第92話
ミウの発言から察するに、ラガンというらしい獣人の冒険者の男は、部屋の隅を指差す。
そこに、あれとやらはいた。
黒髪に、スミレ色の瞳。歳はまだ、十を過ぎるか過ぎないかあたり。
短剣を思わせる長い耳。黒に近い褐色の肌には、あざや擦り傷が沢山あった。
ダークエルフの亜人の少年である。
身に纏うのは、辛うじて服と分かるぼろ。靴は履いていない。
首には、重そうな金属の首輪がある。
【
一言で言えば、身分証明だ。少年が、奴隷として使役される者であるという。
「オイ、このボンクラ奴隷! とっととこっちに来い、シエル! てめぇ、こっちに来て土下座しろ! 解体する自分の腕が至らなかったばかりに、こんなことになってしまって申し訳ありません、ご主人様に大恥をかかせて申し訳ありませんってな!」
罵声をぶつけられ、シエルと呼ばれた少年は、身を縮めた。大きな目には、大粒の涙が浮かんでいる。
「早く来いって言ってんだろ、グズ! 引っ叩かれてぇのか、あぁ!?」
冒険者たちの間から、忍び笑いが起きる。少年を見る目には、冷たい侮蔑があった。
【異世界】では割とありふれた光景に、ビリーは舌打ちする。いつ見ても、こういう光景には慣れない。
嫌がるキリを無理やり宿に置いて来て正解だった。
「ひっでぇだろ」
まだ何も知らず、この光景を惨たらしいものと見ているデッド・スワロゥに、ビリーは囁く。
「でも、目を逸らすな。よーく見ておけ。これがこの【異世界】の現実だ」
今回の事は、完全にシエルの落ち度だ。
ナイフの切れ味が大分落ちてきていることに気付けず、魔物の解体の作業をやってしまった。おかげで、魔物の討伐証明である【魔石】をひどく傷つけてしまったのだ。
おかげで、ご主人であるラガン様は大層ご立腹である。ひょっとしたら、今晩ご飯を抜かれるかもしれない。
でも、ラガン様もラガン様だと思う。酒場や娼館に行くお金はあるのに、どうしてシエルのナイフを手入れするための砥石は買ってくれないのだろう。
「…………」
この感情の名を、まだシエルは知らない。
まだ知らなかったシエルは、許されるなら大声を上げて泣きたかった。
けれど、そんなことしたらもっとひどいことになる。殴られても売られても、殺されても文句は言えない。
シエルは奴隷である以前に、「悪しき」種族であるダークエルフの亜人なのだから。
「……?」
ふと、視線を感じる。
向いた先に、その主はいた。そいつは、シエルをじっと見ている。
見ない顔だ。新人の冒険者だろうか。
人間と思われる、若い男だ。
目を中心に顔の左半分に、ばかでかい十字型の傷が穿たれている。
身に纏うのは、奇妙な形状の黒衣。腰に帯びるのは、手にする者に栄華を齎すと伝えられる日本刀。
不吉なまでに赤い髪は、まるで
そいつは、驚くものをいっぱい持っている。
だけれども、そいつはそのいっぱい以上に驚くものを持っていた。
シエルはダークエルフの亜人という「悪しき」種族に生まれ、幼くして両親を亡くし、奴隷に堕とされた。
シエルは生まれてから今日まで、蔑みと憎しみ以外の眼差しで見られたことがない。
なのに、シエルを見るこの男の眼には、軽蔑の色はなかった。曙光のように曇りなく、どこまでも真っ直ぐだった。
対等な存在を見る眼で、シエルを見ている。
シエルは、視線を逸らした。気のせいか、耳がへにゃんとなってしまう。なんだか分からないけど、気恥ずかしかった。
「ああん? なんだよ、なに見てんだよ、あんちゃん」
シエルの視線の先にいた存在に気付いたのだろう。
ラガン様が、ぐるぐると唸りながら振り向く。
「見せモンじゃねぇんだぞ、こっちは!」
放たれた罵声に、しかし、男は答えない。
代わりに、笑みを返す。歯を見せない、口角を歪めて上げるだけのそれを。
「善なる」種族には縁がないはずの、冷たい嘲りをたっぷり含んだものを。
居合わせた冒険者たちは、静まり返っていた。潮が引くように、じりじりと後退していく。
二人の周囲と間に、空白が完成した。
それは、即席の決闘場となる。
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