第116話


 アドゴニーの生誕は、単なる偶然だった。

 分裂したスライムの一体が、ユニーク・スライムで、それがアドゴニーだったーーただそれだけのことだ。

 魔境と名高いアシュロンの森には、雑魚から最強種まで様々な魔物たちが住んでいる。

 スライムは、その中で最底辺だ。毎日、食べられ、或いは事故で命を落とす。分裂し続けなければ、全滅する恐れすらある。

 そんな場所で、アドゴニーは仲間たちと身を寄せ合って生きていた。







 自分の運命が変わってしまった日のことを、アドゴニーは克明に覚えている。

 その日、アドゴニーと仲間たちは、餌を探してアシュロンの森を走り回っていた。

 目撃したのは、偶然だ。

 哀れみを誘う声を上げながら逃げる魔物と、それを追いかける複数の人影。

 魔物と冒険者とかいう連中の戦い、アシュロンの森ではよく見る光景だ。

 見る都度、アドゴニーは不思議で仕方なかった。

 何故、あの冒険者とかいう奴らは、アシュロンの森へ来るのだろう。別に、生きるわけでも食べるためではないのに、何故、魔物たちを追うのだろう。

 だが、今回はそう思わなかった。

 あの魔物が逃げていった方向には、確か。


「みみみみーっ!?」


 仲間たちの静止の声を振り切って、アドゴニーは飛び出していた。

 思うことがある。故に、追いかけた。

 そして、アドゴニーの予感は的中する。


「うわあああああ!?」

「た、助けてくれー!」


 冒険者たちは、泥沼にはまっていた。追われていた魔物、腐泥鬼グレンデルは、木の上からそれをニタニタ笑いながら見ている。

 アドゴニーは察する。

 彼らは魔物を追いかけているつもりだったのだろう。弱らせて、追い詰めて、倒そうとしていたのだろう。

 だが、冒険者たちは分かっていなかった。

 地の利は腐泥鬼グレンデルにあることに。

 だから、逃げていると見せかけて、沼地に誘い込んでいるなんて、思っていなかったに違いない。

 それなりに経験を積んでいるのだろう、冒険者たちは良い装備をしていた。

 だが、白銀の鎧も加護付きのローブも、はまれば沈むしかない泥沼を前にすればただの重りでしかない。

 頃合いを見て、腐泥鬼グレンデルは軽やかに降り立つ。

 そしてーー


 ぶしゅっ!


 動けない冒険者の一人の首を、無情にもねじ切った。


「うわ……あああああっ!! ジュスティ! ジュスティィィ!!」

「畜生、てめぇよくもジュスティを!」


 泣き叫ぶ冒険者たちに、腐泥鬼グレンデルは答えなかった。

 べしょっ! べしょっ!

 口から、粘液を吐き出す。

 べとべとしたそれは、残りの冒険者たちを包み込む。

 動けない上に更にべとべとしたそれに絡め取られた冒険者たちは、しばらくもぞもぞ動いていたーーが、やがて動かなくなる。


「…………」


 アシュロンの森では日常茶飯事の光景だ。

 普通のスライムであれば、一目散に逃げ出している。

 だけれども、ユニークで知識が普通のスライムよりも高かったアドゴニーは、ふと思う。

 あれくらいの装備を用意できる冒険者であれば、腐泥鬼グレンデルくらいの魔物なんて簡単に倒せる。

 だけれども、腐泥鬼グレンデルは奸計を用いて逆に倒してしまった。

 なにかきっかけがあれば、弱い存在であっても強い存在に勝つことができるのだ。

 もし、それを繰り返したら、魔物の頂点に立てるのではないだろうか?

 その考えは、アドゴニーのその後の運命を大きく変えることになる。


「……?」


 ふと、背後を見る。

 そこに、一振りの剣が地面に突き立っていた。

 アドゴニーが覚えている限り、こんなところに剣なんてなかったはずなのだが。


「…………」


 故に、アドゴニーは思う。これは、チャンスなのではないだろうか。


「みっみっ! みっみっ!」


 やや苦労して、剣を引っこ抜く。

 見た感じ重そうだったのに、びっくりするほど軽かった。

 腐泥鬼グレンデルが気づいている様子はなかった。


「…………」


 これからやることに失敗すれば、命はない。

 ただ生きていくだけなら、このまま背を向けて逃げればいい。

 アドゴニーはそんなの嫌だった。先程の考えに至ってしまったのなら、尚の事。

 剣を、投げた。

 全力で、真っ直ぐ。

 頭上に向けて。

 そしてーー


「みみみみっー!!」


 ーー声の限り、叫んだ。

 腐泥鬼グレンデルが振り向く。


「みみっ! みーみーみみみ!!」


 挑発するよう、思いっきり叫びまくる。

 案の定、腐泥鬼グレンデルは飛びかかってきた。

 アドゴニーは、ほんの少しだけ、後に退く。

 がちんっ! と。牙が噛み合わさる音。

 どすっ! と、突き刺さる音。

 アドゴニーに届く一歩手前で、腐泥鬼グレンデルは絶命していた。

 落ちてきた剣は、腐泥鬼グレンデルの頭に思い切り立っている。

 アドゴニーは、賭けに勝った。


 アドゴニーの考えと行動は、正しかった。それは、腐泥鬼グレンデルの死をもって、ここに証明されたのだ。






 アドゴニーは、意識を現在に戻す。

 冒険者たちは、罠の中にまんまと閉じ込められている。

 あとは倒し、食べればいいだけ。

 食べて、また一歩、上に歩を進めるのだ。

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