらせるのは今度は私の番だった。

「キミが俺をどう思っているか・・・・・・正直分からない。結局他人だからね。キミの全てを俺が理解できると思ってないし、逆もまた然りと思ってる」

 それは少し残念な答えだった。

「それは、私を信頼してないって事?」

 よく頭にその答えを巡らせもせず、反射的に言葉が出る。寂しいし、哀しい。ある意味彼から一番聞きたく無かった言葉だから。しかし彼はそれを一蹴する。

「違うよ。信用してるし、信頼してる。でもね不安になるんだ。俺には『未来』を一緒にと考えられる程の女性は〝キミ〟しかいない。だからこそ、〝キミ〟には俺より相応しい人がいるんじゃないかって思ってしまった・・・・・・そんな時もあったんだ」

 彼は天井が見えてしまう上大岡駅のホームで天を仰ぐ。その先に何を見ているのか、それは私にも分からなかった。

「上大岡で研修を受けていた時、特にそう思った。実は気まずくてわざわざ京急線じゃなくて、横浜で乗り換えて市営地下鉄で通ってたんだ。偶然でもキミに会うのが怖くて。会いたいからこそ、あの頃はキミに会いたくなかった。キミに会うのが、終わりの始まりのようが気にして・・・・・・」

「そんな・・・・・・」

 そんな事無い。そう断言できる。偶然でも一瞬でも。大好き人に会えることをなんでネガティブに思う事があるだろう?

 少しでも、一時でも好きな人と一緒にいたいと思うのは、私のワガママなのだろうか? 

「キミはキミで新しい会社に入って、新しいコミュニティを築き始めていた。きっとその中には、俺よりもキミの事を理解出来て、キミを不安にさせない。そんな俺よりキミを幸せにできる人がいるかもしれない。正直、怖かったよ」

 彼は一切私を見ようとしない。その視線が彼の本心を現しているように見えた。

「キミの人生に、俺が必要無いと思えた。キミが幸せなら俺なんて要らない・・・・・・そう思えた。俺が求めるのはキミの幸せだ。だからこそ、俺は必要無いと思えた。でも変えてくれたのは、椿くんのお祖母さんだったんだ」

 彼はそこでようやく私と視線を合わせる。その視線が真っ直ぐ過ぎて、逸らすのは今度、私の方だった。

「椿くんのお婆さんには本当にお世話になったんだ。海外研修に参加したのも、彼女の応援があったからだ。『色々な色を見てきなさい』って。

 『アナタとアナタが大切な人のために』ある意味それが椿くんのお祖母さんから聞いた遺言だった」

 そう告げる彼の顔はとても寂しげだった。

「さっき話したね。『失くしたら』そう思ったら、俺は〝キミ〟を失う事が凄く怖くなった。キミが〝いない〟『未来』を考えられなかった。例えいつかキミを傷つけても、それでもただキミと一緒にいたい・・・・・・そう思ったんだ」

 彼は苦笑しながら続ける。

「俺のワガママだよ。それ以外にない。でも、キミを手放したくない。キミはオレのもんだ」

 彼は「傲慢だけどね」と言いながらはにかんでいる。その笑顔が可愛いと思ってしまうのは、私が彼に惚れたているからだろうか?

「アナタは今、どう思ってるの?」

 やっと出てきた言葉がこれだった。もしかしたら彼は私の事を信用してないのかもしれない。信頼してないのかもしれない。簡単に他の男に靡く女だと思ってるのかもしれない。

 怖く凄く恐かった。でも聞かずにいられなかった。

 アナタは今、私を何色で見ているの?

「言ったろう・・・・・・俺の未来には〝キミ〟が必要なんだよ」

 それだけで。その言葉だけで、私には充分だった。

 二週間前のクリスマス(前)デートでは、プロポーズもされなかったけれど。この言葉だけで、

 私には充分だった。

 私は照れ隠しのように、話題を変えることにした。話題にした椿くんに少し申し訳なさを感じながら。

「私たちはこれ以上、椿くんに何かできる事はないのかな?」

「そうだね。椿くんの『想い出の場所』はもうない。でも言ったろう?

 彼がもう一度素晴らしい景色を見る事が出来るかもしれない。椿くんの自由帳・・・・・・そうだな。幸せな風景を描き残す『幸せノート』。そのページを増やす。そのための手伝いは出来るかもしれないよ」

 臭い台詞を吐きながら、そう告げる彼の顔は少し照れ臭そうだった。まったく、先日のみなとみらいのレストランならいざ知らず、ムードもへったくれも無いじゃないか。

 でも、彼は私を見逃してくれないみたいだ。

 ホントに面倒な男に、私は惚れられたみたいだ。

「そもそも二週間前、その為に君を食事に誘ったんだよ。椿くんの話しを聞いて、忘れちゃってたけどさ・・・・・・」

 そう言って、彼は小さな箱を取りだす。

 その時、私にも『幸せの音』が視えたような気がした。

 

 

 


♪エピローグ

 三月になって、私達はあの場所で待っていた。あの『想い出の場所』だ。

 少し遠くの方に椿くんの姿が見えた。

 いつものようにヘッドフォンとサングラス。少し背は伸びたのかな?

 しかし前みたいに一人ぼっちじゃない。

 ちゃんとその横には二人の大人が、手を繋いで付き添っていた。

 すると途中で椿くんは何故か驚いたように足を止めた。

 そしてヘッドフォンとサングラスを外すと、飛び切りの笑顔で駆け出してこちらに向かってきた。

 咲いた花のような明るい笑顔。やはり彼にはこの顔が一番似合う。

 私は隣に立っている婚約者を見る。

 彼も静かに頷いていた。

 私は頷き返すと、駆けてくる椿くんへと走り出す。左手の薬指にある小さな輪っかが、私に勇気をくれる。

 私のワガママを、現したかのようなそのリングが私がこれから椿くんに見せる未来を、示してくれる。

 椿くんには聞きたいことがたくさんあるんだ。

『今の私は何色に見えるかな?』

 そして今度、見せることになる、真っ白な衣装を着た私は、

 キミにはいったいどんな色に見えるのだろうかと。



                                      了

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