第127話
石造りの建物、表面に絡みつく蔓。
割れた石畳の間から生える雑草の間を、小さな動物や虫が通り抜けていく。
朝の陽射しが、降り注ぐ。旧市街の棄てられた街並みを漂白していく、一日の始まりを告げる光。
商店が連なる通りがあった。かつて、多くの人々が行き交ったであろう場所。
人気が絶えた通りの石畳の上を、【名無し】の剣士が駆け抜ける。
「逃すな、追えっ!」
その後ろから、追いすがる影。
更に、通りを隔てて疾走する影の群れ。
「仕留めろっ!」
交差する路の左右から、待ち伏せしていた者たちが飛び出してくる。
刃が、冷たく煌めく。既に、刀は抜き放たれていた。
斬り伏せる。右からの襲撃者を、長剣と鎧ごと。
振り向き際、左からの襲撃者も、同じく。
更に、【名無し】の剣士は石畳を駆けた。人影が、追いかけてくる。
唐突に――
「炎よ!」
――飛来する、火球。
疾走する【名無し】の剣士の前方の石畳が、爆発した。
「はぁっ、はぁっ」
ブレンダの街を、息を切らして走る者がいた。
ダークエルフの亜人の子供だ。
名を、シエルという。ラガンという冒険者に使役されていた奴隷である。
しかし、その首に奴隷の証である【隷属の首輪】はなかった。
当たり前だ。今のシエルは自由の身、奴隷などではないのだから。
忘れもしないあの日、シエルは奴隷ではなくなった。
「デッド・スワロゥ様っ!」
走る速度を、上げる。
奴隷であることから解き放ってくれた人の名を、救い主の名を、シエルは叫ぶ。
その人に、今、大きな危機が迫っていた。
「今日から、ここが君の部屋だよ。わたしとの相部屋だけど、遠慮しないで好きに使ってね」
あの騒動の後、シエルはブレンダの街の冒険者ギルドに引き取られた。正確に言えば、その職員の人に。名前は、ドゥというのだという。
「足りないものがあったら、遠慮なく言ってね。身体が受け付けない食べ物とかある? プリンは好き?」
シエルは、奴隷である。奴隷に人権はない。拒否権も。人ではなく物であり、使われるだけの生きた資源なのだから。
なのに、この待遇は一体なんなのだろう? 正直、シエルは恐怖していた。
シエルが身にまとうのは、ぼろではなかった。自分ののサイズに合った服と、靴。着替える前には、お風呂に入れられている。
なにより、首の周りが軽い。【隷属の首輪】がないから。
「……あ、あのぅ」
おずおずと、シエルは言う。
「今日から、お仕えさせていただきます、シエルです。よろしくお願いします、ドゥ様。至らぬところがあるかもしれませんが」
「へりくだらなくて全然いいからね。あと、わたしに「様」づけは禁止」
「でも、ドゥ様……ぼくは、奴隷で」
「そういう考えは、今をもって捨てるように」
対し、あっけらかんと、ドゥは答える。
「シエル、っていうんだよね。きみは。わたしは別に、何をしてほしいとかないよ。それ以前に、わたしは奴隷なんか求めていないからね」
「じゃあ、ぼくは、一体、なにをすれば……」
「普通に起きて寝て、三食きちんと食べて、遊んで勉強して、笑って怒って泣いて喜んで、たまに無理のないわがままを言ってくれればいいかな。おまけつきのキャラメル買って! みたいな感じで」
そして、シエルの奴隷ではない日々が始まった。
清潔なシーツが敷かれたベッドで寝起きし、文字の読み書きや計算を教わり、絵本を読んだりおもちゃで遊んだりする。
ご飯は、一日三回。残飯じゃなくて、白いお皿にきちんと盛られているもの。デザートには、必ずプリンが付く。
理不尽な暴力や罵声を浴びせられない日々。人にとって、当たり前の生活。だけれども、シエルのような「悪」しき種族であるダークエルフの亜人にはとても考えられないもの。
それが、昨日までのシエルの日常だった。
「急で悪いんだけど、明日にはもう、わたしはここにいないからね」
唐突に、ドゥは言う。
「帰還命令が出てね、あのメスマムシ……胸糞上司の所に帰らなきゃいけなくなったんだ。本当に、ごめんね。シエルのことを考えるんなら、もう少しいるべきなんだろうけど」
ドゥの私物は、既に全部トランクの中だ。身にまとうのも、冒険者ギルドの受付嬢の制服ではなく私服。
「少ないかもしれないけど、とっておいて。好きに使ってくれていいから」
少し重い巾着を渡される。後で確認したら、中には金貨がたくさん入っていた。
「それと、これを」
手に、畳んだ紙片を握らされる。
「明日の朝八時、必ずこの場所に行きなさい。そこに、リーズっていう男がいる。わたしの直属の部下なんだ。ここから、シエルを安全な場所まで逃がす手伝いをしてくれる」
翌日。
ドゥは、既にいなかった。
時計を見る。針が指すのは、六時ちょうど。
シエルの机には、朝食が置かれていた。トウモロコシのパンとミルク、デザートにプリン。
座って、食べる。そういえば、ここに来て一人で食べるのは初めてだった。いつもは、ドゥが一緒だったから。
静かなせいだろうか、咀嚼の音がやけに大きく聞こえるような気がした。異変に気づいたのは、デザートのプリンにスプーンを入れる前だ。
「……?」
下の階が、一階が、騒がしい。
いや、騒がしいのはいつものことだ。冒険者ギルドなのだから冒険者たちが集まるのは当たり前だし、その冒険者たちは大抵荒事慣れした人だし。
だけれども、今日は尋常じゃない騒がしさのように思える。
シエルはそっと、部屋を出た。足音を殺して、廊下を進む。
そして、一階を覗き見た。
「野郎、今どこにいやがる!?」
「旧市街だってよ、日が昇る前に向かうのを見た奴がいた! 信頼できる情報源だから、信憑性はかなり高いぞ」
最初、冒険者たちが何を言っているのか、シエルには分からなかった。
「相手は12億だぞ、12億! プラス、レア武器付きだ!」
だけれども、何か不吉なことであることだけは分かる。
野望と欲望を、あそこまで剥き出しにするのを見てしまえば。
「「「うおおおおおおっ! よっしゃあああああああ!!」」」
「「「やるぞおおお! やったるぞおおおおお!!」」」
「「「待ってろおおお! 12億イェェェェェン! デッド・スワロゥゥゥゥ!!」」」
「……!!」
その理由を理解できてしまった時、シエルは文字通り震え上がった。
冒険者たちは、賞金と日本刀欲しさに、シエルの恩人を捕まえようとしている。
「デッド・スワロゥ様が危ない……!」
だから、シエルはブレンダの街を走っている。旧市街を目指して。
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