第131話


 モーティーマー・ブラザーズは、大海を行き来する【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号の上で生を受けた。

 出生の詳しいことは不明だ。まだへその緒がついたままの赤ん坊の彼らを置いて、両親はいなくなっていたのだから。

 だけれども、周囲の反応から察することはできた。両親はおそらく、密航者だ。隠れている時に産気づき、産んだのはいいものの連れて行けずに置いていったのだ。

 生まれ落ちた瞬間から、両親を、居場所を、なにより名前を持たざる彼らを、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号の乗組員たちは不憫に思ったのだろう。


「血の繋がりなど、種族の異なりなど、気にするな。この船は、我々の家だ。そこに住まう者は、皆、家族だ」


 彼らは、乗組員たちに受け入れられ、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号の一員として育てられた。賭け闘技場で絶大な人気を誇る闘技士ファイターのチャンピオン、全身狐の獣人の男、ヴァンクリーフ・モーティーマーが養父になってくれたことでモーティーマーという姓を、よく当たると人気の女占い師のダークエルフのトゥーリーが、彼らの名付け親になってくれた。


「「善なる」種族? 「悪しき」亜人? ンなもん、クソくらえだ」


 言葉を覚える頃になると、乗組員たちは、彼らに言い聞かせ始める。


「ファッキン、【転生者】! 種族に貴賤なんてあってたまるか!」


「善なる」種族は人間とエルフと獣人、「悪しき」種族は亜人と魔物という、【転生者】がこの世界に敷いた絶対のルールを、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号の乗組員たちは真っ向から否定した。様々な種族のるつぼであるそこに、「善なる」種族も「悪しき」亜人もなかった。

 普通に考えれば、反社会的な危険思想だ。だけれども、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号ではそれが普通なのだ。


「快楽に愛されるという意味で、人はすべて平等である」を唯一の法とする【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号、この世界で快楽と名の付くものありとあらゆる全てが文字通り揃う場所では。

 船長であり、いにしえの時代よりこの世界の全ての海の支配者であり、大小様々な国の王侯貴族ですら礼を尽くすーーなにより、あの【転生者】への服従を唯一跳ね除けたという【大総統】の下では。







 成長した彼らは、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号にある賭け闘技場にいた。その時既に、チャンピオンとして賭け闘技場に君臨していた。

 快楽船の一員、正式な乗組員として生きるため、周囲から戦闘技巧の指南を受け、老いを理由に引退した養父ヴァンクリーフに代わって賭け闘技場のチャンピオンの座に着いたのだ。

 ひたすら戦闘技巧を磨き、闘技士ファイターとして挑戦者と戦う日々。

 息の合った戦い方、風林火山のトリッキーな大技を決めることから、彼らはいつしか【殴り込み兄弟】モーティーマー・ブラザーズと呼ばれるようになった。






 自分たちの運命が変わってしまったその日ことを、モーティーマー・ブラザーズは克明に覚えている。


「チャンピオン、【殴り込み兄弟】モーティーマー・ブラザーズとお見受けする」


 一人の人間が従者たちを率いて、【快楽船かいらくせん】に現れたのだ。


「せっかくこうしてチャンピオンがいるのだから、どうか一戦、手合わせ願いたい」


 モーティーマー・ブラザーズは、それを鼻で笑った。


「貴様、馬鹿か?」

「女とて、我らは容赦せぬぞ」

「そうだ、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号のルールを知らぬとは言わせん」

「左様、【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号への密航を企てた者は、賭け闘技場にて闘技士ファイター全員に叩きのめされる。その後、身ひとつで魔物がうごめく海に放り出される」

