第105話
「あの、ビリーさん……」
「んあ、どした、キリちゃん?」
「こんなこと言うのアレなんだけど……昼間からお酒飲むのどうかなって思うよ? もし、酔っ払ったりしたら」
「あー、それは心配いらんのよ。俺らってば、そーゆー心配いらんのよ。一気飲みしたところで、ぶっ倒れることもねーし」
そして、ビリーは驚くべきことを口にする。
「俺ら【
『……はァ!?』
ビールなる酒には、えぐみのない、独特の苦味があった。なのに、香りにはどこか不思議な甘みがある。
最初、「タンサン」なる舌を刺すようなびりびりとした感覚には驚いたが、慣れてしまえば心地良い。
それに加え、キーン! とくる冷たさがある。氷のようで氷のようではない心地よさ、なにかに例えるなら、春の雪解け水みたいな冷たさが。
やばい、これはくせになる。下手したら延々と飲めてしまいそうだ。
だが、毒と聞いたら寝耳に水どころの話ではない。下手すれば命の危機ではないか。
『毒ってのは、どーいうこった!?』
「我が【
何がなんかだ分からない【名無し】の剣士を見かねたのだろう、イシスが口を挟んでくる。
「いい? お酒っていうのは、基本、毒なのよ。アルコール……酒精って分かる? それが肝臓で分解されたら、アセトアルデヒドっていう毒になるのよ」
『……俺、結構飲んでた方だけど、普通にピンピンしてたぞ』
「飲み過ぎると、顔とか身体が紅潮したり、頭痛とか吐き気とかしたりしなかったのよ? 一気飲みして、倒れたことはなかったのよ?」
『あー、それは……あったな」
「酒だけに限らないぞ」
その先を、ディスコルディアが引き継ぐ。
「【
そう言われたからだろう、すとん、と腑に落ちた。
『……あー、だから酔えないのか』
ビールとは、酒である。
故に、飲めば気分が高揚したり身体が程よく熱くなったり等、酔いを感じられる。
それが今は、ちっとも感じられないことに気づく。
飲めば、胃の腑あたりがほんのり熱を帯びる。ただし、ほんの一瞬だけ。
ほんの一瞬で、酔いが、終わってしまう。
『…………』
「うん?」
『…………』
並み外れた力、異常な回復力、高い不死性。
【
「どうした、【名無し】の剣士?」
『…………』
分かっていたはず、なのだがーー
『……いや、別に』
「ふむ……?」
【名無し】の剣士は、今、明らかに狼狽しかけていた。
だが、それも一瞬だけ。すぐに元通りだ。
故に、ディスコルディアは思う。
「戦い以外では、砂浜に打ち上げられたあじらしみたく、てんで駄目な奴め」
大人数を斬り伏せ、【六竜将】を倒し、それに準ずる者を撃破、大魔物を討伐し、スキルを駆使するストリートファイターと渡り合い、高ランクの冒険者を圧倒。
「戦闘力は馬鹿高く、人を殺すことにまったく躊躇がないどころか、むしろ鉄火場で生き生きとする」
かと思えば——
「自分が生きていく方向について全く無頓着。おまけに、利益も損害も全く求めない」
他人の意見や周りの環境に左右されることなく、自分のスタイルでのみ物事を進めていく。
「良く言えば個性的、悪く言えば自分勝手……なのに、利己主義でも利他主義でもない」
なんていうか、【名無し】の剣士は究極的なマイペースとしか言いようがない。
【魔神】ディスコルディアとしての記憶の中には、数多くの【
誰もが一癖も二癖もある者たちだったが、ここまで把握できなかったのはいなかったはず。
「まあいい」
ディスコルディアは、ふと相好を崩した。
「人をまとった獣、倫理と知性を持つ化物、魂を
目を、細める。視線の先には、一行に向かって駆けてくる人影。
その先では、何か騒ぎが起こっている様子。
唇を舐める。瑠璃色のそれが、喜悦に輝く。
「まったく、次から次へと! ……しかし、そうこなくてはな!」
だが、ディスコルディアの期待は大いに裏切られる事になる。
それもこれも――
「おっさん! おーい、おっさん! 大丈夫か!? おーい!」
「うわぁ、こりゃあひでぇ……なんまんだぶなんまんだぶ」
「痛そう……」
「明日は我が身だぜ」
少し先に商店があり、その店先に人だかりができている。
確かに、それは厄介事だった。
「……まったく、くだらん!」
ただし、我が身に降りかかればの話。
「みんな、どいてくれどいてくれ!」
担架の代わりだろう、外した戸板を手に走ってくる男たちがいた。
察するに、誰か倒れたらしい。
恐らく、店の関係者か客が。
「ほら、これに乗っけろ!」
「ありがたい、恩に着るぜ!」
人だかりをかき分けて、男たちは店の中へ。
そして、即席の担架の上に何かを乗せて出てくる。
「……あいつは!?」
何か、ではない。正しくは、誰かをだ。
その誰かは、白毛のネズミの獣人である。
見覚えがある相手だ。
確か、モリリンと呼ばれていた男。
巻き込まれる形で参戦した、ストリートファイトの主催者。
「うへぇ〜……」
「だ、大丈夫かな、あの人」
そのモリリンの現状を見たビリーとキリは、揃ってドン引いていた。
モリリンの頭には、でっかいタンコブ。あと、身体が変な風に痙攣している。
一体、何があったらこんな風になるのやら。
モリリンはそのまま、運ばれていった。多分、どこかで治療を受けるのだろう。
「あたしがこんなこと言うのアレなんっすけど、災難だったっすね、アンタのお連さん。木箱持ち上げたらギックリ腰、よろけた拍子に棚から落ちてきたペンギンの置物が頭を直撃……んでもって、飛び出してきた黒光するかさかさ素早く走り回る名前を出すのがアレな虫をよけようとして左足ひねるって」
「いや、気にしないでください。あれは本人の自己責任なんで。あと、多分日頃の行いもあると思うんで」
店から、誰かが出てくる。
入り口の脇の壁に、まな板ぐらいの大きさの鉄板が打ちつけてあった。それに描かれた鎚と炎と思われる絵から察するに、武器屋。
一人は、獣人の少女だ。
ショートボブの黒髪からぴょこん! と立つのは、狼の両耳。後ろに垂れるのは、ふっさふっさの狼の尻尾。
身に纏うのは、肩を露出させるデザインの黒いシャツに、オリーブグリーンのワークパンツ。腰に巻くのは技術工具を吊るすベルト、履くのは頑強な安全靴。
おそらく、店の従業員だろう。エプロンには、【ペパーの武器屋 武器各種売ります・買います・作ります】という刺繍があった。
肝心のもう一人は、人間の少年。
身に纏うのは、修繕だらけの学ラン。
今日はオフらしく、その手に得物の模擬剣はない。
その顔に、ディスコルディアは見覚えがある。
「うん? あの小僧は確か……」
『あいつ、タツノスケ・イブキか!?』
声にはならなかったはずだ。
だが、相手は仮にもストリートファイターとして腕を鳴らしている身。故に、自分に向けられたものを感じ取ったのかもしれなかった。
「ん?」
そいつが、振り向く。目が合う。
「お前っ、デッド・スワロゥ!?」
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