第94話


「ひぅぅっ……!」


 そのエルフの少女の冒険者は、杖を構えたまま身をすくませる。

 彼女だけではなく、他の冒険者たちも、また同じく。

 放たれた咆哮には、相手をそうさせるだけの威力があった。

 ラガンは、これでもAランク冒険者だ。己が力のみでのし上がった、生粋の実力者。


「ラガンさんっ!? だ、大丈夫かなって、ボク、思うよ!? ホムラ……っ」

「大丈夫だ」


 対し、庇うように立つ相棒の男、ホムラは全く動じていない。

 それどころか、その端正な顔には笑みがあった。


「勝つさ、アイツなら」

「……ホムラ?」


 黒髪の冒険者の眼は、期待に輝いている。

 視線の先には、デッド・スワロゥがいた。













「行くぜ!」


 握った左の拳を、ラガンは小さく後方に引く。

 対し、【名無し】の剣士は後ろ足にかかっていた体重を、わずかに前に移す。

 今回は、刀を抜けない。

 周囲の反応から察するに、いつもみたく相対すれば処分が下るらしかった。

 その処分の名は【奴隷落ち】なるもの。察するに、絶対に良いものではないことは確か。

 ならば、今回は徒手空拳で挑むしかない。


『……来る!』


 ラガンから、拳が放たれる。


 ボッ! 


 戦斧の如き一撃。


 バシュッ!


 顔面を狙ったそれを、間一髪、【名無し】の剣士は手刀で弾いた。

 凄まじい衝撃。肩までじぃん、と痺れる。

 並みのパワーではなかった。

 間髪入れず、一撃、二撃、三撃。

 唸りを上げ、次々と襲い来る。

 一歩、二歩、三歩。

 無意識に、【名無し】の剣士の足が下がる。


『早い……ッ!』


 たかが拳のはず。

 なのに、飛燕の動きを見切る【名無し】の剣士の眼ですら、完全に捉えきれなかった。

 あのストリートファイターの少年もそうだが、【異世界】の猛者どもにしてみればこの程度、当たり前なのかもしれない。

 かろうじて手刀で受け止め、あるいは弾く。

 だが、とうとう一発の拳が脇腹に炸裂する。


『ぐっ……がっ!』


 思い切り、吹っ飛んだ。

 見物の冒険者たちが、わぁっ! と沸く。


「どうした、期待の新人。口ほどにもねぇな」

『やるな』


 攻撃の手を休めたラガンを見据えながら、【名無し】の剣士は立ち上がる。


『けど、それだけだ』













 ディスコルディアは、【名無し】の剣士と灰色の狼の獣人の冒険者の勝負を真剣な面持ちで見物していた。

 得物を使わぬ戦い。

 原始的な闘争の手段。

 

 激突し合う、拳と手刀。


「む!?」


 ディスコルディアは、目を見開く。

 灰色の狼の獣人の男の拳が、【名無し】の剣士を捉えた。

 吹き飛ぶ。おおよそ、五メートルほど。

 その様に、周囲から歓声が上がる。


「ふぅむ。なかなかやるな、あの獣人の男」

「相手を応援すること言ってどうするのよ、我が同胞たる【魔神】ディスコルディア」


 傍らには、イシスがいた。


「このままだと、確実に【騎士ドラウグル】【名無し】の剣士は負けるのよ。ボッコボッコのケッチョンケッチョンなのよ」

「……ふむ。されど、我が同胞たる【魔神】よ」

「なによ?」

「イシス、お前ではない……いるのだろう!?」


 ディスコルディアの眼は、イシスを見ていない。


「我ら【魔神】の中においてもっとも好戦的かつ獰猛なお前が、せこせこ隠れて見物など、らしくもないぞ。堂々とその姿を現すがいい。












 我が同胞たる【魔神】ミスラ!」






 ちちちちっ! という、舌打ちの音がした。


「ンだよ、お見通しってか? 我が同胞たる【魔神】ディスコルディア」


 返された反応に、イシスは息を呑む。


「……! お、お前は……ミスラ!?」


 常に平静なはずのその声色には、困惑の色がにじみ出ている。


「よぉ、久しぶりだな! 我が同胞たる【魔神】たちマイ・シスターズ!」


 軽い口調と共に、そいつは姿を現す。

 二人同様美しい少女である。

 だが、その本性は人ならざる魔性。

 供犠と引き替えに契約を交わし、人を【騎士ドラウグル】という存在に転生させる存在。

 身に纏うのは、モスグリーンの軍服。

 軍帽から零れる短い髪は、太陽のように眩い黄金。

 左目には、皮の眼帯。露わになっている右眼は、鳩の血色ピジョンブラッド

 彼女の名は、ミスラ。

 二人と同じ、【魔神】である。


「ミスラ!? 何故、ここに?」

「久しいな。我が同胞たる【魔神】ミスラ。息災か?」

「ああ、元気でやってるぜ。我が同胞たる【魔神】ディスコルディア。ちなみに、我が【騎士ドラウグル】ヴラド三世は、元気よく景気よくいっぱいいっぱい殺ってくれている」

「……して、何用だ?」

「ンなの、決まってンだろぉ?」


【魔神】ミスラは、表情を動かす。

 形の整った唇が、歪んだ笑みを象る。

 それは、底知れぬ悪意と狂気を帯びていた。


「暇潰しだよ」

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