第7章 ケセラセラ

第98話


 その日の夜のこと。

 表の通りから少し外れた寂しい小路に、その酒場、【新世界】はあった。


「お客さん、少し飲みすぎですよ。あと、深酒は傷に響きますよ?」

「うるせぇっ!」

 

 バーテンの老人の気遣いを、その客は怒声で跳ね返す。

 続いて振り下ろされる拳が、バーカウンターをぶっ叩く。


「いいか? 俺は客だ! 客である俺は、酒を飲みに来てやっているんだよ! だからてめぇは黙って、酒を出せばいいんだよ!」

「いえ、しかし……」

「しかしもクソもねぇ! 酒だ酒! さっさと酒を持って来い! ぶち殺すぞ、ジジィ!」


 殺気立つ目で睨まれ、バーテンの老人は嘆息をつく。

 どうやら、なにをいくら言ったところでどうにもならないらしい。

 キャビネットを開け、ボトルを取り出す。栓を抜くと、それをグラスに注ぐ。


「どうぞ」


 言われる前に、客はグラスを引っ掴み、高い度数のアルコールを一気に呷る。


「……畜生、あの野郎……」


 客はおもむろに顔を歪め、片手で顔を抑えた。

 これは昨日、件の決闘沙汰で拳を叩き込まれた箇所である。

 狼の獣人の男の目には、煮えたぎる憤怒があった。


「デッド・スワロゥ……」


 憎悪を込めて、客は、ラガンは、その名を呼ぶ。


「あの野郎、絶ッッッッ対にぶっ殺してやる……! 【転生者】様の名に誓って、必ず……必ずだ!」

「まぁまぁ、そうカッカしなさんなよ、獣人の旦那。色男が台無しだぜ?」


 そんなラガンの隣で、連れの男はどこか愉しげな声色で呟く。

 精悍な顔立ちの、人間の男だ。

 歳は、二十歳そこそこ。まだ、大人として年若い頃である。

 肌はやや白めで、背はしゅっと高い。顔立ちと視線は、よく磨き上げられた雪花石膏アラバスターのように滑らか。

 鋼のようにしなやかな筋肉に覆われた肉体を包むのは、漆黒の装甲強化服。

 髪は、不気味なまでに白い。白い虹、凶事の前触れとされる不吉の象徴を思わせる。

 ラガンが知らない顔だ。それどころか、ブレンダの街にこんな男はいなかったはず。


「てめぇはなにも知らねぇから、そうやって笑っていられるんだよ、架神かがみ!」

「知らなくて当然でしょ? むしろ、知ってたらおかしいし、怖いよ? 俺ら、さっきそこでばったり会ったばっかじゃん?」


 にへら、と。架神かがみと呼ばれた男は人好きのする笑顔を浮かべる。


「しかし、「ぶっ殺してやる」は穏やかじゃあないねェ……なにがあったか話してみ? 俺でよけりゃあ、聞いてやるよ」

 架神かがみの声は、あくまで穏やか。しかし、言葉の端々には、憤怒に震えるラガンが抱えるものへの隠しきれない好奇心が滲んでいる。


「夜はまだまだ長いんだ。件のそのデッド・スワロゥとやらについて、じーーーっくりと教えてくれよ。Heyマスター! 金に糸目はつけないから、じゃんじゃん高いボトル開けちゃって!」













 数時間後。

 おごりと聞いて気を良くしたラガンは、遠慮なく飲みまくった。そして、すっかり潰れてしまっている。


「デッド・スワロゥ……ねェ」


 砂糖菓子を舌でゆっくりと転がすように、架神かがみは呟く。

 ラガンが言うに、やたらと強い男、それも、見たところ人間――だったのだという。


「虎のしまを思わせるイレズミ、得物は日本刀、曼殊沙華まんじゅしゃげみてェな赤い髪……ンでもって」


 左眼の下をつぅ、とゆっくり撫でる。


「こっちの目をまたぐみてェに、顔の左半分をえぐるよう走る、ばかでけェ十字型の傷」


 薄っすら、微笑む。


「……まさか、アイツなわけ、ねェ?」

「まさか、とは?」

「どういうことだ?」


 しゃりんっ! という音と、金属の冷たさ。

 知覚したのは、果たしてどちらが先だっただろう。

 架神かがみの首には、二つの大鎌の切っ先が突きつけられている。


「おおお……怖ェ怖ェ。相変わらず、お早い。相変わらずおっかないねェ、旦那方ッてば」


 架神かがみは両手を上げる。


「つーか、マジパネェくらい怖ェんで、得物下してもらえませんかねェ? お聞きになられたいこと、チャンと洗いざらい話しますんで」

「…………」

「…………」


 再び、しゃりんっ、という音。金属の冷たさは、既に首にはない。


「ふーゥう……」


 人心地ついた架神かがみは、深呼吸。

 そして振り返れば、彼らはいた。

 二人組の男だ。黄色いコートを纏った、イタチの獣人の男たちである。

 顔つきはよく似ていた。名乗らなければ、大抵の人はどちらがどちらか分からない。

 それぞれの手には、同じ得物がある。

 刃が両端についた、大鎌が。


「……ッてか、何故、モーティマー・ブラザーズの旦那方が、このような辺鄙な場所に?」

「「決まっている!」」


 イタチの獣人二人の答えは、異口同音だった。


「【六竜将】イカズチ様の敵討ちだ」

「左様、【六竜将】イカズチ様の敵を討つべく、我らモーティマー・ブラザーズはここに在るのだ」

「……チョイ待ち。ソレ、土方歳三ヒジカタトシゾウ様の任務じゃなかったっけ? 旦那方、もしかしてヘルプ?」

「「ふざけるな! 部外者などに、それも【転生者】と同郷の「異なった」世界の者に、この件を任せろというのか!?」」


 答えは再び、異口同音。


「「貴様には英雄の鬼哭が聞こえぬか!? イカズチ様の無念が分からぬか!?

 我らの刃、【アグライア】と【エウプロシュネ】たちは、【騎士ドラウグル】デッド・スワロゥの命に飢えている。

 復讐こそは我ら【鳴神隊】にあり!

 故に、我らモーティマー・ブラザーズが、亡きイカズチ様の鎮魂の灯明を灯す者となろう!」」


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