第130話

 

 肩の力を抜く。

 丹田たんでん――へそより指三本下あたりの部分を意識する。

 気を散らさず、鋭く研ぎ澄ます。

 矢を、放つ。

 冒険者として、何度も何度も、何年、何十年と繰り返してきたことだった。


「……ひッ!?」


 故に、弓の腕には自信があった。

 相手――デッド・スワロゥと、目が合う。

 そのエルフの女冒険者、コザは引きつった悲鳴を上げた。

 デッド・スワロゥは、魔物と同じ倒すべき獲物であり、逃亡奴隷や抵抗組織に所属する「悪しき」亜人と同じ狩るべき標的でしかないはずだった。

 コザのここぞという時の必殺技、通称「三本射ち」の前に倒れるはずだった。同盟を組んで集まった冒険者たちから袋叩きにされるはずだった。賞金とレア武器である日本刀をゲットして、祝賀会で飲めや歌えやどんちゃん騒ぎをしているはずだった。

 今のだって、成功したはずだ。

 なのに、なのに、デッド・スワロゥは何食わぬ顔で立っている。コザが放った矢を、平然と素手で掴み取って。

 逃げた、と思わせてからの、完璧な不意打ちだったのに。


「ふ、ふざ……ふざけないでよ! Fランクが、これだけの人数を、それも、場数を踏んでる高ランクの冒険者たちを、こうもあっさりと倒せるわけないじゃないっ!」


 今この場の自分以外の全員の末路を目にして、コザはようやく悟る。この男、デッド・スワロゥがただのFランクの冒険者ではないことを。


「なんなのよ、お前っ! 一体、なんなのよっ! ずーっと黙ってないで、答えなさいよっ!」


 ヒステリックに叫び散らすコザに、デッド・スワロゥは答えなかった。


「その者は、【騎士ドラウグル】だ」

「左様、その者は人ではない。【騎士ドラウグル】だ」


 正直、どう反応していいかコザには分からなかった。

 例えが正しいかどうか分からないけど、においや見た目がどう見てもオレンジ味だと思って食べたドロップが、アンチョビ味だったみたいな――なんていうか、与えられている情報量が多すぎて脳がバグってしまった感じ。

 

「【騎士ドラウグル】って……!? それより、アンタ達……!?」


 実際、そうだ。

 コザの背後から進み出た、人影。黄色いコートを纏った、瓜二つの容姿の二人。

 全身イタチの獣人の男たちだった。それぞれ、手に携える得物は、刃が両端についた大鎌。


「モーティーマー・ブラザーズ……!? 【殴り込み兄弟】!?」


 コザは、自身の声が変なふうに裏返るのがわかった。

 あの連戦連勝無敗の【殴り込み兄弟】を、知らない者はいない。

 快楽船かいらくせんチャチャマル・チャーチ号で開かれる賭闘技場で絶大な人気を誇った闘技士ファイターこと、モーティーマー・ブラザーズの名を。

 だけれども、それは過去の話だ。彼らは三年前、突然、快楽船かいらくせんチャチャマル・チャーチ号からその姿を消したのだから。

 彼らがどこに消えたのかを、コザは今、知る羽目になっている。

 黄色いコートの下に纏う、黒い軍服。それは、彼らが現在【黒竜帝国】――若き女皇帝ベラドンナを頂点とする国の軍に属す身分であることを示すもの。


「【騎士ドラウグル】たる貴様を狩る者として、ここに名乗りを上げよう。我が名は、ダグラス・モーティーマー」

「同じく、ここに名乗りを上げよう。我が名は、セタンタ・モーティーマー」


 名乗るのと同時に、二人は得物を構える。


「「我らが英雄、【六竜将】イカズチ殿の無念、ここに晴らされてもらう!!」」







 その先、彼らがどうなったのか、コザは知らない。

 コザは、その場から全力で逃げた。賞金、仲間の無念、自身の冒険者としてのプライド、それら全てをかなぐり捨てて。


「冗談じゃない!」


 もう、なにもかもどうでもよかった。

 理性と本能が、同時に絶叫している。自分はこれ以上、関わるべきではない。






 モーティーマー・ブラザーズと名乗る二人が得物を構えるのと同時に、【名無し】の剣士は納刀。そのまま、駆け出す。


「「逃すなっ!」」


 モーティーマー・ブラザーズは、それを追う。






 遅れを取るなと、ディスコルディアは飛ぶ。


「面白いことになってきやがった!」


 ミスラは、邪悪に、されど愉快そうに笑う。この戦いを見届けるため、ディスコルディアの後に続いて飛ぶ。






【名無し】の剣士は、疾走する。

 その左右両側、距離を置いて挟んで、モーティーマー・ブラザーズが並走する。

【名無し】の剣士が走る速度を上げれば、モーティーマー・ブラザーズも上げる。逆に、【名無し】の剣士が走る速度を弱めれば、モーティーマー・ブラザーズもまた弱める。

【名無し】の剣士の速さにぴったり合わせ、追いかけてくる。仕掛けてくることなく、動きをなぞるように。

 やがて、商店街を抜ける。

 抜けた先には、広場があった。


「よし、あれをやるぞ!」

「あい、わかった!」


 広場に飛び込むのと同時に、モーティーマー・ブラザーズは二手に分かれた。

 そのまま、各々、疾走する。

 ダグラスは時計回りに、セタンタは逆時計回りに。

 回る、回る、回る、回る。

 円と円の幅は、ほんの僅か。だけれども、二人がぶつかることも呼吸が乱れることもない。

 そのまま二人は、描く二重の円の内に【名無し】の剣士を囲い込む。


「とくと恐れよ、デッド・スワロゥ」

「デッド・スワロゥ、我らの英雄を殺した仇よ」


 ひゅぅん! ひゅぅん! ひゅぅん! ひゅうん!

 そのまま、得物の双頭の大鎌を回転させる。

 廻す、廻す、廻す、廻す。


「この世界に弓引く、【魔神】に見初められし呪われた死者」

「理に弓引く、呪われた反逆者【騎士ドラウグル


 回りながら、廻しながら。

 二人は同時に、それまで紡いでいたものを発動させる!


「とくと、味わうがいい!」

「我ら、モーティーマー・ブラザーズの奥義を!」


 瞬間ーー


「風よ、にじれ!」

「華を、斬るがごとく!」


 ーーごうっ!

 轟々と上がる、竜巻。


「「風躙華斬ふうりんかざん!!」」


 唸りを上げるそれは、【名無し】の剣士を飲み込む。

 その姿を、中にとざす。






『む!?』


 竜巻となって駆け上がるそれは、【名無し】の剣士を取り巻いた。

 どうやら、閉じ込められたらしい。

 肌をちりちりと刺す不吉な気配を、本能が感じる。

 脱出しようと飛び込めば、間違いなく、竜巻によって全身がずたずたに引き裂かれるだろう。

 それが、相手の狙い。


『……はて?』


 故に、疑問を覚える。

【名無し】の剣士がここから出ることが叶わないなら、相手がこちらを攻撃することだって出来ないのではないだろうか。

 実際、そうだ。モーティーマー・ブラザーズは、風のとばりの向こうをただ疾走するだけ。既に【名無し】の剣士の退路は断たれている。なのに、何も仕掛けてこない。


『いや、待っている?』


 でも、仕掛けるなら、一体、どうやって――

 普通に考えれば、それは、不可能だ。

 





 そう、なだけだ。

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