第97話
「…………」
ディスコルディアの瑠璃の目は、【名無し】の剣士をじっ見つめている。思案顔で、何かを計り取ろうとしているように見えなくもない。
『なんだよ』
「お前のような奴を、ツンデレというのだ」
『はぁ!?』
「素直じゃない、とこの私は言っているのだ。嫌なのだろう? 過去のお前と同じ子供が目の前で虐げられているのが」
『…………』
「【
『てめぇふざけんな、俺の私情は無視かよ』
そっぽを向く。
幸か不幸か、そこには件の元凶が立っている。
目が合う。
ダークエルフの亜人の少年は、大慌てで眼を伏せた。
『安心しろ。別に、礼なんざ期待してないから』
だが――
「……フェル・アンチェイン」
ぽつり、となにかを呟く。
発せられたものは、どこか、かつて生きた世界で聴いた祈りの言葉の響きに似ている。
「フェル・アンチェイン……レ・ソルダ=マーヤ・ディーヴァ……!」
『……は?』
この時、【名無し】の剣士はその言葉が持つ意味を知らなかった。
「……ンだと、シエル、テメェ!?」
怒声が、轟く。
発したのは、縄で縛られたラガンだった。
「奴隷の分際で、ふっざけんじゃねぇぞ! クソガキがぁ!」
ラガンは慌てて押さえつけようとした冒険者たちを振り払い、立ち上がった。
ぶづん! と、いう音。周囲から、悲鳴が上がる。ラガンは、その怪力でもって縄を引きちぎったのだ。
「お前のせいで、俺はランク剥奪、冒険者ギルドからは永久追放だとよ! これ一筋で身を立ててたってのによ! 俺はこれから、どうやって生きていきゃあいいんだ!」
「ちょ、ラガン、落ちつ」
「うるせぇっ!」
止めようとした冒険者の一人を、ラガンは殴り飛ばす。
「テメェ、ぶっ殺してやる!」
そのまま、シエルと間を詰めようとした。
「てめぇのせいだぞ! そもそもてめぇのせいだぞ、俺がこんな風になっちまったのは!
そうだ! なにもかも、【転生者】様がおっしゃられた通りだなぁ! ダークエルフは神聖なるエルフでありながら闇に魂を売り、【魔王】に追随した裏切り者。総じて、邪淫と堕落に耽る恥知らず。その存在は、悪辣極まりねぇ」
受けたダメージから、意識に混濁が見られ、ふらついているようではあったが。
そんなラガンの嘲りの言葉は、最後まで続かなかった。
果たして、どちらが早かったのか。
「お前みたいな奴に、そんなこと言われたくない! 【魔王】様のこと、何も知ろうとしなかったくせに!」
シエルが叫ぶのと、落下してきたものがラガンを黙らせたのは。
「とりゃっ!」
はっきり言って、衝撃の光景だった。そいつは文字通り、飛んできたのだから。
集う冒険者たちの頭上を、空気を泳ぐみたいに。
くるりと態勢を変え、そいつは天井を蹴って、降下してくる。
がずんっ!
その際、炸裂するのは、強烈な踵落とし。
ラガンの巨体が、床に沈む。
一体、なにがなんだかである。
皆、唖然としていた。勿論、【名無し】の剣士も。
周囲の反応を余所に、長い髪を揺らしてそいつは立ち上がる。
緩く波打つそれは、曙光を思わせる金色を帯びた紫紺。
前髪から覗くのは、切れ長の双眸。髪が帯びる色と同じ色の虹彩が、冴え冴えとした光を放っている。
身に纏うのは、冒険者ギルドにおいてありきたりなもの。
「……うわ、初日からやっちゃったわー……」
「お、女……!?」
「なあ、うちの冒険者ギルドに、あんなボンキュッボン! な職員、いたっけ?」
「いねーよ。あんなのいたら、真っ先に口説いとるわ」
踵落としの実行犯は、女だった。
それも、抜群のプロポーションを誇る、とびっきりの美女だ。ファッション誌の表紙を飾るトップモデルが、裸足で逃げ出しそうな。
そんなすごいのが、冒険者ギルドの職員の制服を身に纏っている。
だが、それ以上に皆が驚いたのは――
「なあ、あいつ……ドゥじゃね?」
「ああ……【茨の女王】、カギタハんとこの」
「…………」
その男は、冒険者ギルドの片隅で、壊れかけていた。
【名無し】の剣士の得物の日本刀をどうしても諦めきれず、機会をうかがっていたところ、この騒ぎに遭遇したのだが――
「カギタハ、大丈夫か? 全身の毛穴からエクトプラズム噴き流してそうな顔になってるぞ」
「カギタハ、しっかりしろ! パーティーメンバーが騒ぎを起こしたくらいで精神崩壊させてたら、このご時世、マトモに生きていけないぞ」
男の名は、カギタハ。Cランクの冒険者である。
同じCランクの冒険者、弓使いのエレンと武闘家の熊の獣人のボーグ、今ここにいる鞭使いのドゥ――どういうわけか冒険者ギルドの制服を身に纏い、タイマンの場に乱入し、Aランク冒険者のラガンを一撃で沈黙させた美女と共に、【茨の女王】というチームを組んでいる。
「ってか、ドゥの奴、なにやってんだ!? ってか、これはどういうことだ!?」
【名無し】の剣士への
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