「されど、闘技士ファイター全員に勝てれば、恩情が与えられるだろう」

「まあ、精一杯足掻くことだな」


 密航者は、女だった。

 船底に設けられた牢に従者たちと共に収監された女は、しかし、不敵に微笑んでいる。従者たちもまた、余裕の態度を崩さない。

 それどころかーー


「そうか、闘技士ファイター全員と手合わせできるのか……それはありがたい! そして、探す手間が省けた」

「「なにをだ!?」」


 問いに対し、女は言う。


「剛毅なる戦士だ。残酷無比な運命に立ち向かえるような、この腐り切った世界そのものを、完膚なきまで破壊できるような」


 モーティーマー・ブラザーズは、困惑した。

 故に、相手をまじまじと見てしまう。

 身に纏うのは、簡素なシャツとスラックス。腰には、レア武器と名高い日本刀。

 黒髪の、まだ若い女だ。その年齢に似合わぬ気品を持った。片眼鏡モノクルの向こうの鋼の眼差しには、深い知性がある。


「「貴様……いや、貴女あなたは何者だ?」」


 まるで、王侯貴族のようだ。お忍びで訪れて金を湯水のように使いまくる道楽者ではなく、ノブレス・オブリージュの厳格な道徳観を持つ本物。

 それだけじゃない。

 モーティーマー・ブラザーズは、女の背後を見た。そこには、女の従者たちが控えている。

 三人とも、男。そして、亜人である。蜂の蟲人、筋骨隆々の魔族、ダークエルフと人間のハーフ。


「「……?」」


 違和感を感じる。

 この三人は、本当に、女の従者なのだろうか。

 従者というより、その関係はまるで、上官と部下のように思える。

 聞いた話によれば、快楽船の外に広がる世界では、件の【転生者】のルールは絶対のはず。

 なのに、三人からは女にに対する主人としての絶対的な怖れや、卑屈な忠誠心が一切感じられない。


「それより、人に名を尋ねるのならば、まず自分から名乗るのが礼儀でなないのか?」

「モーティーマー・ブラザーズが一人、ダグラス・モーティーマー」

「モーティーマー・ブラザーズが一人、セタンタ・モーティーマー」

「ベラドンナだ……ああ、それより、【大総統】は息災か?」






 モーティーマー・ブラザーズは知らない。後に、この女ーー【黒竜帝国】の若き女皇帝ベラドンナを唯一の主君とし、世界を変えるという一つの目標のため、その軍勢に加わることになることを。











 ちなみに、これは後日談なのだが。


「陛下、どうしても一つ、答えていただきたい」

「陛下、何故、密航などされたのだ」

「左様、そのようなことをせずとも、客として来ればよいのでは」

「左様、お忍びで王侯貴族が来るなど、快楽船では珍しいことにあらず」

「くっくっく……そんなの、決まっているだろう」


 モーティーマー・ブラザーズを臣下に加えてから2日後、問われたベラドンナは、不敵に笑った。


「お前たちはあの時言ったではないか。【快楽船かいらくせん】チャチャマル・チャーチ号への密航者は、賭け闘技場の闘技士ファイター全員から叩きのめされることになる、と」

「「…………」」

「そうなれば、わたしは賭け闘技場の闘技士ファイター全員と顔を合わせた上で、その全員と立ち会えるのだろう?

「「……!?」」


 モーティーマー・ブラザーズは、総毛立つ。ベラドンナの言葉の意味を、正しく理解してしまったから。

 あの時、ベラドンナが言った言葉を纏めると、こうなる。「残酷無比な運命に立ち向かえるような、この腐り切った世界そのものを、完膚なきまで破壊できるような、剛毅なる戦士を探す手間が省けた」と。


「「まさか……わざと捕まることで全ての闘技士ファイターと立ち会い、ご自身の軍勢に加える者を見つけに参られたというのか!?」」

「正直、儲けものだったぞ。モーティーマー・ブラザーズという逸材を見つけることができたのだからな! ……っ、痛たたた!」


 しかし唐突に、その笑みは崩れる。


「くっ……しかし、土方の奴。おのれ……山ほどたまった政務しごとを放り出してちょっとこっそり出かけただけで、げんこつはないだろう、げんこつは! あと、おやつ抜き2週間はいくらなんでもひどいっ、ひどすぎるっ! ……京風白玉あんみつ、作ってくれるっていうから楽しみにしてのにっ!」

「……陛下、いい加減、あの無頼漢わからせてやりません?」

「ノー! ジャンヌ、それは……それだけはノーだ! 冗談でもノー! わからせ、ダメ、絶対! 真面目な顔して言わないで、お願いだから……」

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