第96話
「いや、いやいやいやいや! 撤回! 今のは無し!」
我に返ったミスラは、首と手ををぶんぶん横に振る。
「よくよく考えれば、普通だろ!? 相手をぶっ飛ばせたのは、カウンター攻撃が単に決まったからで! だからこれはノーカウントだろ!」
「我が同胞たる【魔神】ミスラ……言いたくないけど、言うのよ。……アンタ、馬鹿なの? ねぇ、馬鹿なの? その頭の中に詰まってるのは、脳みそじゃなくてストロベリームースなの?」
言い訳をぐちぐち並べ立てるミスラに、イシスは冷たい声で吐き捨てる。
「今のこの状況を、よーく見るのよ、我が同胞たる【魔神】ミスラ。そして、今のこの状況に至るまでのことを、全て思い出すといいのよ」
「はぁ!? わっけわかんねぇんすけどっ!?」
「ただ相手を倒すだけなら、誰にでもできることなのよ。我が同胞たる【魔神】ミスラの【
イシスは、【魔神】の笑みを浮かべる。
「でも、我が同胞たる【魔神】ディスコルディアの【
「ううう……」
ラガンは、目を覚ます。
顔面が灼けるように熱い、激烈に痛い。まるで、焼きごてを当てられているみたく。
だけどそれは、ラガンが置かれている状況に比べたらなんてことない。
「な、なんだこれは! なんの真似だ!」
目を覚ました時、既にラガンは縄で拘束されていた。
そして、見知った面々に取り囲まれている。彼ら彼女らは、ブレンダの街の冒険者たち。
「オイ、これはどういうわけだ! なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだ!」
「お前が一番分かっているはずだぜ、ラガン」
全員を代表して、
「お前、どさくさに紛れて、あの新人を殺そうとしただろ」
「なっ……?」
思わず、絶句する。
「てめぇ、
「シルヴァーナ」
身に纏うのは、巫女装束――「異なった」世界から伝わったという衣装。
手には、小さな白い球体があった。
【記憶の珠】という、マジックアイテムだ。
映像を録画するのに使う、ごくありきたりな記憶媒体。
シルヴァーナと呼ばれたエルフの少女は、その表面に軽く触れる。
同時に、その表面がぼんやりと光を帯びた。光はすぐに、一つの虚像を結ぶ。
「こ、これは……」
白い球体のすぐ上に投射されたのは、先程の悶着。
――右腕を、思い切り引くラガン。
――放たれる、拳。
――デッド・スワロゥの顔面に向けて。
――「あばよ、
侮辱してきた相手をぶちのめし、陥れ、得物の日本刀を巻き上げてやるつもりだった。
立てた策略は、完璧だったはずだ。
――炸裂する、拳。
当てるつもりがなかった拳が、デッド・スワロゥを確実に捉えなければ。
――しゃりんっ!
――その際、【シアーハートアタック】が発動する。
――デッド・スワロゥの頭蓋を貫こうと。
「拳の当たり所が悪かったら、あんたのそのマジックアイテムは、そのままデッド・スワロゥの頭を貫いてたぜ。確実にな」
それは、皆の目にどう映っている?
「売られた喧嘩を買うのはいい。冒険者ギルドの決まりを守れる範囲なら。けど、どう見たってこれは流石にやりすぎだろ。デッド・スワロゥの奴をマジで殺ろうとしてるんだから」
すでに【記憶の珠】がなにを撮影しているかを知っている冒険者たちは、軽蔑の眼差しでラガンを見据えていた。
新人相手に、その行動は明らかに過剰である。
わからせるためとはいえ、ベテランが冒険者ギルドの決まりを嬉々として破るなど。
その最中、殺そうとするなど。
「待ってくれ! 俺はそこまでするつもりはなかった、これは本当だ!!」
「じゃあお前、どこまでならするつもりだったんだ?」
「……そ、それは……!」
「大した奴……と、言いたいところだが」
【名無し】の剣士の傍らに、ディスコルディアが降り立つ。
「全く、毎度毎度とんでもない真似をする。見ていて冷や冷やしたぞ、【名無し】の剣士!」
【名無し】の剣士は、顔を拭う。
今更だが、猛烈な痛みが襲ってくる。察するに、これは後でひどいことになるやつだ。
違和感に気付いたのは、向き合ってすぐのことだ。
あの時――
相手、ラガンは、ポケットに右手を突っこんでいた。
手を出した時、その中指には、指輪を模したあの暗器があった。
『あの野郎、俺に拳を浴びせてくる時、
「……言われてみれば! だが、それだけであれを暗器だと断定できぬぞ」
『話はそれ以前なんだよ。おかしいんだよ、わざわざ、殴り合いの喧嘩に指輪をはめるなんてな』
「あれは、ナックルダスター……お前が生きた時代で言うところの
『指輪じゃ、代わりにすらならねぇよ。あんなのを得物に相手を思い切りぶん殴ってみろ。衝撃が全部返ってくるから、指がぶっ壊れるぞ』
「成程……されど、あのような雑魚のために、骨を断たせて肉を絶つような無謀な戦いなど必要なかったはずだ。もっとよい勝ち方はなかったのか?」
『いいんだよ。こんな傷、どうせすぐに癒えるんだろ』
【名無し】の剣士は、吐き捨てる。
『拳で決着をつける……と見せかけて、俺をペテンにかける気満々だったんだ。そんな奴を奈落に落とせるんだ。これぐらい、あえて受けてやるさ』
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