第117話


 あの後、アドゴニーは腐泥鬼グレンデルを食べた。

 倒した存在は、倒した者が食べなければならない。弱肉強食のルールが支配するアシュロンの森において、それは当然のこと。

 いつも食している木の実や苔と比べて、腐泥鬼グレンデルはなんと美味しかったことか!

 だけれどもそれ以上に驚いたことがあった。

 強く想像することで、アドゴニーは腐泥鬼グレンデルに変身できるようになったのだ。

 どうやら、倒した魔物の中から出てくる謎の石ころーー後で知ったのだが、魔石というらしいものを食べると、その魔物の姿や力を得ることができるようになるらしい。

 それから、アドゴニーは様々な魔物を倒し、食べた。

 飛蛇ひだを食べることで空を飛ぶための翼を、暴れ大猿ジャイアントエイプを食べることで怪力を、大王蝦蟇キングトードを食べることで泡を吐き出す攻撃手段を得た。

 更に、時折やってくる冒険者と戦うことで言葉を、勝つために頭を使うことも覚えた。

 そうして、アドゴニーは確実に強くなっていく。

 いずれ、上り詰めてアシュロンの森の頂点に立ってやろうと思っていた。

 冒険者に痛い目に遭わされ、逃げてきたスライムと出会うまでは。






「な、なあ……アラン」

「なんだよ、ブロッソン」

「降参したら、逃してもらえたりしないか……?」

「なに言ってんだよ、相手は魔物だぜ!?」

「いや、でもさ……言葉、分かるみたいだし、一生懸命謝ったら許してもらえるかも……」

「いや、だから、相手は魔物なんだって!」

「じゃあ、白旗上げるとか……」

「そもそも、持ってない!」

「ハンカチで代用するのは……?」

「無理! 俺の今日のハンカチ、オレンジにペンギン柄だから!」

「ジーヴィーは……?」

「わたしの、緑」

「マジかよ……俺、紫のカピバラプリント……」

「…………」

「…………」

「…………」

「詰んだ、とか思うんじゃねーぞ、新人どもルーキー


 不安げに言葉を交わし合うチーム【銀の一角獣】を、ビリーはぴしゃりと叱り飛ばす。


「こんなことでピーピー言ってたんじゃ、この激動の時代、やっていけねーぜ?」

「で、でも、ビリーさん」

「つーかよ、依頼主がアルバイトの前で弱音を吐くなや。舐められっぞ?」

「じゃあ……じゃあ、どうにかしてくれよ! 俺、死にたくない!」

「だってよ、デッド・スワロゥ」


 ビリーは、片目を瞑る。


「そういうわけだ……やっちまえ!」






「デッド・スワロゥ」


 キリに、呼ばれる。

 目が合うと、うなずかれた。


「わたしは大丈夫。だから、みんなも大丈夫だよ。何かあっても、わたしもなんとかできるから」

「……ふん、一人前に言うようになったではないか」


 ディスコルディアが頷いた。


「そういうわけだ、あのを呼んでやるがいい」

『ゲリュオン、来い!』






 直後ーー


 ヴァリヴァリヴァリヴァリッ!!


 空が、光った。

 間を置かずに、轟音。まるで、巨木が真っ二つに引き裂かれるような。

 ドッ! ドドドドド!!ーーと伝わってくる、猛烈な地響き。

 真正面から。

 そしてーー


〈砲弾となれ、ほのお!〉


 放たれたのは、球体状に圧縮された焔。

 それは、砲弾の速さで飛んでくる。

 轟音!

 泡の障壁を、木っ端微塵に吹っとばす。






「ナ、ナントー!」


 アドゴニーは、見た。

 振り返った先に、そいつはいた。

 くすんだ鋼色の蹄、月の光を集めたような銀の長いたてがみと尻尾、蛍の光と青い貴石の輝きを散らした黒い背。

 鬼火を思わせる青白い炎を纏った、黒馬。


「な、なんだあれ!?」

「あいつの仲間……!?」


 降ろされた冒険者たちは、突如現れたそいつのことを知らなかった。

 でも、アドゴニーはそいつを知っている。


「ナ、何故オ前ガコーンナー所ニー!? 【獄炎】ゲリュオン!?」






 時計の針を、大分戻そう。

 景色が、晴れる。

 青い空。

 水面のように揺れる草原。

 激震と騒乱のアシュロンの森から、なんとか脱することができた。


『助かっ、た……!』


 徐々に、速さが収まってくる。

 既に、アシュロンの森は遥か遠くだ。

 振り返る。キリたちの姿はない。

 どうやら、追い越してここまで来てしまったようだ。


〈フェンリルの幼子など、我が俊足には敵うまい。だが、心配はするな。あの者たちは、後から必ず追いついて来るだろう〉


 完全に足が止まったのを見計らって、【名無し】の剣士は降りた。


〈大丈夫か、人……ではおそらくない種族の男よ〉

『危ないところを、助かった。ありがとう』


 声を発することはかなわない。

 言葉が伝わらないのはわかっている。

 でも、せめて伝わってほしかった。

 禍々しくも美しい黒馬の魔物に、頭を下げる。


『伝わんないのは分かってる。それでも、言わせてくれ。助けてくれて、ありがとう』






 ゲリュオンは、目の前の男をじっと見ていた。

 奇妙な男だ、と思う。

 見た目は、人間の男だ。

 だけれども、人では決してありえない、なにか禍々しいものを感じた。

 同時に、不思議な懐かしさも。


〈アヴァルス様……?〉


 それはかつて、ゲリュオンが主と慕い、従った存在。

 共に、数々の戦場を駆け抜けた。

 だけれどもーー


〈そんな、ありえない〉


 ゲリュオンは、うめき、首を振る。


〈あなた様は、死んだはずだ……500年前のあの時、【転生者】との最後の戦いで!〉


 故に、思った。

 この男は、確かに強い。

 だけれども、この世界に今渦巻く悪意と敵意を前にすればどうなる?

 もしそれと、一人で対峙することになれば?






「デッド・スワロゥ!」


 背後から、声。

【名無し】の剣士は、振り向く。

 走ってくる、二頭のフェンリル。

 皆、背に乗っている。どうやら、無事だったようだ。

 ディスコルディアの姿はない。同じく、イシスも。

 彼女たちのことだ。おそらく、どこかで高みの見物でも決め込んでいるのだろう。


『そろそろ、行かなきゃな』


 名残惜しいが、別れのときだ。


『世話になった。この恩は忘れない』

〈お前……いや、あなたがいなければ、私は今頃【陰月】の腹に収まっていただろう。……だから、私はその恩に忠義で報いたい〉

『は……!?』


 ゲリュオンは前脚を折って頭を下げた。

 目を丸くするしかない【名無し】の剣士を前に、ゲリュオンは言う。


〈どうかわたしをあなたの、この【獄炎】ゲリュオンを、デッド・スワロゥ殿の配下に加えていただきたい!〉

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